『今日も言い訳しながら生きてます』(ハ・ワン 著、岡崎暢子 訳、ダイヤモンド社)は、昨年ベストセラーになった『あやうく一生懸命生きるところだった』の著者による最新作。
『あやうく〜』は昨年末の「年間ベスト10」内でもピックアップしたので、憶えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
著者は、イラストレーターでありながらエッセイで本格的にブレイクした人物。韓国の“普通の人”の思いをゆるく表現した文章が魅力です。
もちろん今回もそれは同じですが、「言い訳」をテーマにしているというあたりが、いかにもこの人らしい気がします。
もちろん、何でもかんでも言い訳するのは人生をダメにする近道だ。 でも、適度な言い訳は人生をおいしくしてくれる味の素みたいなものだ。
つまり言い訳(自己合理化)とは、悩み多き現実社会で、心折れずに生かしてくれる最後の砦なのだ。
どこか一方からだけでなく、さまざまな角度から自分を映してくれる鏡でもある、 客観的な視点にとらわれて生きるのではなく、 少しは主観的に生きてみたらどうだろう?(「プロローグ」より)
“客観”とは、自分ではない第三者の視点。つまり客観的に人生を見つめるということは、他人の視点から推し量るという意味。
そんな視点はもちろん必要ですが、とはいえ客観にばかりとらわれすぎると、主体的に生きられないどころか、他人に引きずられてしまう可能性が大きいというのです。
自分が心から望んだものではない他人の基準に合わせた人生、他人に突っ込まれない程度のなにかを追いかけるような、むなしい人生になってしまうということ。
それではつまらないから、これから先の人生くらいは、自分だけのものさしと観点を重視して主観的に生きたって構わないだろうという考え方。そうしなければ、自分を見失うことにもなりかねないというわけです。
そんな考え方に基づいて書かれた本書のなかから、「生き方」についての主張をピックアップしてみたいと思います。
そろそろ違う生き方をしてみたかった
著者はときどき、退職に関する質問を受けるのだそうです。
「会社を辞めたほうがいいでしょうか?」というものから、「会社を辞めたら、なにをして食べていけばいいでしょう?」というようなものまで。
それは、著者が40歳を目前にして、なんのプランも持たないまま会社を辞めた人物だからなのでしょう。しかし著者はそう聞かれるたび、「そんな重要なことを、なぜ僕なんかに聞くんだ? 僕だってお先真っ暗だよ」と思うのだそうです。
「僕のことを成功した退職者かなにかと考えているようだが、それは100%誤解だ。僕なんかをお手本にしたら人生が狂ってしまうと思う」とも。
なにしろ計画を練って退職したわけではなく、半ば衝動的に退職したようなもの、だから、誰かにアドバイスできるような身分ではないというのです。
本がヒットしたおかげで、それなりに食いつないでいけているけれど、それだって予測できたことではなく、ただ運がよかっただけの話だということ。
だから、多くの退職の悩み相談には、「そうですねえ、もう少しだけ我慢してみたらどうですか? 退職がすべてを解決してくれるわけじゃありませんよ」と答えるしかないのだそう。
そのとおりかもしれません。会社を辞めたら人生がもっとよくなることもあるでしょうが、逆にもっと悪くなることだってあるのですから。
だから、「辞めたいなら辞めたほうがいいですよ」などという無責任なことはいえるはずがないということです。
また同じように、「このまま会社に残って我慢し続けるのが正解なのか」と問われても、違うとしかいえないはず。
結局のところ、著者にもわからないということです。人それぞれに生き方や考え方がある以上、それは当然すぎることではないでしょうか?
これは退職に限った話ではない。生きる姿勢の問題だ。
僕らはたくさんの選択肢から、どれかを選びながら生きている。 そして、選択にはいつだって怖さが伴う。自分の選択がどんな結果につながるかわからないからだ。
先のことはわからない。この不確かさが僕らを臆病にさせる。
この選択で人生が良くなるのだろうか? もしかして悪くなるかも? 誰もわからない。
結果を知る方法は、その道を進んでみること、たった一つだけだ。 その方法しかない。(108〜109ページより)
著者は昔からひどい怖がりで、ずっとびくびくしながら生きてきたのだそうです。40歳が近づいてから違う生き方をしてみたくなったのは、そのせいかもしれないと分析してもいます。
いずれにせよ、失うものもないくせに怖がっている自分が情けなかったのだといいます。そして、「そんなにうまくいっている人生でもないのに、なにか心配することがあるのか」と考えたら、妙に勇気が湧いてきたのだとか。
そこで人生で初めて、ドンと思い切り生きてみようという気になったというのです。そして決行してみた結果、なんだか人生が不思議な方向に流れていっていると感じているそうです。
もちろん、よい方向に。まだまだ、「この先も流れ続けてくれるといいのだが…」という消極的な思いもあるようですが。(107ページより)
「なるようになる」が人生をおもしろく変える
「僕らには、『なるようになる』精神が必要だと著者。「なるようになる」は行き当たりばったりで適当に生きようという意味ではなく、「怖がらないで行こう」という意味だそうです。
どうなるかはわからないけれど、ひとまずやってみようと腹をくくることが大切だという考え方。それは、「どうなろうとその結果を受け入れよう」という責任ある生き方ともいえるといいます。
そうなるかわからないから「怖い」じゃなくて、どうなるかわからないから「気になる」という気持ちで生きれば時世はもっとおもしろくなるはず。(110ページより)
人生の本質は“不確かさ”。どれだけ予測して計画を立て、苦労して対策を練ったとしても、完璧に未来への準備ができるわけではないはず。
そこで、不確かさを楽しむべき。そうすれば、もう少し軽やかになれるだろうから。著者はそう主張しているのです。(110ページより)
ひょっとしたら、人生とは僕らが考えるほど重たいものではないのかもしれない。
それに、もし重くて怖いものだとしても、ブルブル震えながら生きていくなんて御免だ。軽やかに生きたい。恐れよりも好奇心で生きていきたい。(110〜111)
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著者が本書で訴えているのは、自分の人生の肯定的な面を、主観的に見出して楽しく生きることの重要性。
簡単なことではなく、努力が必要かもしれないけれど、努力するだけの価値はあると考えているわけです。その柔軟な発想は、日々の暮らしに疲れているビジネスパーソンに安らぎを与えてくれるかもしれません。
この週末にでも、気軽にページを開いてみてはいかがでしょうか?
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Source: ダイアモンド社
Photo: 印南敦史