「資本の論理が繰り広げる過剰な消費社会に対して、人間の論理からもう一度、商品を見つめなおす試み」として、無印良品がスタートしたのは1980年のこと。40年近くを経た現在も、「シンプル」「ナチュラル」「ベーシック」といったイメージは変わることがありません。

MUJIが生まれる「思考」と「言葉」』(良品計画著、KADOKAWA)の著者によれば、そんな無印良品は「戦略」ではなく「大戦略」を持っているのだそうです。

その大戦略は「役に立つ」です。

意外に思う人もいるかもしれませんが、この「大戦略」を、良品計画という会社の一番上のほうに据えています。 商品のデザインも名前も、使っていただく人のお節介にならないように注意しながら、それを手にする人のくらしに役立つことを目指しています。

もし商品やサービスの人気が出たり、売上高があがったりしたとしても、それはあくまで「役に立ったことの結果」です。(「はじめに」より)

いわば、無印良品の概念は、小売業という概念よりも、もっと広いものだということ。そしてそこには“役に立つ”という一本の柱が通っているというのです。

私たちの会社の名前は良品計画で、無印良品という思想を商品やサービスの形にして商いをしています。無印良品という言葉は、“感じ良い社会”を目指して歩いていく私たちのプロセスを含めた行動のすべてを表しています。

その無印良品は、私たちが「無印良品をつくろう」と狙って生み出せるものではなく、生活を感じ良くするために選んだ行の結果です。

泉から水が湧き出るように、花が暖かさにほころぶように「生まれてくる」ものです。本書のタイトルが「生み出す」ではなく、「生まれる」になっているのもそのためです。(「はじめに」より)

そんな本書の第2章「生活が美しくなれば、社会はよくなる ―― 経済は目的ではなく手段、目的は感じ良く生きること。」のなかから、無印良品のあり方を象徴するようなトピックスをいくつか抜き出してみることにしましょう。

「豊か」と言わず「感じよいくらし」と言おう

東日本大地震のあと、8階建ての良品計画本社では、天井から何本もの蛍光灯を外し、エレベーターをしばらく使わないことにしたそうです。注目すべきは、それでも社内から文句は出てこなかったこと。

前より薄暗いオフィスでも「十分に仕事ができます」と、階段を上がってきて息を切らしていても「健康にいいですね」という答えが返ってきたというのです。しかし、もしその目的が経費削減であったとしたら、文句が噴出したはずだろうと著者は記しています。

二〇一一年三月十一日のあと、明るすぎないオフィスで階段を上り下りしていた社員は、それを苦行とは思っていませんでした。

困ったことが起きたとき、その解決に自分も参加していると感じられると、前向きな気持ちになれるのです。「感じ良い」と思えるのです。“豊か”でも“良い”でもなく、「感じ良い」。(61ページより)

「豊か」というと、精神的なものよりも物質的なものに重きが置かれているように思えます。「良い」でもまだ物質的で、便利や快適であることが中心のような気がします。そこで、目指すべき生活を「感じ良いくらし」と呼ぶようにしたというのです。(60ページより)

グローバルな市場経済が行きすぎてはいないか?

世界中が、グローバルな市場経済にのみこまれています。「お金」が瞬時にして世界中を動き回り、「お金」が「お金」の増殖を求め、個人も企業も国家までもが、果てしない競争に書き込まれてしまったということ。

そしてグローバルな市場競争という仕組みのなかで、人間が圧迫されているわけです。

その一方、社会は思いやりを失い、監視社会へと変容してしまいました。ITやデジタルメディアを通じ、たとえそれがわずかな失態であったとしても、他人のスキャンダルをおもしろがり、心ない言葉を投げつけ、追求することを快楽とする人が目立つということ。

そのような流れを食い止め、失ったものを手に入れなおすため、いま一度、人間同士の顔の見えるつながりを回復できないかと著者は考えるそうです。なぜならそうすることで、倫理や道徳も成立するはずだから。

過剰な市場競争と不寛容な情報社会に覆われる現代において、私たちに必要なのは、日常生活からもう一度「自然と人」「人と人」「人と社会」のつながりを紡ぎ合わせていく努力。

その意味で、現在の小売業にとっては、この「つながり」のサポートこそが使命であるというのです。(63ページより)

生活の「豊かさ」を問い直す

この項で著者は、2012年にブラジル・リウオデジャネイロで開かれた国際会議における、ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領の演説を紹介しています。少し長いのですが引用しておきましょう。

《いまの文明は、わたしたちがつくったものです。わたしたちは、もっと便利でもっとよいものを手に入れようと、さまざまなものをつくってきました。

おかげで、世の中はおどろくほど発展しました。しかしそれによって、ものをたくさんつくって売ってお金をもうけ、もうけたお金でほしいものを買い、さらにもっとたくさんほしくなってもっと手に入れようとする、そんな社会を生み出しました。

