新しく始まった特集『「好き」だけ残して、シンプルに生きる』は、ライフハッカー[日本版]の新コンセプト「WORK FAST, LIVE SLOW.」を体現するようなキーパーソンのインタビュー集です。
第2回は、アメリカ・サンフランシスコを拠点に世界で活躍するDJ/プロデューサー・Qrion(クリョーン)さんのインタビュー。今回は前編です(後編はこちら)。
Qrion

1994年、札幌生まれのDJ/プロデューサー。現在はサンフランシスコを拠点に、Mad Decent、Moving Castle、Anjunadeepなどのレーベルからリリースを続ける傍ら、DJとして世界最大級の音楽祭「Tomorrowland」や「EDC Mexico」のステージに立つなど、ダンスミュージック・シーンの最前線を走り続けている。
高校時代、通学バスの中でiPhoneを使って曲づくりをはじめました。
音楽に関しては子どもの頃にピアノを習っていたくらいで、特に作曲について勉強したことはありませんでした。なので今思えば“それほど出来が良くないデモ”のような曲をひたすらつくっていたと思います。
当時曲づくりに使っていたアプリに「SoundCloudに曲をアップロードする」機能があったので、それでポチポチと投稿していたんです。
そんなことを毎日続けていたら地元・札幌のローカルレーベル「SenSe」の方が私の曲を見つけてくれて。それから札幌のクラブイベントに出演するようになり、アルバムを出したり東京のイベントに呼んでもらったり、徐々に音楽の道に入っていきました。
中学生の頃はビジュアル系バンドが好きで、そこから日本のロックバンドを聴くように。その後ダブステップというジャンルにハマっていきました。
ダブステップは、ロックの激しい感じとエレクトロニックの曲調の両方があると感じて、それが自分にとって何だか心地良くて。そこからEDMやハウスのジャンルに流れ着きました。
アメリカでの「1時間」が海外生活の決め手に
最初にアメリカに行ったのは20歳の時です。
SoundCloudやインターネットを通じて、自分の曲が海外の方にもだんだん聴いてもらえるようになった頃、あるアメリカのオーガナイザーに「ギャラは出ないけど、アメリカで1時間のライブセットをやりたいなら来てもいいよ」と連絡をもらったんです。
当時の英語力は挨拶ができる程度。昔英会話を習ってはいたんですが、初心者中の初心者という感じでした。
そんな中初めてサンフランシスコでライブをしたのですが、まったく言葉が通じなくても、自分の音楽を通してみんなが感情的になったり楽しんでくれたりする様子を見て、その1時間がすごく特別なものに感じて。
「違う国で音楽をやっていくのも楽しそうだな」と思ったんです。
当時は、海外に1人で暮らすことに不安はあまり感じていませんでした。興味のほうが大きかったですね。若気の至りじゃないですけど、「失うものも特にないし行ってみよう」という気軽な感じだったと思います。
渡米1日目からホームレスに
私が大切にしているのは「やりたいことだけをやる」こと。
アメリカでの生活は5年目になりますが、あまり深く考えずに行動していることが多いです。それがいい方向に転がっていく時もあれば、もちろん失敗する時もありますが、結局「やりたいから行動に移してしまう」んです。
実は渡米する際、アメリカに着く前日に住む予定だった部屋が借りられないということになり、渡米1日目からホームレスに(笑)。
今思えば、きちんと事前に「これくらい貯金してから行こう」「複数の人に声をかけてから行こう」とか、いろいろ対策をしてから行けば良かったのですが…。当時は音楽をすること以外は何も考えていませんでしたね。
そんなトラブルがありながらも、なんとか現地の友人が住んでいる一軒家にシェアハウスのような形で居候することができました。
最初の2~3年は、年に3回くらいDJやライブの仕事が入ればいいほうという感じ。それ以外は部屋でずっと音楽制作という音楽漬けの生活を送っていました。
「生活の安定=精神の安定」ではなかった
コロナ禍以前は、週末はアメリカ各地のイベントやフェスでライブをして、平日はリミックスやアルバム制作といった生活でした。その頃は収入面でも自分の人生史上一番良かったですね。バブル期でした(笑)。
一方で、生活は安定していましたが、精神的にはちょっときつかったように思います。
ありがたいことにほうぼうから目を向けてもらえて、今まで行ったことのない所に行ったり、新しい人に会ったりすることが多かったんです。
また、イベントの多くは出演が夜中から明け方。その後朝8時に飛行機で次の街へ移動、というスケジュールで体力的にもちょっと辛くなっていて。
これまでそうした生活サイクルに身を置いたことがなかったので、楽しい反面ストレスもあったのだと思います。
あと実は私、すごく根暗で友人も少なくて(笑)。1人でiPhoneで曲をつくるような内向的な性格なのに、周囲からの期待に応えようと明るく振舞ったり、慣れないことへのストレスでマネージャーに辛く当たってしまったりと、自分らしくいられない時期がありましたね。
不安定な精神を落ち着かせてくれたセラピー
そんな生活にも徐々に慣れてきた頃、ちょうど去年の3月頃からコロナが広がって、アメリカでは外出禁止令が出されました。そこで仕事がゼロになったりして、精神的に沈むことが多くなりました。もともと、嫌なことがあるとそれをずっと引きずってしまうタイプなんです。
仕事もない。友だちとも会えない。そして大統領選や人種差別の問題も起きたりと、とにかくアメリカではいろいろなことがあった激動の1年でした。
そこで、去年の5月頃から週に1回、1時間のセラピーに通ってカウンセラーにお話を聞いてもらっています。これがすごく精神の安定につながっていますね。
セラピーを通して学んだのは、「1つのことに対していろんな見方がある」こと。以前よりも物事の捉え方のアイデアが増えたし、考え方が大きく変わりました。
好きなことの共通項は「1人で黙々と」
好きなことを続けるのは、もちろん楽しいことばかりではありません。アメリカに来てから、好きな音楽に対してもストレスを感じることがあります。
アメリカは、音楽を仕事にしている人口が日本よりもかなり多いです。特に、自分がやっているハウスやテクノといったジャンルは、アメリカではかなり母数が大きく、常に誰かが新曲を出したりイベントに出たりと、動きが活発な業界なので、周囲の活躍を自分と比べちゃう時があって。
でも、そんな時は筋トレをするようにしています。スポーツはあまり得意ではないのですが、ここ1~2年は毎朝20分、腹筋をしています(笑)。
曲づくりもそうですが、1人で黙々と何かに没頭することが自分は好きなんだと気がつきました。
コロナ禍で気づいた「続けること」の大切さ
コロナ禍でいろいろ状況は変わりましたが、一方で「何事も続けることが大事だ」ということにも気づかされました。
こうした状況になって、札幌の家族から「一度帰ってきたら?」と言われたのですが、ここで帰国したらもう戻って来れないような気がしたんです。
当然ですけど母国の環境は快適じゃないですか。でも「それは甘えだ」「ここは気合いでアメリカに住み続けよう」と思って。そう決めてからは精神的に強くなったような気がします。
アメリカでは、ようやくイベントやフェスが開催されるようになって、自分が出演する予定のイベントも決まり始めています。まだまだコロナ前のような状況とは言えませんが、徐々に戻りつつあるといった感じです。
またいろんな街に行ってみんなの前で音楽を披露するのが、今はすごく楽しみです。
▼後編はこちら
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Source: SenSe