道なき道を拓き、未だ見ぬ新しい価値を世に送り出す人「起業家」。未来に向かって挑むその原動力は? 仕事における哲学は…? 時代をリードする起業家へのインタビュー『仕事論。』シリーズ。

ビジネス・テック・クリエイティブの三位一体で、事業開発支援を中心にデジタル・クリエイティブ事業を展開する、株式会社Sun Asterisk(サンアスタリスク、以下Sun*)。今回はその代表、小林泰平(こばやしたいへい)さんにインタビュー。「誰もが価値創造に夢中になれる世界」というビジョンの背景や、事業の未来について伺いました。

ベトナムでテックチームを設立。毎年、人数を倍に

──創業のきっかけをお聞かせください。

共同創業者の平井誠人に誘われたからです(笑)。

彼は元々、僕にとってはクライアントで、僕は末端のエンジニアとして彼の事業に関わっていたんです。

印象に残っているのが、能登の漁師さんのお手伝いをしつつ、ハッカソンをやるという謎のイベントに参加したときのこと。

そこでホタテを育てるために使う針金を大量にカットする…みたいな作業があったんです。僕は工夫して生産性を上げるのを楽しめるタイプだったので、自分なりに色んな工夫を凝らして、生産性を高めたのですが、それにすごく賛同してくれたのが彼、平井でした。

彼とそのハッカソンで一緒にハックして作業もして、地元の人も巻き込んで、なんだかすごく楽しかった。その後も交流が続き、ある時「ベトナムでスタートアップスタジオをつくらないか」と誘われたんです。

当時、僕はまだエンジニアとしては3年目くらいの未熟者だったのに「一緒にやろうよ」って。

僕は、すぐに当時所属していた会社の社長に「やりたいことができたから辞めたい」って言いました。アパート解約して、家財は全部友達に譲って「行く準備できました」って平井に伝えたところ「お、まだ会社ないから、早いぞ」って言われました。(笑)

──2012年にベトナムに渡ってからは?

同時多発的に事業をどんどん立ち上げられるようなスタートアップスタジオをつくろうというのがベトナム進出の原点でした。僕の役目はテックチームを構築して成長させること。なので、とにかくチームの成長に注力しました。

背景にあったのが、日本では良いビジネスアイデアがあるにもかかわらず、エンジニアが不足していたという問題でした。

ビジネスを実現するためにテックチームを立ち上げても、結局その事業が落ち着いたら解散、または次の事業のためにチームをゼロから立ち上げる。日本でのテックチームの立ち上げは相当大変だし、知見も経験も引き継がれなくてもったいないなかった。

僕はベトナムに渡る前に、ベトナムや中国のエンジニアと仕事をする機会もあったんです。彼らは、優秀で貪欲で、一緒に仕事して気持ちいい人たちで。

当時の僕には「誰とどんなことをやるか」ということが一番重要でした。だから、そもそも海外志向でもなければ英語も使えないのに、彼らと一緒に何かをやるということの意味がすごく大きくて。面白いことができそうだという思いだけで日本を飛び出しました。

ベトナムに渡ってからは、僕自身もエンジニアとして、それこそ3人月とか5人月分ぐらい分身の術を使って(笑)、頑張って稼ぎながら、ベトナムの若手エンジニアを育成したり…育成といっても、現場で教えるんですが、そういう感じでとにかくひたすらやり続けて、毎年人数を倍にしようという思いで走り続けました

──毎年人数を倍に?

はい。もう初年度から50人採用して、50人を100人、200人に。次は500人っていう風に成長させていたから、その分仕事をつくっていく必要があった。

そのために、優秀なエンジニアと出会えないという課題を抱えた企業らに伴走しました。

「成長して投資できるようになったら、もっと君たちに支払いたい、一緒に上を目指そう!」っていう心意気のスタートアップ企業たちがクライアントで、彼らが応援してくれて応援団までつくってくれたんです。

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ベトナムのテックチームを率いて日本へ
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