4年半ほど前のことになりますが、『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』(メイソン・カリー 著、金原瑞人/石田文子 訳、フィルムアート社)という書籍をご紹介したことがあります。
天才と呼ばれる偉人たちが、毎日どう時間をやりくりしていたのかを調べ、紹介したもの。
主観を排除して淡々とまとめていることもあり、とても興味深く読み進めることができたことを、いまでもはっきりとおぼえています。
『天才たちの日課 女性編 自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常』(メイソン・カリー 著、金原瑞人/石田文子 訳、フィルムアート社)は、その続編にあたる“女性編”。
舞踏家のピナ・バウシュ、歌手のニーナ・シモン、作家のスーザン・ソンタグ、作曲家/歌手/演出家/振付家のメレディス・モンクなどなど、さまざまな領域で活躍する143人の女性の日課が明らかにされています。
きょうはそのなかから、3人の女性に焦点を当ててみたいと思います。
草間彌生の日課
一度見たら忘れられないほど強烈な作品でおなじみ、前衛芸術家の草間彌生(1929~)は、子どものころから幻視や幻聴に悩まされてきたことでも有名。
自伝『無限の網』には、「苦しみや不安や怖れと日々闘っている私にとって、芸術を作り続けることだけが私をその病から回復させる手段だった」という記述があります。
1977年に自ら東京の病院を訪れて以来、現在も入院しており、病院から通りをはさんだ場所にスタジオを建て、そこで毎日仕事をしているそう。
そんな自分の日常については、自伝にこう書いています。
病院の生活は規則的である。朝起きれば七時に検温があり、夜は九時に就寝となる。私は毎日、朝の十時にスタジオに入り、夕方六、七時頃まで作品を制作する。
私は自分の作品の制作に専念できるので、日本に戻ってからはものすごくたくさん作品を創ることができるようになった。(25ページより)
事実、ここ20年ほどの間に草間は世界の芸術界から再評価され、作品制作の依頼にこたえるべく、大勢のアシスタントを雇わなければならないほどになりました。
もちろん現在も、ますます精力的に活動中。
2014年には「毎日、作品を作ることで新しい世界を創造しています」とも話しています。
「朝は早く起きて、夜も遅くまで、ときには午前三時くらいまで起きています。ただ芸術作品を作るためにです。私は命がけで闘ってますし、休んでいる暇はありません」(24ページより)
ココ・シャネルの日課
服飾デザイナーのココ・シャネル(1883~1971)は貧しい家庭に生まれ、思春期を孤児院で過ごし、正規の学校教育はほとんど受けなかったといいます。
しかし30歳で誰もが知る有名人になり、40歳で億万長者になりました。
いうまでもなく、仕事こそが彼女の人生。本当に信頼できる唯一のパートナーだったシャネルブランドのために、休むことなく働き続けたのです。
そんな努力のかいあって、すばらしいビジネス・ウーマンになることができたわけです。
しかし同時に、彼女の下で働く人々にとっては、要求の厳しい、横暴ともいえる雇い主だったそうです。
伝記作家のロンダ・K・ガレリックによれば、シャネルのパリ本店のスタッフは常に「気が抜けない緊張状態」にあったのだとか。パリでのシャネルの仕事ぶりについては、次のような記述があります。
スタッフの大半は朝八時半ごろ出勤するが、ココは早起きが苦手で、それより数時間遅れて姿を表すのがつねだった。到着するのはたいてい午後一時ごろだが、陸軍元帥や君主のように派手に迎えられた。
カンポン通りのシャネル本店向かいにあるオテル・リッツのスイートルームで暮らしていたが、彼女がその部屋を出た瞬間、ホテルのスタッフが本店のオペレーターに電話して警戒を呼びかける。店内にブザーが鳴りひびいて、マドモアゼルがまもなく到着します、と伝えられる。
一階にいる誰かが、玄関付近にシャネルの五番をスプレーする。ココが到着したとき、自分のブランドを代表する香りに包まれて入ってこられるように。
