著者は『なぜ、穴を見つけるとのぞきたくなるの? 子どもの質問に学者が本気でこたえてみた。』(石川幹人 著、朝日新聞出版)を執筆するにあたり、子どもたちの素朴な疑問に対して科学的に答えるよう努力したのだそうです。
とりわけ、人間についての科学的な知識は、私たちの日常生活の中で生かすことができます。
たとえば、「なんで嫌なことがあると、イライラするの?」という疑問に対して、「人間はそういうものなんだ」と言われたらどうでしょう。質問した人は、何も得るものがありません。
では、こんなふうな答えが返ってきたら……?
「嫌なことを力任せに解決してきた動物とは違って、人間は暴力を使わないようにして、知力で解決しようとしているからだよ」(「おわりに」より)
このように説明されれば、「なるほど、そうなのか」と理解できて子どもの知識になるはず。さらに、もっと聞きたいことが出てくるかもしれません。
ただし大切なのは、回答を読んで「ふーん、そうなんだ」と思うだけでなく、「そうだとしたら、どんなふうに自分の生活に役立てるかな」という観点で考え、実際に試してみること。
科学的な回答を自分にも応用できるということがわかれば、この世界で科学がどんな意味を持っているかを実感できるからです。
そのような観点から書かれた本書のなかから、「ふつう」についての興味深いトピックをピックアップしてみることにしましょう。
Q:「ふつう」って誰か決めているの?
ふつうとは「平均的なこと」を指す。
けれど、判断している人によって「ふつう」が異なることも多いよ。(285ページより)
ボウリングでは、10本の並んだピンに向かって重たい球を投げ(転がし)、首尾よく10本すべてが倒れたらストライクになります。
注目すべき点は、ボウリングの名人ともなれば、だいたい投げ方が決まっていること。ボールを落とす場所、角度や速度などを予想して投げ、予想どおりになれば高確率でストライクをとれるわけです。したがって、よいスコアを目指すには、平均的な投げ方で「ふつうに投げる」のがいちばん。
一方、野球のピッチャーの場合は事情が異なります。いつもどおりにボールを投げるとバッターに予想され、ヒットを打たれてしまうからです。打たれないためには、いろんな球を投げ、「ふつうをつくらない」ほうがいいわけです。
ところで、中学校の校門で生活指導の先生はよく、「みんなと同じようにふつうに制服を着て登校しなさい」というようなことを口にします。しかし、そんななか、わざとボタンを外してみたりするなど意図的に自己主張する生徒も少なくなかったはず。それは、“ふつうに”制服を着るのではおもしろくないからにほかなりません。
ところが制服に対してはそういう態度をとる生徒でも、自分が好きな野球チームの試合とあれば、一転して選手と同じユニフォーム(英語で制服のこと)を着て応援に行ったりするかもしれません。それは、そうすることがうれしいからです。
こう考えると、周りと同じように“ふつう”にしたいときと、逆に“ふつう”にしたくないときがあるのがわかります。そして、“ふつう”にしたくないときに「ふつうにしろ」と言われると腹が立つのです。(287ページより)
多くの中学校がそうであったように、著者が通っていた中学校でも髪を染めることは禁止されていたそうです。その理由は、「不良に見えるから」。
そうした考え方の背景には、「“ふつう”の中学生は髪を染めない。髪を染めるのは不良中学生だ」という偏見があるということです。
けれど、そもそも偏見をつくり出した社会が悪いのだから、まずは偏見を解消するべきだと著者はいいます。
ちなみにいまでは、この偏見はかなり解消されているかもしれません。つまり“ふつう”の尺度は、時代や状況によって変化するものなのです。(284ページより)
“ふつう”を求める学校
“ふつう”ということばに対して私たちがストレスを感じやすいのは、やはり学校ではないでしょうか? しかし多くの場合、学校では数十人の生徒に対してひとりの先生が対応するのですから、それは大変なことでもあるでしょう。
なにしろ、ひとりひとりの生徒は、それぞれの科目で学習達成度が異なるのです。それどころか、同期や興味もさまざま。なのに全員一緒に学習させなければならないのですから、どうしても平均を想定して授業をせざるを得ないわけです。
そして、予想外の質問をする生徒に対して、つい「ふつうはそんな疑問は持たないのだけどな」などと口走ってしまったりするのです。
「多様性を大切に」と言われる今日ではだいぶ状況が変わっているでしょうが、それでも授業をスムーズに進めるためには、どうしても平均的な考えを中心に取り上げないといけません。結局、「“ふつう”の範囲の中の多様性にならざるを得ないのです。 だから、「ふつうはこうなんだけど」と言われても、生徒側としては、「これが私で、先生が言う“ふつう”になんかなれない!」と思うことがしばしばあるのです。(289〜290ページより)
「ふつうにしろ」といわれてイラっとするのは、自分以外の誰か(なにか)が決めた“ふつう”になる意味がわからなかったり、なれなかったりするとき。
しかし、相手にこちらの事情を伝えてみると、意外に理解してくれることも多いものです。あるいは相手側に事情があることも考えられるので、その点も理解できればなおよいのかもしれません。(288ページより)
結論
ふつうであることの利点も一部あるけれど、むりやりふつうにする必要はないし、ふつうを目指す意義も大きくない。 そもそも“ふつう”の基準があいまいなので、ふつうかどうかは気にしなくてよい。(290ページより)
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収録されている疑問の多くは科学をベースとしたものですが、なかにはこのようなテーマも。こうした問題について、本書の答えを確認しながら家族で語り合ってみたりすれば、さらに視野は広がりそうです。家族のコミュニケーションツールとして、本書を活用してみてはいかがでしょうか?
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Source: 朝日新聞出版