敏腕クリエイターやビジネスパーソンに仕事術を学ぶ「HOW I WORK」シリーズ。今回は少し趣向を変えて、「なぜ働くのか?」に焦点を当てた番外編「WHY I WORK」を展開します。

登場してもらったのは、「社会課題を解決する」ことに意義を持って、独立行政法人 国際協力機構(JICA/ジャイカ)で働く田中智子(たなか・ともこ)さんです。

大学でゲノムを学んだリケジョの田中さんが、新卒でJICAへの入構を決めたのはなぜ? 開発途上国の支援に情熱を注ぐのはなぜ?

そんな「WHY」を解決すべく、田中さんが働くJICA本部を訪ねてお話を伺いました。

新卒でJICAへ。開発途上国を支援する道を選んだ理由とは

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独立行政法人 国際協力機構(JICA)田中 智子さん 1979年、神奈川県生まれ。北海道大学農学部を卒業後、JICAに入構し農業開発協力部に配属。JICA横浜、カンボジア事務所などを経て、2016年4月より農村開発部。キルギスをはじめとする東・中央アジア地域で地場産業の振興事業や人材育成に携わっている。9歳の男の子のママ。
Photo: 木原基行

── 大学では農学部でゲノムの研究をしていたそうですね。

昔から食に関心があり、食にまつわる仕事に就きたいと思っていました。また、中高生の頃はアフリカの食糧危機問題がメディアで多く取り上げられた時期で、農業について興味を持つようになったんです。大学ではバイオテクノロジー研究を専攻していました。

── JICAへの就職を決めたのはなぜだったのでしょうか。

開発途上国へと気持ちが向かった理由はふたつあります。ひとつは学生時代に旅行で訪れたベトナムに「この国はこれから発展する、変わっていく」というエネルギーを感じたことです。私はいわゆる“ロストジェネレーション”でバブル期も知らず、就職氷河期で日本の経済に勢いを感じられずにいました。そんなとき、1台のテレビを近所のみんなで囲んで観ているベトナムの人々の姿を見て感動したんです。きっと高度経済成長期の日本はこんな感じだったのかもしれないと想像もしましたね。

もうひとつの理由は、開発途上国には人を教育する人材が不足しているという印象を持っていたからです。私が所属していた研究室には開発途上国から多くの留学生が博士号を取得するために来日していました。彼らの中には母国で教鞭を執っている人も少なくありませんでしたが、日本に比べると知識や技術に不足があるように思えてなりませんでした。発展するエネルギーと人材の不足にギャップを感じ、開発途上国に関わっていきたいという気持ちが大きくなっていったんです。

だからこそ、開発途上国への資金面の協力のみならず、技術力向上のための人材の育成にも力を入れているJICAで働きたいと思ったのは自然なことだったかもしれません。入構から半年もすると海外出張の場を与えられ、5年目からはカンボジア事務所に赴任し、政府高官との交渉や協議も任せてもらえるようになりました。

キルギスで実を結んだ、日本発祥の地域活性プロジェクト

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キルギス共和国「輸出のための野菜種子生産振興プロジェクト」

── JICAでは、どのようにして開発途上国への支援を進めていくのかを教えてください。

最初のもっとも大きな仕事は開発途上国の支援事業をつくることですが、基本的には相手国の支援要請を受けるところから始まります。「国の機関がうまく機能していない、人材が足りない、農業や産業の普及をサポートしてほしい」といった相手国からの支援要請が外務省経由でこちらに届くと、私どもはどのような支援ができるのかをプランニングします。言うなれば「シナリオを書く」という感じですね。どこをゴールとして、何に何年を費やすかというイメージを先方とやり取りしながら共有していきます。

シナリオができあがったら、次は“演者さん”のキャスティングです。専門家のリクルーティングやスタッフの招集のほか、必要な資材や機材を検討します。ここまでの準備に1年ぐらいを要します。専門家が現地に到着し、プロジェクトが開始したら、当初のシナリオ通りに投入や活動が進み、成果が出ているかをモニタリングしていきます。プロジェクト自体は3~5年ぐらいのものが多いですね。

── 現在はどのようなプロジェクトに関わっていますか?

