議論の途中で、事実や根拠となるデータを出すことは有効だと思われるかもしれませんが、実はそうとは言い切れません。
これは、特にアメリカの政治に関する議論に当てはまります。間違った情報によって国民は二極に分断され、かつてないほど多くの人たちが間違ったものを事実として選んでしまいました。
人と話していて、噛み合わないな、平行線だなと感じたときは、物語やエピソードを使って自分の主張を説明すると、一見分かり合えなさそうな見解の相違を打破できることがあるのです。
議論ではなく、強烈で魅力的なエピソードによって共感を生むほうが、心変わりをさせられることを示す研究はたくさんあります。
今回は、自分のストーリーやエピソードを使って議論したほうがいい理由について説明します。
説教されることが好きな人はいない
事実をもとに議論することが悪いと言いたいのではありません(本来は真逆です)。
ただ、相手が意固地になっていたり、取り付く島がないほど反対しているときは、さまざまな数値やデータを出して指摘すると、さらに悪化したり、尊大だ(あなたが相手をリスペクトしていない)と思われることがあるのです。
これは、Redditのスレッドで「人は説教をされることがどれほど嫌いか」という議論がされる理由でもあります。お互いに尊重し合うことは、自身の主張を聞き入れてもらうために大いに役立ちます。
事実を訴えてみても暖簾に腕押しのように感じられたら、データや事実とは違う角度からアプローチを考えたほうがいいでしょう。
ストーリーは共感を生む
個人的なストーリーと共に主張を説明すると、ただの事実の羅列では訴えられない、人の心の琴線に触れることができます。これは実際に脳の化学反応として起きることです。
カリフォルニア州クレアモント大学センターの経済学・心理学・経営学の教授Paul Zakは、2013年の研究で感動的な物語と共感、人間同士の絆の形成の関連性について調査しました。Zak教授は、人を惹き付けるストーリーを語ることで、脳内のオキシトシンの生成を刺激することができると主張しています。
オキシトシンとは、一般的に出産時に増加することなどでよく知られる神経ペプチドですが、社会的な認識や絆が生まれた瞬間にも生成されるのです。
他人と常日頃から関わる社会的な生き物には、「物語」はある個人やコミュニティから別の個人・コミュニティに大事な情報や価値を伝える効果的な方法です。個人的で感情的な心動かす物語は、脳との結びつきがより強く、ただ事実を羅列するよりも覚えやすいのです。
例えば、選挙権の剥奪について主張する場合、物語はひとつのほうが受け入れられやすいでしょう。
ゲリマンダー(選挙において特定の政党や候補者に有利なように選挙区を区割りすること)の進化に関する一連の話をするよりも、保護観察中に投票したことで懲役5年を宣告された女性のエピソードを話したほうが聞き入れられるのです。
Zak教授が2014年にハーバード・ビジネス・レビューで書いているように、オキシトシンは人が優しさや親切な話に触れたときに生成されます。
オキシトシンは、人が信頼されたり、親切を受けたりしたときに生成され、他者と協力しようという意欲が生まれます。他者の感情を体験する能力、共感力を高めることで起こります。
共感は事実よりも説得力がある
純粋な事実が、実際には説得力に欠けるということは少々受け入れがたいかもしれませんが、誰かに自分の主張を理解してもらうということに関しては、共感のほうが勝ります。
先日発行された全米科学アカデミーの会報で発表された研究で、このことはさらに立証されました。エール大学の研究者たちは、15の異なる研究で、銃規制や中絶など異論のある問題でさまざまな違った政治的意見を持つ人たちと対面し、合意点を確立する一番の手段は個人的な体験であることがわかったのです。
意見の相違があるポイントが直接人々の生活に影響のある倫理的な問題のときは、議論のツールとして「個人的な体験」のほうが勝つというのです。
研究では、非倫理的な相違では、人々は事実と個人的体験の両方を信じますが、倫理的な相違では、客観的な事実よりも、主観的な体験のほうがより真実味があると思われる(疑われにくい)ことがわかりました。
事実だけでは議論に勝てない、というわけではありませんが、生きた経験であれば自分の主張を理解してもらうチャンスがより多くあるということです。
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Image: GettyImages
Source: Greater Good Magazine, reddit, PMC, The Washington Post, Harvard Business Review, PNAS
Sam Blum - Lifehacker US[原文]