約2カ月前、私は家族と共に日本に引っ越してきました。20歳で日本を出て以来、腰を据えて日本に住むのは17年ぶり。親という立場になって客観的に日本を見ると、それはもう驚くことばかりです。「もう日本には慣れた?」と聞かれますが、「慣れたよ」と言える日が来るのかどうか、もしかしたら慣れる前に再び日本を飛び出してしまうんじゃ、という気すらしています。

では、連載最終回の今回は、日本に帰ってきて気づいたこと驚いたこと焦っていることマレーシアに戻りたいかほかの国に行きたいか、ということを書いていきたいと思います。多少愚痴が入ってしまうかと思いますが、可能な限り正直に伝えていきますのでお付き合いください。

帰国して驚いた、日本の良いところとマレーシアの悪いところ

1:治安の良さと子どもの自立心の高さ

20歳まで日本に住んでいたくせに、改めて、子どもがひとりで道路を歩ける日本はなんて治安が良いのだ、と驚きました。

治安が良いから子どもたちだけで公園に遊びにきて、問題が起これば自分たちでどうにか解決し、時間がくれば自分で判断して帰って行く。マレーシアの同じ年齢の子どもと比較しても、日本の子どもは随分しっかりしているな、と思いました。

マレーシアの場合、臓器売買を目的とした子どもの誘拐が起こるので、子どもから片時も目を離せません。もしかしたらマレーシアの子どもたちも同じように自立心が高いにも関わらず、それを発揮する場がないだけかもしれませんが、やはり目の前に大人がいるとある程度頼る、もしくは大人がすすんで問題に介入してしまうパターンをよく見かけました。ただ、常に大人が側にいる環境なので、マレーシアの子どもは大人に対して物怖じせず意見を言える印象が強いです。

日本の治安と子どものひとり歩き利点に、知的好奇心を満たしやすいというのが挙げられると思います。たとえば、通学路で気になる草花や昆虫を見つけても、子どもが満足するまで観察することができます。一方、大人が送り迎えをする国では、ある程度大人の都合に付き合わされることになり、子どもが自分で自分の好奇心を満たす機会は減ってしまうと感じました。

2:太陽の光を目一杯浴びて健康的な生活が送れる

日本は朝日を浴びる量が多い! さすが「日出ずる国」だな、というところ。私たちが日本に一時帰国するのは冬ばかりだったので気づきませんでしたが、春に戻ってきて知りました。この国は何と言っても日の出が早いです。

日本は縦に細長いので地域によって日の出に少々差はあるものの、私が住んでいる神奈川県の今日の日の出は4時26分。これまで住んだ国と随分違います。アメリカのロサンゼルスは5時42分、カナダのバンクーバーは5時9分(冬は雲に覆われて太陽がまったくと言っていいほど見えませんが)、オーストラリアのシドニーは6時54分、マレーシアのクアラルンプールは7時3分です。

起床時間を7時として、マレーシアの場合は日が出るか出ないか、日本だと起床時間までにたっぷり2時間半日光浴体に蓄積されたエネルギー量が断然違うのが体感できます。あくまで私の個人的な感想ですが、太陽を浴びる量、朝日のエネルギーは日本人の長寿の秘訣にもつながっているのでは、と思うほど。

また、太陽に関して言えば、日本だと夏を除いて日中も外で遊ぶことができますが、マレーシアでは午前11時を過ぎると日差しが強くなり、外遊びはオススメできません。そのため屋外活動は朝6時〜11時、午後4時半〜7時半といった時間が一般的。夕方は蚊の活動が活発になるので、デング熱やジカ熱のリスクを承知で遊びに行くことになります。午前保育で午後を持て余した子どもたちはショッピングモールの屋内遊戯場習い事に行くパターンが多いようです。

規則正しい生活をさせようと思っても、日中に十分エネルギーを消費できない子どもたちは、体力を持て余してなかなか寝付けません。生活パターンを整える方法はマレーシアのママたちの間でよく聞かれる悩みでした。

次に、悪い方の驚きを紹介します。

帰国して驚いた、日本の悪いところとマレーシアの良いところ

1:謝罪文化

日本に帰ってきてびっくりしたのが、謝罪の多さです。たわいもないことで「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」と言われます。

