卒業シーズンになると、「卒業したら何するの?」というお決まりの質問をよく耳にします。
それだけではなく、頼まれてもいないのに、今後のキャリアについて、古臭いアドバイスや、現実とかけ離れた助言をする人もいます。
ドクター・スースが書いた『きみの行く道』(邦訳:河出書房新社)の受け売りや、「幸せになれる仕事を見つけるといいよ」といったおなじみのアドバイスは、「幸福感を得ることが、人生の究極の目標であるべき」という偏った視点に立ったものです。
善意の言葉ではあるものの、この手のアドバイスは「幸福感」を得ることが成功の道だという考え方を助長する一方で、もし幸福感を得られないならば、それはある種の失敗であると言っています。
そこで一部の専門家は、永遠に「幸福感」を追い求めるよりも、「充足感」を求めるほうがうまくいく、と主張しています。
どういうことか詳しくご説明しましょう。
「幸福感」を追求すると、逆効果になることがある
たいていの人は「幸福感」について、当たり前のように、何らかの目標を達成することで得られるものだと考えています。
目標とは、たとえば「憧れの仕事に就く」などがあります。「家をもつ」「結婚する」など、人生の節目となる出来事を経験することもそのひとつです。
けれども、「あの仕事に就いて初めて、自分は幸せになれる」と思っていると、とんでもないことになります。なぜならその仕事は、いつ失うかわからないものだからです。
人間の行動に詳しいPatrick Wanis博士は、ウェブサイト「Psycom」の最近のインタビューで上記のように説明し、さらに続けます。
そして、この「幸福感」というものを絶えず追い求めていると、自ずと、それが、今ここにはないものだとわかってくるのです。
「幸福感」ではなく「充足感」を求めよう
一方、「充足感」とは、特定のひとつの目標を達成することによってではなく、「価値ある人生を生きる過程」で得られるものだ、と臨床心理学者のJennifer Barbera博士は言います。
具体的には、自分が夢中になっていることや、自分にとって大きな意味があることを追求し、それに携わることです。
たとえば、旅行や趣味のために時間やお金を割く、社会運動の推進に関わる、友情を育み交流を深めるための時間と心のゆとりをもつ、などです。
そうしたことに力を入れれば、「充足感」は、「幸福感」を求め続けるよりも、得やすく、持続しやすいものになります。
充足感があると、失望や悲しみ、喪失感、怒りといったほかの感情に対処しやすくなる場合があります。
Barbera博士は、前述のインタビューでそう述べています。
つまり、喜びや高揚感から、倦怠感や失望、悲しみ、恐れ、不安、さらには気まずい、恥ずかしいという思いまで、さまざまな感情を受け入れやすくなるのです
Source: Patrick Wanis, Psycom.net(1,2),Psychologist Therapist Counselling Hamilton