2016年春から、キルギスをはじめとする東・中央アジア地域を担当しています。キルギスはその地域の中でもっとも貧しい国のひとつで、とくに農村部では多くの人が貧困生活を余儀なくされていました。国の貴重な収入源である金鉱山も2020年代には枯渇すると予測され、国内産業発展の必要性が声高に叫ばれていたんです。

具体的には、キルギスの地場産業を育成するプロジェクトを担当しています。

キルギスの都市部以外では、定期的に現金収入が得られる仕事は極めて限定的です。農村部では農業や畜産業が現金収入源となりますが、伝統的に遊牧をしてきた民族性もあるのか、定着した仕事を持たなければならないという意識があまり強くありません。

そこで地場産業振興の一環としてJICAが推進したのが「一村一品(One Village One Product)」のプロジェクトです。

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一村一品プロジェクトで生まれた手作り商品を扱うアンテナショップの店内
Photo: 鈴木革/Kaku Suzuki(JICAフォトライブラリー)

「一村一品運動」とは1980年代に日本の大分県で始まったもので、地域資源を生かして特産品を育てることにより、地域やコミュニティを活性化させようという取り組みです。

キルギスでは地場で採れる果実やベリー、ハチミツのほか、自家需要のために作っていた石けんや、羊毛を活用するフェルト工芸がありましたが、これに付加価値をつけ、観光客に向けておみやげとして“売れる”ものを生産・販売することを目指しました。

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イシククリ湖と天山山脈
Photo: 鈴木革/Kaku Suzuki(JICAフォトライブラリー)

イシククリ湖というキルギス随一の観光地をモデル地として始まった活動でしたが、現在は国内各地に展開しようとするまでに成長しています。

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Photo: 木原基行

── キルギスの一村一品運動が実を結んだ理由はどこにあるとお考えですか?

一村一品運動は参加者を選ばず、やる気さえあれば誰でも参加できる仕組み。すなわち、イシククリ湖周辺の地域をひとつの“工場”に見立てたことが功を奏したと思います。

地域住人全体が工場の業務を担う。手工芸や経理等、得意なことを担当する。得意なことがない人だって、人が作った製品にタグをつけたり、在庫を数えたりすることはできる。子育て中なら自宅で内職をしてもいいし、時間ができたときに1時間だけ作業場に来るのもあり――。

そんな柔軟な働き方が、キルギスの人々の生活リズムや家を空けにくい女性の事情、地域で支えあう民族性にハマったのだと思います。「ここに来れば、何か仕事がもらえると聞いたんだけど」と言ってオフィスを訪れる人も少なくありません。

また、活動の中心に立つひとりの女性の存在も大きいと思います。1982年生まれのナルギザ・エルキンバエバさんはイシククリの出身で、一度は故郷を離れましたが、地元に貢献したいとイシククリに戻り、一村一品プロジェクトにアシスタントとして参加しました。現在は公益法人の代表に就任し、2,500人以上の生産者さんたちを束ね、生産、物流、販売といった一連の流れを取り仕切っています。彼女たちがナチュラルであることにこだわってハンドメイドする良質な製品は、このプロジェクトの起爆剤となっています

今キルギスでは、こうして起業し、地域の活性化を牽引する女性たちが増えているんです。

── キルギスの女性たちには、仕事を持つという文化はあったのでしょうか。

遊牧社会において女性の役割はとても重要視されてきた一方で、一部の地域では女性が本意ではない結婚を強いられるキルギス独特の風習が今でも残っています。家事をして家庭を守るのはお嫁さんの役目、それを無事に果たしたお姑さん世代の意見が尊重される文化があり、女性が外で仕事を持つことは一般的ではありません。

一村一品プロジェクトに参加する女性たちも、時間に自由のあるお姑さん世代から始まり、そこからお嫁さんや若い世代も加わって輪が広がっていきました。羊毛を使ったフェルト工芸などは、もともと母親から娘へ、お姑さんからお嫁さんへと受け継がれてきたものです。しかし、あくまでも生活の道具として自己流で作られてきたため、観光客向けに販売できる品質ではありませんでした。

そこで品質の高い作り方や好まれる商品開発の指導に入るのは、私たちがリクルーティングした専門家です。まずリーダーとなる人たちを育て、そのリーダーたちが地元の女性たちに物づくりを指導します。ときに口を出したくなることもあるそうですが、最後の最後までぐっと我慢します。なぜなら、単なる商品開発ではなく、地場産業の振興を担う“人材”を育てることが、私たちの役割の大きなひとつだからです。

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無印良品に出荷するフェルトの羊人形の製作をする女性たち
Photo: 鈴木革/Kaku Suzuki(JICAフォトライブラリー)