海外帰国組が事あるごとに「海外は〜」「海外では〜」と言って煙たがれることは百も承知ですが、海外ではよっぽどのことがない限り謝罪しません。もちろん「あ、ごめん」程度のことは言いますが、仕事で失敗してもまずは言い訳が先でその後に改善努力の言葉がきます。裁判大国のアメリカではこれが顕著で、私は留学時に教授から「車の事故で100パーセント自分に過失があったとしても「I am sorry」と言ってはいけない」と教わりました。「Sorry」だけならまだしも「I am」をつけてしまうと、自分に過失があったと認めたことになり、裁判で負けると言うのです。

私はアメリカ以外の外国で3カ国住みましたが、やはりどの国でも相当なことがない限り「SorryよりもThank you」を耳にしてきました(滞在中、100パーセント自分が悪い場合でも謝らず、言い訳しかされなかった国も)。教師も親も自分の考えや方針に自信を持っている人が多く、相手の顔色を伺ってSorryと口にする人は私の知る限りではいませんでした。日本にきてあまりにも頻繁に謝られるので、混乱しつつこんなことを考えてしまいます。

「私はその程度では怒りません」

「あなたは私に謝らなければならないほど悪いことをしているのですか?」

「ほかの人はこれしきのことで気分を害して謝罪を求めるのですか?」

悪いことをしたなら謝ることは必要です。悪いことをしても謝らず開き直るのは問題外です。でも、人間は生きている限り、誰かしらに迷惑かけているし、かけられているものでしょう。ある程度のことは明日は我が身で楽に生きてもいいのでは、と思います。

2:子どもに悪意を向けられる

妊娠期間中をオーストラリア、アメリカ、日本の3カ国で暮らし、子育てをほぼマレーシアでやってきた私は子どもに冷たい視線を送られた経験がほぼありません。なので、日本に戻って来て子どもが同じ空間にいるだけで冷たい視線を送られたときや、舌打ちさえもされたときは本当に驚きました。あまりにも驚いて、舌打ちした初老の男性に対して「なんなんですか」と聞いたほどです。

日本は他人との距離が物理的に近いため、相手の行動が目につきやすく不愉快に思うことが多いのかもしれません。もしくは色んな事情で、子どもや女性が嫌いな人が多いのかなとも感じます。でも「自分よりも弱そうだから傷つけてやろう、嫌な気分にさせてやろう」という行動をするのは大人として情けないです。

別に海外が正しくて日本が間違っている、と言うつもりはありません。ただ、帰国してたった2カ月なのに、すでにこのような経験を何度かしており、頻度の高さに驚きます。もしかしたら、「文句を言われるほど、私の子どもへの躾がなっていないのでは?」と思う方もいるかもしれません。でも、公共の乗り物に子連れで乗り込んだだけで「うへぇ」や「うわ…」といった視線を向けられること、ひどい時は舌打ちまでされること、小さい子どもを持つ親御さんなら「あるある」と共感していただけるのではないでしょうか。

帰国子女の子どもの教育で感じる焦り

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Image: Yuganov Konstantin / Shutterstock.com

帰国子女の悩みといえば、英語力の維持がダントツではないでしょうか。しかし、私の焦りや悩みは息子の英語力維持や低下ではありませんでした。

これは予想外でしたが、何よりも焦っているのは「競争心の低下もしくは消失)」です。

私の息子が通っていたマレーシアのローカル幼稚園は、モンテッソーリ教育の理念を取り入れた遊びを通して学ぶ」幼稚園でした。しかし遊んでばかりではなく、読み書き計算も教えてくれますし、英語のほかに希望者は北京語、マレー語、タミール語を学ぶことができます。親は教育熱心で、子どもの知的好奇心を満たすことに惜しみない努力をしていました。競争心も強く、少しでも一歩先を行かせようとしていたと思います。しかしその競争の相手は「同じクラスの誰か」ではなく、「世界中の人たち」でした。