[……]「彼女が入ってくると、全員が立ち上がった。学校で子どもたちがするみたいだった」と写真家のウィリー・リッツォが回想している。
それからスタッフは両手を脇につけて一列に並んだ。「まるで軍隊で兵隊が並ぶみたいだ」と従業員のマリー=エレーヌ・マローゼはいっている。(54~55ページより)
シャネルは2階の自分のオフィスに入ると、ただちにデザインの仕事をスタート。
型紙や木製のマネキンなどを使うことは拒否し、何時間も、モデルに直接布をまとわせたり、ピンで留めつけたりして服をつくったといいます。
その間、ひっきりなしにタバコを吸いましたが、座ることはめったになし。上記のガレックによれば、「飲まず食わずで9時間立ちっぱなしでいることができ、トイレに行くことすらなかった」というのですから驚きです。
夜は遅くまで店にいて、仕事が終わったあとも従業員に一緒にいるよう強要し、ワインを飲みながら間断なくしゃべり続けたのだとか。
リッツの部屋では退屈で孤独な時間を過ごすことになるので、できるだけそれを先延ばししたかったというのがその理由。
週に6日働き、日曜や祝日を恐れていたというシャネルは、「“休み”ということばを聞くと、不安になるの」と親友に打ち明けていたそうです。(53ページより)
キャロル・キングの日課
キャロル・キング(1942~)はアメリカのシンガーソングライター。
共作を含めるとポップスのヒット曲を100曲以上つくり、1971年のアルバム『つづれおり(Tapestry)』はアルバムとして史上最高の売れ行きを記録したことで知られています。
彼女は頑固な朝型人間であり、2012年の自叙伝『キャロル・キング自伝 ナチュラル・ウーマン』に「私はいわゆる人の迷惑をかえりみない朝型人間で、夜型の人たちに嫌われる」と記述しているほど。
「誰かが隣の部屋で寝ていようが、シリアルの箱をガサガサ振り、スプーンで音をたてながら紅茶を混ぜ、ぐずぐずしている子どもに『早く、バスに遅れるわよ!』と大声で叫ぶ」というのですから、近くにいた夜型の人たちは大変な思いをしたかもしれません。
とはいえ作詞作曲を手がけるシンガーソングライターとしては、もう少しリラックスして時間をかけ、成り行きに任せることを学ばなければならなかったといいます。
たとえば1989年のインタビューでは、創造上の壁にぶつかることを避ける秘訣を次のように明かしています。
壁にぶつからないために大事なのは、それを心配しないようにすることだと気がついたの。絶対に心配しちゃだめ。 椅子にすわって、なにか書きたいと思って、でもなにも書けなかったら、立ち上がってほかのことをする。それから戻ってきて、もう一度やってみる。
ただし、リラックスしてやらなくちゃだめ。自分の創造性は必ずそこにあると信じるのよ。いままでに一度でもそこにあって、一度でもうまくいったことがあるなら、それはきっと戻ってくる。実際、必ず戻ってくる。
もし困ったことになるとすれば、もう戻ってこないんじゃないかと心配して、自分で自分の邪魔をしてしまう場合だけね。(151ページより)
キングはこのあと、自分の場合、創造性の扉がふたたび開くのは、たいてい1時間くらいあとだと述べているそうです。それ以上かかることもあるけれど、どれだけ時間がかかっても心配はしなかったといいます。
自叙伝によれば、その秘訣は、潜在意識にせっせと仕事をさせ、自我には実権を握らせないこと。
「自我が支配しているときは、作品が自分から生まれる感じで、それでもいい仕事ができることはあると思う。でも、自我が支配的なときは、疑いが生じやすい。(それと対照的に)作品が自分を通してすっと出てくるときは、ふつうよりずっといいものになる」(150ページより)
今回もまた、非常に楽しみがいのある内容。女性は多くの共感を得ることができ、男性は意外な新鮮味を感じることができそうです。
必ずしも冒頭から順番に読み進める必要はなく、どこからでも読むことができるので、長く楽しめること間違いなしです。
あわせて読みたい
Photo: 印南敦史
Source: フィルムアート社