伝統的なフェルト工芸品は足で踏み固めたもので、“けもの”を感じる臭いが残っているものも多いのですが、プロジェクトでは品質にこだわり、ニードルを使って手で丁寧に制作され、不快なにおいはありません。

動物をモチーフにしたフェルト製の人形はおみやげとして人気ですが、当初、女性たちが作る動物は彼らが知る動物本来のかたちに近く、野性味のあるやせ型でした。ぬいぐるみとしてかわいいデザインにだんだん近づいていった結果、今はふっくらした動物になっています。

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Photo: 木原基行

2011年からは「無印良品」と連携し、キルギスの生産者たちが作ったフェルト製の小物が世界各地の店舗で販売されています。日本のショップでも見たことがあるかもしれません。

大きな収益や生産技術の向上にもつながっていますが、何よりも大きいのは、女性たちが仕事を持つことで安定した収入と自信、家庭内の地位を手にしたこと。一村一品プロジェクトに関わっている組合員は、2018年末で2,591名、その67%を女性が占めています

開発途上国の支援活動をする“仕事の醍醐味”について

── JICAでの仕事にやりがいを感じるのは、どんなときですか?

人や国の成長を感じるときです。カンボジアに赴任していたときに出会ったある青年は、聡明で人柄も良く、将来が楽しみだなと思わせるような人材でした。十数年が経ち、今ではカンボジアの水産開発について率直にアイデアを語り合える存在になりました。開発途上国から日本へ留学したいという人に向けて大学探しを手伝うこともありますが、この若者たちと10年後にはいろんな議論ができるのだろうなと考えると、楽しみです。

開発途上国の支援というと、私たちが励ましていると考えがちですが、むしろ逆です。ともに課題解決を考えることで、改めて日本が発展した過程を学び、日本の良いところも知ることができます。そして、課題解決のために努力している途上国の方々からエネルギーをもらうことのほうが多いように思います。

── 仕事と子育ての両立は大変ではないですか?

9歳の息子が一番の協力者かもしれません。年に4回ほど海外出張がありますが、息子は理解して帰りを待ってくれています。期間を短く、行き先は近場にと、職場も子育てとの両立を後押ししてくれます。周りの理解とサポートのおかげで、恵まれた環境で仕事をさせてもらっています。

私にとって3年4カ月を過ごしたカンボジアは第二の故郷ですが、そろそろ外へ出て、第三の故郷を作れたらいいなと思っています。そのとき、息子が一緒に来てくれたらうれしいです。

── これからはどんな仕事に携わっていきたいとお考えでしょうか。

人に関わる仕事をしていきたいという気持ちは、変わらず持ち続けると思います。

人はその国の宝である」ということはつくづく感じます。内戦などで国が崩壊の危機に遭ったとしても、人々が立ち直れば国は必ず立て直すことができます。仕事を通じ、人が育つと国は変わるということを何度も見てきました。

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Photo: 木原基行

物資や資金の支援だけでなく、JICA職員として人材の育成に関わっていることは私の自信でもあり、自分が日本人であることに誇りを持てるようにもなりました。

国の支援というと、とてもスケールの大きなことを想像するかもしれませんが、「その国の人の暮らしをサポートする」と考えればもっと身近に感じていただけるのではないでしょうか。旅行や出張で海外に行く機会があれば、その国の歴史や文化、社会はもちろん、人に思いを寄せてみてください。きっと大きなエネルギーとなってご自身に返ってくると思います。

【お知らせ】

ライフハッカー[日本版]の運営会社・メディアジーンが運営するカンファレンス「MASHING UP vol.3」にて、JICAと関連したセッションが行われます。


▼11月8日(金)17:00〜17:30

アスリートとして、女性として ~挑戦し続けることの価値~

伊達公⼦(テニスプレーヤー/JICAオフィシャルサポーター)


▼2019年11月8日(金)17:35〜18:25

スポーツから考える、ジェンダー平等 明日につながるスタートライン

浦輝大(JICA青年海外協力隊事務局「スポーツと開発」担当)

野口亜弥(順天堂大学女性スポーツ研究センター研究員)


MASHING UP

日程:2019年11月7日(木)・8日(金)

会場:トランクホテル 東京都渋谷区神宮前5-31

主催:MASHING UP実行委員会(株式会社メディアジーン、mash-inc.)


Photo: 木原基行 , JICAフォトライブラリー

Source: JICA - 国際協力機構 , MASHING UP vol.3