私たち日本人は、あるものに執着してしまっています。
それは人々をハッピーにするためにあるはずなのに、結果として苦しみを生んでいることがあります。いったい、何でしょうか。
それは、「等価交換」への執着です。
私自身がそれに気づいたキッカケから、お話ししましょう。
あげたものでも、同じくらいのリターンがないと不満になる
フィジーに住んでいる私ですが、ある日スーパーに買い物に行ってきました。その帰り道のときの話です。

近所のおばちゃんから、「何買ってきたん?」と声をかけられました。「ライムです」と答えると、「何個?」と質問されました。
なぜ、そこまで聞くのだろうと少し疑問に思いましたが、「10個です」と答えると、おばちゃんがこう言いました。
「じゃあ、6個ちょうだい」
え!?
1個とか2個じゃなくて、6個?
過半数!?
さすが「依存力」最強のフィジー人です。
日本で近所の人が卵を1ダース買ってきたとして、その人に「卵、7個ちょうだい」とは、口が裂けても言えませんよね。
というか、そもそも「何を買ってきたのですか?」みたいな質問すら、基本はしません。そんなふうに思ったものの、ライム6個をおばちゃんにプレゼント。

それから2週間くらい経ったある日の夜、仕事が終わって家に帰ると、ビニール袋がドアノブにかかっています。中をのぞいてみると、ライムが見えました。
「おー。おばちゃん、べつに返してくれなくてもいいのになぁ。見かけによらず、律儀な人だな」などと思いながらビニール袋を持つと、「あれ? 軽っ」。
ビニール袋の中を確認してみると、入っていたライムは、あげた6個じゃなくて、2個。
「え!? 4個足りないっ!」
直感的にそう思いました。
そして、若干、イラッとしてしまいました。
このとき、「あれ? なぜイラッとしたのだろう?」と疑問に思いました。あげたつもりだったライムが2個返ってきたのだから、むしろ喜ぶべきことなのではないかと。にもかかわらず、なぜかイラッとしている自分がいる…。
等価主義による弊害
これが「等価交換」に執着している状態です。
私たちは「ライムを6個あげたんだから、ちゃんと6個返してほしい(等価主義)」とか、「むしろ利子をつけて7個くらいは欲しい(時間軸を加えた等価主義)」などと思ってしまいがちです。
日本人には「人様に迷惑をかけてはいけない」という、行きすぎた「自立」感があります。だからこそ、「等価」もしくは「等価以上」であることを重んじます。「等価未満」は他人に迷惑がかかってしまうと。
一方、フィジーのようなシェア社会では、「自立」の定義は“依存先を増やすこと”。自分の足で立てなくても、支えてくれる人たちがたくさんいれば安定するという考え方です。人様に甘えていいのです。
だから、等価であろうが、等価以上であろうが、等価未満であろうが、何でもOKの「不等価主義」です。

幸せになる手段のはずの「等価」が目的になり、不幸せの原因に
「等価であること」は目的ではありません。
お互いが気持ち良くいられるための手段の1つのはずです。
しかし、私たちはしばしば「等価」に必要以上に固執してしまい、本来の目的を見失ってしまうことがあります。
たとえば、お土産。
「もらったから返さねば」という義務感に縛られたり、「あげたのにもらえない」と不満に思ったり。「等価であるべし」というルールを乱すことを恐れ、乱されれば怒る。
ファミレスではおばちゃんたちが等価にこだわり、1円単位で割り勘。テーブルにたくさんの小銭をぶちまけ、「パーフェクト割り勘」を目的に、貴重な時間を無駄にしてしまっています。
これらは、「等価圧力」と言えるでしょう。
等価に執着することが、どの程度、私たちを幸せにしてくれているのでしょうか。「これだけやってあげたのに、見返りが小さい」とイライラにつながることも多いのではないでしょうか。

「不等価」へ耐性をつけよう
「等価であること」が手段から目的に昇格してしまっていませんか。
当たり前ですが、私たちは「等価であること」を達成するために生きているわけではありません。
等価スイッチをOFFにして、「不等価」にいちいち反応しないことが重要です。
反応しないためには、「不等価」に慣れていく必要があります。
たとえば、会社での人事評価。
「俺はこんなに頑張ったのに、正当に評価されていない」と腹が立つこともあるでしょう。これも「等価」への執着です。不等価に慣れるチャンスだと思って流していきましょう。
等価スイッチをOFFにするというのは、「ギブ(与える)で生きろ」という意味ではありません。「ギブ&テイク」がアンバランスな状態でも反応せずにいようという意味です。
「持ちつ、持たれつ」は等価的、
「持ちつ、持ちつ」はギブ的、
「持たれつ、持たれつ」はテイク的、
「持たれつ、持たれつ、持たれつ、持ちつ、持たれつ」が不等価的です。
幸せの天敵を活用する
そもそも、「人様に迷惑をかけてはいけない」なんて無理です。
心に波風が立たぬよう、「不等価」に慣れ、その耐性を高めていきましょう。
『Vol.6』では、「幸せの天敵は慣れ」と書きましたが、免疫システムの構築には「慣れ」が役に立ちます。
フィジー人のように、バランスシート(B/S)はアンバランスでいい。
もっと柔軟でいいのです。
『幸福論』続き
Photo: 永崎裕麻
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