また、「世界に通用する人間にするなら英語を」ではなく、「世界に通用する人間にするならアメリカ(もしくはイギリス)のトップ校を」という考えが浸透していました。帰国を前に息子の語学力の維持に頭を悩ませていた私は、中華系マレーの友人に「日本に帰っても、数年後には英語が綺麗で教育のクオリティが高いと聞くから、オランダに留学させたい」と言いました。すると、彼女は「オランダに行ったその先に何をさせたいの。消去法でオランダを選ぶなら、間違ってる。世界で通用する人間に育てたいなら、アメリカやイギリスのトップ校を目指さなくてはダメ。子どもが望むなら別だけど、親が目標を見失ってどうするの」とハッキリ言われました。

マレーシアの友達はみんな競争社会に身を置いて、目標に向かって全力で頑張っています。使われる側ではなく、絶対に使う側の人間にする家族が一丸となって努力しています。早い段階で子どもの適性を見極め、どのタイミングでどの学校に入れて何を勉強させれば良いか、親が判断して子どもの人生をプロデュースしています。一方、私たちは日本に戻ってきた瞬間から「ノホホン」と暮らしています。「これで良いのか? 今のままだと息子はどうなってしまうのだろう」と焦るけれど、焦ったところでどう正しいルートに乗せればいいのかがわかりません。

日本は穏やかで良い国だと思いますが、ハングリーさに欠けます。そして雰囲気にのまれて己の競争心を失いやすいと思います。しかし、日本から一歩出ると競争ばかり。競争社会は疲れますが、外にはあんなに頑張っている人たちがいるということを知ってしまうと、「ガツガツ感を失った自分自身にどうしても焦りを感じ、不安になるのです。

マレーシアに戻りたいか

では、またマレーシアに戻りたいか、と言われたら我が家の場合は「2つのパターンのみYes」です。

まずひとつ目のパターンは、「日本の家を手放し、骨を埋めるつもりで家族で移住、現地で事業を起こす」場合。ローカル同様に現地教育システムにのっかるなら、学校の選択肢の多さ経験させられる習い事の幅広さを考えて戻りたいです。

しかし、「帰国することは前提で日本の拠点はそのまま残し、マレーシアの学校に数年間留学させる」というのなら、費用と対価のバランスが悪いので「No」。それに最終的にマレーシア人と同じくアメリカやイギリスの大学を目指すなら、わざわざ学費の高いマレーシアを経由させなくても、親が野心を忘れず子どもの教育にかける努力を惜しまなければ日本に住んでいようがどうにでもなると思うのです。

ふたつ目は、「新たに子どもが生まれた場合」。私は息子をアメリカのフロリダ州で出産する予定でした。幸か不幸か夫の会社が倒産し、マレーシアに流れ着いたわけですが、結果的に息子をマレーシアで育てられたことを大変嬉しく思っています。その最大の理由は、人の優しさが溢れていたから。マレーシアに限らず、東南アジアの人たちは一様に子ども好きで朗らか。どこに行っても本当に恐縮するくらい良くしてくれました。おかげで息子は自己肯定感が高くポジティブで、人種に対して偏見も少ない方だと思います。これは思わぬ収穫でした。今のところ予定はなく、ひとりっ子確定も同然ですが、万が一にも子どもが増えるなら同じ経験をさせてあげたいと強く思っています。

さて、私の長かった海外放浪もこれでひと段落しました。しかし、日本にいたとしても私の子育てテーマは「教育 ×海外」であることには変わりないので、できる限りテーマに沿った旅を息子と続けていきたいと思っています。それがいつ始まるのかわかりませんが、その時にはまたご報告できればと思っています。

長くなりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

中川真知子 | Twitter

1981年、神奈川県生まれ。サンタモニカカレッジ映画学部卒業。評論家を目指していたが、とある映画関係者から「作る苦労を知らずに映画の良し悪しを語るな」とアドバイスされ、帰国後はアニメ会社GONZOで制作進行を務める。結婚を機にカナダに引っ越し、オーストラリアではVFXスタジオのAnimal Logicでプロダクションアシスタントを経験。その後、オーストラリアでソーシャルワーカーと日本語チューター、Kotaku Japan翻訳ライターの三足のわらじを履き、夫の仕事に合わせてフロリダに引っ越す。現在はマレーシアでゆったり子育てを楽しみつつ、GIZMODO JAPANとライフハッカー[日本版]、金融サイトのZuu Onlineで執筆中。好きな動物はヒグマ、爬虫類(ワニ、コモドドラゴン)、両生類。好きな映画ジャンルはホラー。

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