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アメリカを理解するためには、絶対に知っておかなくてはならないのがベンジャミン・フランクリンだ。

「ファースト・アメリカン」と呼ばれることの多い「建国の父」たちのなかでも、フランクリンほど、アメリカ人の原型としてロールモデルとされてきた人はほかにいない。

自分で自分をつくりあげた「セルフメイド」の人物。学歴はないが職人から身を起こし、ビジネスで成功して財産をつくりあげた人物。「アメリカ資本主義の父」とされる人物。アメリカ人で、フランクリンのことを知らない人は、まずいないだろう。(「はじめに なぜいまフランクリンか」より)

フランクリン 人生を切り拓く知恵 エッセンシャル版』(ベンジャミン・フランクリン 著、佐藤けんいち 訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の訳者は、本書の冒頭でこのように述べています。

また、「ビジネスパーソンがとりあげるフランクリンは、どうしても仕事術やモチベーション関係のものに片寄りがちだ」という指摘にも注目すべきかもしれません。

なぜならそれは、42歳でビジネス界をリタイアするまでのフランクリンでしかないから。実際には以後も、ビジネスに限らず広範囲な活動を展開したのです。

それは、以下の記述からも理解できるはず。

職人であり、印刷屋であり、新聞発行者であり、文筆家であり、科学者であり、発明家であり、政治家であり、外交官であり……。数え上げればきりがない。しかも博識であった。そして、そのすべてが独学によってなされたのである。

ある意味では「万能の天才」であった。にもかかわらず、「偉大なる常識人」とでも言うべき人でもあった。(「はじめに なぜいまフランクリンか」より)

本書は、そんなフランクリンの『自伝』と『富に至る道』、さらにはあまり知られていないさまざまな文章のなかから生の声を「語録」として再編集したもの。

編集上の都合から文章を圧縮したものや、文章の順番を入れ替えたものもあるものの、大半はフランクリンの発言そのものだそうです。

きょうはIII「仕事術と人間関係の知恵」のなかから、5つを抜き出してみましょう。

清廉潔白であることは、希少価値があるからこそ有利に働く

裕福な商人たちも、貴族や国家、君主たちもみな、自分たちの仕事をやってくれる正直な人間をほしがっている。だが、そういう正直な人間は、きわめてまれな存在だ。だからこそ若い人たちには、貧しい人が成功するには、清廉潔白であることがなによりも重要だということを悟ってほしいのだ。(56より)

「清廉潔白」とは、心にけがれがなく私欲もなく、不正をしようという意思も持たないさまを表したことば。

つまり、人として誠実であることこそが、最終的にはものごとをよい方向に導いてくれるということなのでしょう。

自信過剰で偉そうな話し方をしない

会話で大事なことは、お互いに情報を教え合ったり、人を喜ばせたり説得したりすることにある。だからこそ、自信過剰で偉そうな態度で話をしていては、話し相手を不愉快にさせるだけでなく、反対派を生み出すことになってしまう。その結果、本来の目的をことごとく達成不可能なものにしてしまうのである。

だからこそ、善意に満ちて思慮に富んだ人には、そんな自信過剰で偉そうな話し方をしないよう、善をなすパワーを減退させてしまわないよう、そう心から願ってやまないのだ。でほしいと願ってやまないのだそうです。『自伝』(57より)

人は自分でも気づかないまま、無意識のうちに偉そうな態度をとってしまいがち

しかし、それが意識的なものであれ無意識的なものであれ、相手からすれば気持ちのいいものではありません。でも、そのために敵をつくってしまったり、いろいろな不具合が生まれてしまうのであればもったいない話。くれぐれも、そうならないように注意したいところです。

独断的な言い方はしない

もし君が、自分の意見を述べる際に、自信過剰で独断的な態度をとるなら、相手は反論したくなるから、素直に聞いてはくれないだろう。

もし君が、他人から情報や知識を得て自分を向上させたいのに、自説にこだわっているのなら、論争を好まない謙虚で思慮深い人たちは、君の間違いを指摘することなく、そのまま放っておくことだろう。

また、そんな態度では相手を喜ばすことはできない。自分を良く見せようとすることも、同意を得ようとして説得することも、まず望むことはできないだろう。英国の詩人ポープは賢明にもこう言っている。

「人にものを教えるには、教えるような言い方をしてはいけない。『自伝』(58より)

自分の考え方を伝えたいという思いが強いほど、人は独断的な表現を使いたくなるものです。「そうすれば伝わりやすいだろう」と思うからでしょうが、たいていの場合、それは逆の結果につながってしまうもの。

自分の意見は、あくまで自分の意見。相手も同じ考えを持っているとは限らないのですから、意見を述べるときこそ謙虚な姿勢が求められるのです。

自分が絶対に正しいことはありえない

議長、正直に言って、現時点でこの憲法に全面的に賛同しているわけではありません。

だが議長、今後まったく賛同しないかどうか、確信はもてません。というのは、なんといっても長く生きてきましたので、さらに情報が増えて本格的に検討すれば、一度は正しいと考えた重要事項についても、見解を変えざるをえなくなることは、しばしば経験してきたからです。このため、歳をとるにつれて、他人の主張が正しいのか間違っているのか、自分の判断に疑いを抱くようになってきたのです。

宗教の宗派がたいていそうであるように、自分達は絶対に正しく、間違っているはずなどないと思い込んでいることが多いようで、他人が自分と違う考えをもっていると、その点にかんしては間違っていると見なすのです。『憲法制定会議の審議終了にあたっての演説』(1787年)

*このときフランクリンは81歳!病気のため欠席し、代理人が演説原稿を読み上げた。(62より)

程度の差こそあれ、誰しも心のどこかでは自分が正しいと思っているはず。でも、本当にそうなのでしょうか?

フランクリンがいうように、自分の考えや判断が本当に正しいのかどうかを、まずは冷静に考えてみるべきなのかもしれません。

すべての人を満足させることはできない

こんな寓話がある。お人好しの男とその息子が、売り物のロバを引いて市場のある町に向けて旅していた。道が悪いので父はロバに乗り、息子は歩かせた。

最初に出会った旅人は、父親に向かって、自分だけロバに乗って息子に泥道を歩かせて恥ずかしくないのかと言う。そこで息子を後ろに乗せた。ほどなくして別の旅人たちが、こんな泥道で二人ともロバに乗るなんて、無慈悲な武骨者どもだと言う。そこで父親はロバから降りて、息子だけ乗せておいた。つぎの旅人は、親を歩かせるとはひどいヤツだと息子に言い、父親に対しては子どもの言いなりになるのはバカだと言う。そこで、二人はロバを引いて歩いた。別の一行からは、泥道をロバを引いて歩くなんてバカだと言われた。

父親はもう我慢がならずにこう言った。

「息子よ、すべての人を満足させるなんて無理な相談だ。ロバは捨てて、歩いて行こう」『印刷屋のための弁明』(1731年)(63より)

この父親にもやや優柔不断な側面がある気がしますが(笑)、とはいえ「すべての人を満足させるなんて無理な相談」だという部分には共感できます。

それに、そういう考えを持っていれば、余計なストレスに悩まされることもなくなっていくに違いありません。

まずは、関心のあるところから読み始めてみるだけでOKだと訳者はいいます。さらにそののち他の部分にも目を向けてみれば、フランクリンという多面的な人物の全体像が見えてくるようになるかもしれないとも。

新たな年に向け、常に前向きに楽天的に生きることを実践していたフランクリンのことばのなかから、よりよく生きるためのヒントを見つけ出したいところです。

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Source: ディスカヴァー・トゥエンティワン