誰もが知っているのに、実態はよくわからないものの一つに「能」が挙げられるのではないでしょうか。
高校教師であった24歳の頃に見た舞台に感激し、そのまま能の世界に飛び込んだという異色の人物が、IBMのWebメディアMugendai(無限大)に登場しています。インタビュー内容は、能の基本から「心」の誕生、それに能とVRやARといったテクノロジーの関係と、多岐にわたっていました。
霊の声に耳を傾ける役の「ワキ」方が考える、能は現代でのARやVR
インタビューに登場していたのは、能楽師の「ワキ」方として活躍している安田登さん。あまり馴染みのない言葉ですが、能は主人公である「シテ」方とその相手となるワキ方で構成されています。映画やドラマの「脇役」という言葉も、ここから派生しているといわれます。
安田さんいわく、能でのワキ方とはあの世とこの世を「分く=境界」存在。能の世界では、シテ方は歴史的に敗者の立場となった幽霊であることが多く、ワキ方は彼らの声に耳を傾けて鎮める僧の役割です。能の観客は、ワキ方と同調することで受け止めたシテ方の思いを「自分の過去」と重ね合わせ、潜在的な過去の痛みを能を観ることで昇華しているのではないかとのこと。
また、安田さんは「能の役割は現代でのARやVRのようなもの」という奇抜な意見もお持ちです。能の舞台は非常にシンプルなため、観客は自身の中に自然にわいてきた月や波の音といった映像や音を自由に重ねられるからです。これを安田さんは「脳内AR(拡張現実)」と命名しています。
なぜ文字が生まれることで心が生まれたのか
安田さんがそう感じるようになったのには、ご本人のバックグラウンドも大きく関係しています。高校教師だった頃から現在にいたるまで、漢字やくさび形文字(シュメール語)といった古代文字を研究する専門家でもあるからです。
そんな安田さんが特に興味を持っているのが「心」について。高校生の頃から「人はどうして心を持ったのか」を考え続けてきたそうですが、あくまで漢字に限定した上でと断りつつ、以下のような持論を展開しています。
私の想像では、人間は文字が生まれたことにより、それまで説明できなかった“もやもやしていたもの”を整理整頓できるようになった。つまり、思考や感情を言語化する手段を得たのだと思います。
(中略)文字に影響されたのは知能だけではありません。人々は胸の中に渦巻いていたあらゆる感情を総括し、「心」として認識するようになっていきます。そのうちに「心」という文字が生まれ、人々は心とともに生き始めました。
安田さんはこれを「知能のパラダイムシフト」と命名しています。しかし、「希望」や「喜び」といったポジティブな感情だけでなく、「不安」や「後悔」などのマイナスの感情にもラベルづけがされ、「心」として認識する副作用も生んでしまったとのことです。
テクノロジーの進化で「心の時代」が終焉し、次の時代はどうなる
そうして始まった「心の時代」ですが、いまや終焉に近づいており、進み続けるテクノロジーこそが終焉の要因と考えているそう。安田さんは、文字の登場以前から現在までを俯瞰し、以下のように語っています。
テクノロジーが発達すれば、思考方法が二次元的なものから三次元的なものに移行すると予想できます。例えばARメガネでは、視る側が三次元図形を各々違う方向から捉えられるところが大変面白いように。
人がARやAIと共存する社会が誕生すれば、私たちの思考方法はおのずと立体化、複雑化します。三次元で見ることや考えることがデフォルトになる可能性があります。
(中略)人とテクノロジーが高次元で共存する社会に移行し、先述したような三次元的ものの見方や考え方が出てくれば、脳内ARも含め、潜在的に眠っていた人間の能力が再び覚醒するかもしれません。
また、言葉、映像、音楽など既存のメディアではない、身体的かつ三次元的な感覚で思いを共有できるような、新たなコミュニケーションツールも生まれるかもしれません。
いま現代人が能から学べること
安田さんは長年能に関わってきた目から見て、これからの時代は、能から学ぶべきことがあると言います。
それは、ずばり「痛み」です。社会が進化するにつれ、痛みに対して鈍感になっていくことを懸念しているものの、能は人間の痛みに一途に向き合ってきた芸能のため、そこから学ぶことは多いと指摘しています。
650年の歴史を持つ能と、最新テクノロジーに共通点を見出し、独自の論点で社会を切り出す安田さんのお話は、能を知らずとも楽しめるのではないでしょうか。インタビューの続きはMugendai(無限大)よりお楽しみください。
Image: Mugendai(無限大)
Source: Mugendai(無限大)