特集『「好き」だけ残して、シンプルに生きる』は、ライフハッカー[日本版]の新コンセプト「WORK FAST, LIVE SLOW.」を体現するようなキーパーソンのインタビュー集です。
第5回は、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司さんのインタビュー。
日本における「幸福学」の第一人者として、世界中に「ウェルビーイング(well-being)」を広めるべく、産官学さまざまな領域で活躍されている前野教授に、ニューノーマル時代における仕事観、さらには人生観について伺いました。今回は前編です。
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前野隆司(まえの・たかし)
山口県出身。1984年東京工業大学卒業、1986年同大学修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て現在慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼任。博士(工学)。専門は、システムデザイン・マネジメント学、幸福学、幸福経営学など。主な著書として『7日間で「幸せになる」授業』『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』などがある。
ロボットの研究者だった私が、なぜ「幸せ」の研究を始めたのか。
今から14年ほど前、私はロボットの触覚や心の研究をしていましたが、その興味関心が次第に人の心へと移行していったんです。
そして人の心、つまり脳を研究するなかで、人はどうしたら幸せになれるのか、そのメカニズムを明らかにしたいと思い、幸せについてのあらゆる研究を体系化するべく「幸福学」という学問を始めました。
自分の人生と仕事がイコールでつながれば、「幸福度」は高まる
私は大学で教える立場にありますが、実はなるべく“教えない”ように心がけています。人の成長を見守りながら、背中をほんの少しだけ押す。なぜなら、主体的な人は幸せだからです。
すると人は自ずと走り出し、「これがやりたいんだ!」と本当にやりたいことに気づく。そんな瞬間に立ち合うことが、教育者としてのこの上ない喜びです。
私自身、幸せの研究を始めてからは、すべてが好きなこと、やりたいことなので、仕事をしている気がしないんです。
私にとっては「生きること=仕事」。そもそも「幸福学」とは、「幸せに生きること」そのものですし、それについて考えたり、人に伝えたりすることでさらに幸せになります。
もちろん、皆が幸せの研究をするわけにはいきませんが、大切なのは自分自身が「心からやりたい」と思うことと、目の前の「仕事」が一致していることだと思います。一致させるのが難しい場合、まずはやり甲斐を感じられるような工夫をしてみてはいかがでしょう。
人生は儚い。「迷う」ことに時間を費やすのではなく、日々真剣に生きる
平均寿命から考えると、いま59歳の私の余命は25年です。一方で、やりたいことは2万年分くらいありますから、最近は仕事や私生活において迷う時間がもったいない。
だから基本的には、どんな仕事も直感で判断します。直感というのは何となく身につく感覚ではなく、過去の膨大な経験や知識があるからこそ身につくものです。
例えば、野球の練習を一生懸命するからこそ、直感でボールを打てるように、日々、真剣に「生きること」に向き合っていたら、自ずと直感は磨かれると思います。
よく「どんなときが幸せですか?」と質問されますが、ブレることなく、ずっと幸せなんです(笑)。
毎日、かなりの量の仕事をしていますが、悩みませんし、ひとつひとつのスピードが早いので疲れることもありません。時折、妻がスローモーションに見えるくらいです(笑)。
例えるならば、子どもが朝から遊んで、ご飯を食べてまた遊び、夜は心地よく疲れてぐっすり寝る。そんな感じの生活ですね。幸せの研究をしているとどんどん幸せになり、何かがほしいとか、何かをしたいという欲求がなくなってきます。
そんな私にとって、一番大事な存在は「妻」。妻と一緒だからこそ充実した人生を過ごせていますし、決して失いたくない存在でもあります。
もちろん妻だけでなく、家族や友だち、教え子も大切。大切なものはどんどん増えていきますから、今は、全人類を妻と同じくらい愛するということを目指しています。
ここ数年は「死」を常に意識して生きるようになり、1秒1秒を本当に大切に生きています。誰もが、いつかは必ず死を迎えます。その日まで、今のこの一瞬一瞬を思い切り楽しまないともったいないですよね。
辛く悲しい経験があったからこそ、今の自分がいる
中学1年の頃、ある同級生に「偽善者」というあだ名を付けられ、いじめられた経験があります。あの時は辛かったですね…。中2でたまたま転校して、それからはいじめられないよう仮面をかぶって生きていました。
正論を言うといじめられるので、興味のないことでも、みんなと合わせるために興味があるフリをしたり。当時、「人生ってこうして自分に嘘をついて生きるのか」と思ったものでした。
いつしか私は、当時のことを忘れてしまっていましたが、2000年代になった頃、女子中学生が「偽善者」というあだ名をつけられ自殺するという事件が起こりました。そのニュースを知った時、「私と一緒だ」と思ったんです。
きっとその子は正論を言っただけで、決して偽善者ではなかったはず。私はその時、これからは「正論」を言おうと決意しました。
当時携わっていたロボットの研究も面白かったけれど、本当はみんなが幸せになる世界を作りたいと思っていたから。「もう嘘で生きるのはやめよう」と決めて、「幸せ」の研究を始めました。
最近になって気付きましたが、中2から幸福学をはじめる45歳までは、ずっと自分に嘘をついていた。輝いた人生に見えるかもしれませんが、ずっと挫折していたんですね。
皆さんは自分の人生を1秒1秒大切に生きていますか?
15年ほど前、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で「今日が最後の日だとしたら、今からやろうとしていたことをするだろうか」と語りかけました。
私は初めてあのスピーチを聞いたときに「大事だな」とは思いましたが、彼の言うように毎日が最後の日だと思って生きてはいませんでした。けれど、ようやく最近、1秒1秒を本当に真剣に生きられるようになった気がします。
今こそ、「どう生きるか」を考えるチャンス
パンデミックや災害といった予期せぬ出来事というのは、先が読めません。当然、人は不安になりますし、なかには、恐怖で思考が停止して、すくんでしまう人もいるでしょう。
その気持ちもわかりますが、このような時にこそ「どう生きるか」といった、根本的なことについて考える必要があると思います。実際に私も、この1年でこれまで以上に生きることや死ぬことを意識するようになりました。
生きている以上、予想外のことは起こります。コロナに限らず、あらゆる疫病や災害は起こりますし、そうでなくても皆、病気や事故、老衰など、多くの人はいつか自分では予想しなかった理由により死を迎えます。それでも生きるために働いたり、喜んだり、悲しんだり、毎日いろいろなことが起こる。
つまり、コロナ禍であっても日々の生活はあまり変わっていなくて、むしろ移動が制限されることで、昔に戻ったような感じさえします。家で仕事をし、家族で食事をする。本来の人間らしい暮らしに戻ったのではないでしょうか。
美しいものを撮ることも幸福につながる
最近は、家の近所を散歩することが日課になっていて、いつもカメラを持ち歩いています。
中学の頃から写真を撮ることが趣味だった私にとって、カメラは仕事道具であり、趣味の道具でもあります。とにかく美しいものを撮ることが好きなのですが、これは「幸福学」とも共通点があるんです。
私は常々、すべての人は美しい心を持っていて、人が心からやりたいことを見つけ「頑張るぞ!」となった瞬間が最も美しいと思っています。
「幸福学」は心の美しさを見つけ、表す学問であり、写真は、地球上にある美しいものを見つけ、表すことができる。幸せとは、心の美しさなのです。
また、茶道や書道など「道」を極めている方は、皆さん美しい心を持っておられます。道を極めるには美しい心が求められますから、私はこれから美しさを見つけるための「写真道」を極めたいですね。
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