先日、とある女子大学で「幸福」について授業をする機会がありました。そのとき、女子大生たちに以下の質問をしてみました。
あなたはどっちになりたいですか? 「幸せ」になりたいか、「北川景子の容姿」になりたいか。

約8割の女子大生は、「北川景子の容姿になりたい」を選びました。そこで、学生の一人にその理由を聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「だって、絶対幸せになれるじゃないですか」
何か変な感じがしませんか?
「幸せになりたい」という選択肢を捨て、「北川景子さんの容姿」を選んだのに、選んだ理由は「幸せになれるから」と。
ここに何か「幸せになるためのヒント」が隠れているような気がします。
手段がなぜ目的になってしまうのか?
よく「手段が目的化する」ということが起きます。
「お金持ちになること」や「モデル体型になること」は手段のはずなのに、ふと気づいたときには、それ自体が目的になっているということです。
さっきの質問の話も同様です。質問に答えてくれた女子学生にとって、「北川景子さんの容姿になること」は手段であり、「幸せになること」は目的です。
目的(幸せになる)が最初から選択肢にあるのに、わざわざ手段であるはずの選択肢を選んでしまうのはなぜでしょうか?
それは、「幸せになる」ということが抽象的でイメージしづらいのに対し、「北川景子さんの容姿になる」というのは具体的で頭の中に絵が浮かぶため、とても魅力的に感じられるから。
つまり、手段が目的化してしまう理由の1つは、「手段のほうが具体的でイメージしやすく魅力的」だからです。
目的を具体化してみよう
では、目的を具体化してみると、どうでしょうか。
目的である「幸せになる」を具体化し、頭に絵が浮かぶレベルにしてみましょう。幸せのイメージは人それぞれですが、ここでは、例として以下をご覧ください。

こんな家に住み、

こんな旦那をもち、

もしくはこんな奥さんをもち、

毎日、こんな料理を食し、

2カ月に1回は豪華クルーズへ。
これらを「幸せになる」の具体的イメージだと仮に設定した場合、最初の質問である「幸せになりたいか? それとも、北川景子の容姿になりたいか?」はどっちが選ばれるようになるでしょうか。
「幸せ」のイメージが抽象的だった最初のときよりは、「北川景子の容姿」に投票する人は減るのではないかと思います。
とはいえ、「幸せのイメージをより具体化することこそが重要」と言いたいわけではありません。むしろ、それで幸せが遠ざかってしまうこともよくあります。そもそも、上述した「幸せのイメージ例(セレブな生活)」は「北川景子さんの容姿になりたい」という手段と同一線上の内容ですし。
では、どうしたらいいのでしょうか。
そこで次回は、「幸せに近づくにはどういうアプローチがいいのか」について書いてみたいと思います。
『幸福論』続き
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