文章の読解力を身につけるのは大変なことーー。そう感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
しかし、20年以上にわたって中学生や高校生に国語を教えているという『一度読んだら絶対に忘れない国語の教科書』(辻 孝宗 著、SBクリエイティブ)の著者は、「読解力を伸ばすことに才能やセンスなんて関係ない」と断言しています。
国語が苦手な人は才能がないのではなく、読解力を伸ばすための方法を知らないだけなのだと。
では、どのように勉強すれば読解力を伸ばせるのでしょうか? この問いに対し、著者は本書で解説されている3つのメソッドこそ重要なのだと述べています。
① 現代文、古文、漢文を“同時”に学ぶ
② 現代文、古文、漢文を横断しながら、読解→語彙→文法の順に学ぶ
③ 文章の7つの型を理解する
(「はじめに 読解力を伸ばしたいなら 現代文、古文、漢文は同時に学べ!」より)
まずは①は、古文と漢文の勉強も、現代の文章の読解力を伸ばすことに重要な役割を果たすということ。
②の学ぶ順番については「文法→語彙→読解」という順番で学ぶことが多いかもしれません。しかし読解力を伸ばすためには、「読解→語彙→文法」の順に学ぶことが理想。古文や漢文の文法などの“暗記モノ”は読解と紐づけて学ぶ必要があるため、最初に文章の読み方の土台をつくるべきだというのです。
そして最後は、世の中に存在する文章の大半は、7つの型に集約できるということ。そのため、文章の型を理解すれば、内容を把握するスピードが飛躍的に向上するわけです。
これらについて、もう少し深掘りしてみましょう。
現代文、古文、漢文は同時に学べ
現代文、古文、漢文を含めた国語の目的は、「現代の文章が理解できるようになること」。この1つだけです。
古文の勉強は、古文が読めるようになることが目的ではありません。
漢文の勉強も、漢文が読めるようになることが目的ではないのです。
(18ページより)
「でも、古文と漢文は、現代文と関係がないのでは?」と思われるかもしれませんが、古文と漢文は、現代の言葉と密接なつながりがあるというのです。
例えば、「決着をつける」「結論を出す」という意味で「けりをつける」という表現があります。
この「けり」は、「キック」という意味の「蹴り」ではありません。
古文の文章によく登場する助動詞「けり」なのです。
古文では、「なりにけり」のように、言葉の終わりに「けり」を付けて「文の終わり」を示します。そこから「けりをつける」で「文章の終わりをつける」という意味になり、転じて「決着をつける」「結論を出す」という意味で現在まで残っているのです。(19ページより)
漢文についても同じ。現代にも残っている「有終の美を飾る」「良薬は口に苦し」「覆水盆に返らず」などはもともと漢文のことばですし、「傍若無人」「切磋琢磨」など、漢文が由来の表現も少なくありません。
したがって、古文と漢文を現代の文章の読解という目的で勉強すれば、国語力が相乗効果的に伸びるわけです。(18ページより)
国語は「読解」→「語彙」→「文法」の順に学べ
先にも触れたように、現在の学校の授業では、現代文、古文、漢文について、それぞれ「文法」→「語彙」→「読解」という順に教わることが一般的です。しかし著者は、「読解」→「語彙」→「文法」の順番で勉強することを推奨するのだそう。
なぜなら、この順序で学ぶことにより、マクロからミクロという流れで文章を理解することができるから。ちなみに、マクロからミクロで、少しずつピントを絞っていく読み方を、著者は「地図をつくる読み方」と呼んでいるようです。
読解には、大きく「マクロな視点」と「ミクロな視点」という2つの視点があります。
マクロな視点とは、文章の全体像をつかむ視点のことです。
次に、ミクロな視点とは、1文1文の意味を正しく理解する視点のことです。
このミクロな視点の精度を上げるために必要なのが、「語彙」と「文法」です。
ミクロな視点の語彙と文法は、マクロな視点が身についた後に、読解と絡めながら取り組むことでより学習効果を上げることができます。(21ページより)
現代文、古文、漢文を横断しつつ、読解を中心に語彙と文法も勉強する。それこそが、読解力をもっとも効果的に高めることができる、理想的な国語の勉強法だということです。(20ページより)
「読解」と「読む」は違う
「読解」とは具体的になにを指すのか? このことを説明するために、著者はひとつの例文を挙げています。
私は、彼のために料理をつくる。
私は、彼のために髭を剃ってあげる。
私は、彼が風呂に入るのも手伝う。
そして私は、彼のために毎日呼びかける。
でも、彼は私に対して反応してはくれない。
彼の目に、もう私は映っていないのだ。
(23ページより)
とくに難しい表現もないので、「読む」ことは誰でも簡単にできるはず。ただし「読解」となると話は別で、ポイントは「私」と「彼」の関係性になります。
彼のために料理をつくってあげているのに、「彼の目に、もう私は映っていない」以上、「私と彼は恋人の関係で、私は彼に尽くしているが、浮気をされている」と考えることもできますが、この「読解」は間違い。
なぜなら「料理をつくる」だけでなく、「髭を剃ってあげる」「風呂に入るのも手伝う」と書いてあるところから、献身的に尽くしていることがわかるからです。つまり「私」と彼は「恋人を超えた関係」であるということ。彼に対して「私」は介護のようなことをしているのに、彼は反応していない。
そう考えると、彼はなんらかの重い病気にかかっており、「私」はそんな彼の回復を信じて献身的に尽くしている、と解釈することが可能。文章を「読解する」とは、こういうことであるわけです。いいかえれば、ただ文字を追うだけでなく、「書き手のいちばん伝えたいメッセージや主張」を解釈するということが、読解という作業だということです。(22ページより)
世間では「子どもの読解力の低下」が叫ばれていますが、そこからは肝心の「読解力を伸ばす方法論に対する言及」が抜け落ちていると著者はいいます。
だからこそ、国語の勉強の仕方がわからないという悩みを抱えている方は本書を参考にしてみるべき。受験生から社会人までの多くの方に、きっと役立ってくれることでしょう。
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