いまや、ものを売り買いする場所は世界に広がりました。わたしたちは、できるだけ安くつくって、できるだけ高く売るために、どの国のどこの人々を利用したらいいだろうかと、世界をながめるようになりました。

そんなしくみを、わたしたちはうまく使いこなしているでしょうか。それとも、そんなしくみにおどらされているのでしょうか。

人より豊かになるために、情けようしゃのない競争をくりひろげる世界にいながら、「心をひとつに、みんないっしょに」などという話ができるのでしょうか。誰もが持っているはずの、家族や友人や他人を思いやる気持ちは、どこにいってしまったのでしょうか。

(中略)

人類がほらあなに住んでいた時代の生活にもどろう、と提案しているのではありません。時代を逆もどりさせる道具を持とうと言っているのでもありません。

そうではなくて、いまの生き方をずるずると続けてはいけない、もっとよい生き方を見つけないといけないと言いたいのです。わたしたちの生き方がこのままでよいのか、考え直さないといけない。そう言いたいのです。

古代の賢人エピクロスやセネカ、そしてアイマラ民族は、つぎのように言いました。 「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっととほしがることである」 このことばは、人間にとって何が大切かを教えています。》

出典『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』くさばよしみ編、中川学絵、汐文社(65~67ページより)

世界で最も貧しい大統領と言われたムヒカ氏のこのスピーチは、世界中の多くの人々の共感を呼びました。記憶に残っている方も多いと思いますが、それは著者も同じ。

「政治や経済ではなく、ひとりひとりの意識と生活から」と訴える大統領の言葉が、無印良品の考え方と同じであることを知り、勇気を得たというのです。(64ページより)

そもそも「消費社会へのアンチテーゼ」から始まった

いうまでもなく、現代は消費社会です。消費社会とは、すべてのモノを消費の対象として見る、消費の対象とならないモノは無価値と考えるというもの。

消費社会現象が生まれるのは、生産力に余剰が生まれたときで、16世紀には上層階級の一部において、すでに見られるようになっていたそうです。

そして消費社会は、「生産力が非常に発達し、つくればそれを消費者が受け取って使う」「必要のないものまでつくって消費者に買わせる」「買わせなければならない」というふうに変容していくもの。

それを持っていないのであれば、どことなく「格好悪い」と思わせて、心理的に追い込んでいく…。それがマーケティングの成功となるわけです。

しかし、それは本当の意味で消費者にとって有益なのだろうかと、著者は疑問を投げかけています。

現代の消費社会は「リゾーム化」(それが本当に実用の価値があるのかわからなくさせること)、「ガジェット化」(使用価値から考えると、無意味でも持っていると安心だと思わせること)、「ファースト化」(流行ややすさを前面に訴え衝動的に購買を煽ること)といった3つのしかけが強固になる一方だから。

そもそも無印良品は、「消費社会へのアンチテーゼ」としてスタートした概念。そして、ここでは、無印良品のアートディレクターとして大きな功績を残した田中一光さんが急逝した2002年1月の新聞において、無印良品の仕掛け人である堤清二さんが田中さんを悼んで書いた文章が紹介されています。

《私たちが消費社会の変質に気付いて相談をはじめた時、浮かんで来たのが『無印』という概念であった。

町にはただ値段でのみ勝負する商品が溢れ、他方ブランド名が着いているために高額の海外商品が関心を集め、生活の様式も衣装の様式も混乱を極めている状態への批評を内側に含むものとして、「無印」という概念に「良品」という名前が付いた。

これは反体制商品であった。田中一光の周辺に集まっていた人たちが、軽薄に考えれば自己否定にもなりかねないこのプログラムに前面的に参画し、『愛は飾らない』、『わけあって、安い』というような、彼のパートナー小池一子の名コピーと共に、『無印』は運動としての性格を残しながら、日本の主な都市ばかりでなくヨーロッパにまで広がっていった。》

 出典『朝日新聞』二〇〇二年一月十五日夕刊(74ページより)

また「反体制」という考え方について、堤さんはのちにインタビューで「1つは米国的消費生活、つまり利便性、浪費性、ぜいたくを追う体制への反発。2つ目がファッション性を追う体制への反発」(『朝日新聞』二〇一三年二月二五日)と説明しているそうです。

が、これらに加え、「反体制」とは「差別化消費、ブランド名やデザイナー名で消費を誘導する体制への反発」でもあるといいます。

それは「無印良品がどのように発想されたか」ということであり、お客様に対して、最初に約束した精神でもあるのだそうです。(72ページより)




無印良品のこのような考え方は、私たちひとりひとりの生き方や考え方とも結びついているように思えます。そういう意味では、自分自身にとっての「より感じよい生き方」を見つけ出すためにも、本書は役立ってくれるかもしれません。


Photo: 印南敦史