「勝手に応援してくれる」お金しか受け取らない
――北極へ冒険に出るには莫大なお金が必要になります。そういう資金集めはどうされているのですか?
最初の10年は、アルバイトでお金を貯めては北極へ行く、の繰り返しでした。でも2010年に「次は北極点挑戦」という目標を掲げてからは、そう簡単にはいきません。
それまではせいぜい数百万だった予算が、文字通りゼロがひとつ増える。とてもアルバイトで賄える金額ではないんです。
そこでスポンサー探しをはじめるのですが、そうなると企業を相手にしなければならない。でも僕は大学中退以来、正社員として働いた経験がないので、そもそも「企業」がどんなものなのか、わからなかったんです。
そこで、まずは「会社に行ってみよう!」ということで、名刺と企画書をつくって、アポなしで大企業をまわりはじめました。会社の集まっている品川駅あたりに行って、知っている名前の会社にかたっぱしから突撃しましたね。
――アポなしで大企業を訪問して回ったのですか?
そうです。でもそのときにわかったのは、大きい企業ほど、どこかしらの部署に取り次いでくれるということ。
そこから先、会ってくれた方にはいろんな人がいましたけどね。ひと通り聞くだけ聞いて「お引き取りください」と言われることが大半ですし。中には親身になってくれる人もいれば、ぞんざいに扱われたこともありました。
そんな経験も踏まえて僕のなかで確立されたのは、「自分からお願いをしない」ということ。
もちろん、資金が必要だから企業をまわるんですよ。でも、へりくだって支援をお願いしてしまうと、そこに上下関係が生じてしまうというか…。
そうではなく、自分の経歴や計画を正直に伝えて、あとは相手の判断にゆだねる、とでも言ったらいいでしょうか。もっとくだいて言えば「勝手に応援してくれる会社からだけお金をいただく」ことにしました。
というのも、僕ら冒険家は、死んだらスポンサーに迷惑をかける存在なんです。スポンサーからしたら、死亡につながるような危険な冒険を支援した、ということになりますからね。
だからこそ、現場で究極の決断をしなければいけない時に、その判断の主体性を揺るがすようなお金のもらい方をしてはいけない。
「せっかくサポートしてもらったのだから、絶対に北極点まで行かなくちゃ」なんて考えるようになったら、命を落とすことになりかねないんです。
最近の世の中って、「この人に投資したら、何年後にどれくらいのリターンがあるか…」とか、メリット・デメリットの話ばかり。資本主義社会に生きていれば、どうしてもそういった側面はあるのは仕方ないことではあるのですが。
個人的に言わせてもらえば、みんな、未来を先取りしようとし過ぎなんですよ。未来の前に、今。今を正しく生きていれば、自ずと正しい未来がやってくると思います。
最終的な判断基準は、自分で「カッコいい」と思えるか
――「未来より今」という話をお聞きしたあとに恐縮ですが…荻田さんの今後の野望はなんですか?


この「冒険研究所書店」をもっとおもしろくしていきたいですね。この空間を飛び出して、「街に出ていく本屋」なんていう試みもおもしろいかなって思っています。
北極は、2019年に行ったのが最後なんですが、来春、久しぶりに行ってみたいなと思っています。北極点挑戦に関しては…いずれ再挑戦するかどうかは、正直まだわからない。
到達できていないという心残りはありますが、最後に行ったのが2014年、30代半ばの一番体が動く年代だったので。でも、40代半ばになった今挑戦したらどんな感じだろう、という興味もあります。
自分の体の変化によって、新たな未知が生まれているわけですから。
――北極以外のどこかに行ってみたいとは思わないんですか?
僕はたまたま最初に北極に出合っただけであって、別に北極である必然性はない。でもそれって、皆さんがたまたま日本に生まれたから日本に住んでいるのと同じで。
「ほかにもいい国いっぱいあるのに、なんで引っ越さないんですか?」って言われても、「引っ越す理由がないから」となりますよね。それと同じです。
北極というのは「目的」ではなくて、「目標」なんですよね。いわば、単なるチェックポイント。そこにたどり着くのが目的ではなくて、そのプロセスにこそ目的が潜んでいるというか。
だから、試行錯誤もなしに目標にたどり着いたところで、僕はそこに価値を感じないんです。
今は、ある程度のお金と時間を使えば、誰でもエベレストに登れちゃうような時代。もちろん、そういうビジネスを否定はしませんが、僕が考える本当の意味での「冒険」とは明らかに異なるものなんです。
――荻田さんでも、悩んだりすることはあるんですか?
もちろんありますよ。日々お仕事をしている皆さんと、そう変わりません。でもさっきも言ったように、動く必要がないときは動かなければいいって思っています。無理して自分を奮い立たせようとするから、みんな壊れちゃうんです。
ちょっとサボって、リフレッシュしてからのほうがはかどるなら、それでいいじゃないです
じゃあ、サボるかサボらないかの判断基準は何か。それは、自分の中にしかない。最終的にその判断を、自分自身から見てカッコいいと思えるかどうか。他人の目なんて関係ないんです。
いかに自分自身の美学に近づくことができるか。主体性とは、その中にこそあるんだと思います。

荻田さんの「原点」
「探検とは知的情熱の肉体的表現である」
『世界最悪の旅』という本の中の一節です。1911年に南極点初到達を果たしたノルウェーのアムンセン隊から遅れること1カ月、2番手として南極点に立ったイギリスのスコット隊がその帰路で全滅したときの話をまとめた本。
著者のアプスレイ・チェリー=ガラードは、スコット隊に随行していたイギリスの動物学者ですが、第一帰還隊に編入されたことで、奇跡的に生還。本書を記しました。
後半に出てくるこの、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」という一文が、端的に冒険の本質をついていると思うんです。一般の人は「冒険」と聞くと、「寒いでしょ」「疲れるでしょ」という言葉をかけてくれるのですが、それはすべて肉体的な部分で表出する現象ですよね。
でも、じゃあなぜ僕らが冒険に行くかといったら、知的情熱があるから。「知りたい」「見てみたい」という想いです。「冒険」というものがこの短い言葉の中に表現されているし、自分自身、すごく勇気づけられます。
それに、これって冒険に限らず、「人間とは何か」を言い当てた表現でもあると思っていて。つまり、「人間とは、知的情熱を肉体的に表現する生き物である」ということです。
初版の発行は100年前の1922年ですが、先日9月30日に河出書房新社から新装本が刊行。僕はその序文を執筆させてもらいました。

荻田泰永(おぎた・やすなが)
1977年生まれ、神奈川県・愛川町出身、在住。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より2019年までの20年間に16回の北極行を経験し、北極圏各地をおよそ10,000km以上移動。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外のメディアからも注目される日本唯一の「北極冒険家」。2016年、カナダ最北の村グリスフィヨルド~グリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ1000kmの単独徒歩行(世界初踏破)、2018年、南極点無補給単独徒歩到達に成功(日本人初)。2017「植村直己冒険賞」受賞。著書に『考える脚 北極冒険家が考える、リスクとカネと歩くこと』(KADOKAWA)など。
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Photo: KOBA Source: 冒険研究所書店