高いパフォーマンスで成果を出す経営者やビジネスリーダーに共通することは、「仕事を面白がる」力の高さ。

この「仕事は冒険だ。――時代を生き抜くキャリアの描き方」特集では、そのような人たちへのインタビューを通して「厳しい時代を楽しく生き抜くキャリアのつくり方」や「冒険のようにワクワクしながら仕事に取り組む方法」をご紹介します。

最初にご登場いただくのは、北極冒険家の荻田泰永さん。北極海を中心に、主に単独徒歩による冒険行を実施し、2000年から2019年までの20年間では実に16回の北極行を経験しています。

「冒険家」という職業を選んだ荻田さんの仕事哲学、また数々の命を脅かす危機を乗り越えてきた方法とは? 2021年5月に神奈川県大和市にオープンした「冒険研究所書店」で、じっくりとお話を伺いました。今回は後編です。

▼前編はこちら

「自分のエネルギーを燃焼し尽くして生きる」北極冒険家・荻田泰永はなぜ冒険へ行くのか | ライフハッカー・ジャパン

「自分のエネルギーを燃焼し尽くして生きる」北極冒険家・荻田泰永はなぜ冒険へ行くのか | ライフハッカー・ジャパン

「冒険家」なんてただのラベル

――荻田さんは、「冒険家としての活動」を「仕事」として捉えていますか?

うーん…難しいですね。この質問に答えるためには、まず「仕事とは何か」という定義から考えなければいけないと思いつつ、無理やり定義する必要もないんじゃないかとも感じます。

仕事って、大人だけがするものではないですよね。もちろん、毎日出勤してタイムカードを打刻して、毎月25日にお給料をもらうことが仕事の定義だとしたら、子どもはそんなことしていませんが。

でも子どもだって、毎日遊んで、勉強して、生きている。抽象的ですけど、「生きていること自体が仕事」とも言えるんじゃないかな、と思うんです。

じゃあ僕が何をして生きているかというと、冒険に出る以外でいえば、今は昨年オープンしたこの「冒険研究所書店」という本屋での仕事があります。接客も仕入れもしますし、昨日は新しい本棚を一日中つくっていました。

あとは、僕の冒険行のスポンサーとの年間契約があったり、新しい道具の開発プロジェクトがあったり。講演会や、こうしたメディアへの出演、あとは文章を書くので、著者としての執筆活動もあります。

でも、すべての活動がお互いに絡み合っている糸のようなもので、この仕事はやりがい重視、この仕事は日銭のため、と分けているわけじゃありません。すべてつながっていて、シームレスなんです。

そもそも、「冒険家」というのも単なるラベルです。社会においては他者がいるから区別するためにつけているだけで、北極の氷の上にいるときは、そんなラベリングは必要ありませんからね。

動かない人は、今は動く必要がないだけ

――どうしたら、やりたいことで生きていけるようになると思いますか?

やりたくないことなんて、僕にもたくさんありますよ。むしろ、やりたくないことだらけ(笑)。講演のオファーだって、正直気分が乗らないこともあります。

でも、やりたくないことを一切やらずに生きていくなんて、不可能ですから。極論、面倒くさいって呼吸するのをやめたり、ごはんを食べなかったりしたら死んでしまいますよね。

でも、やりたくないことをやらないと、その先にある自分が本当にやりたいことはできない

きっとやりたくないことのほうが、やりたいことの何倍も、何十倍も多いですよね。それでもやりたいと思えるかどうか。そこで多少ふるいにかけられるという側面はあると思います。

――やりたいことが見つからない人には、どんなアドバイスをしますか?

アドバイスはできないですよ。「やりたいこと」なんてものは、人から教えてもらうんじゃなくて、自分の中から湧き上がってくるものですから。

冷たく聞こえるかもしれないですけど、今動かない人は、まだ動く必要がないだけなんです。

だって、たとえばライオンが向こうから走ってきたとしたら、誰だって全速力で逃げますよね。動かなかったら、食い殺されるわけですから。動かない人というのは、その人にとってのライオンが、まだだいぶ遠くにいるってことなんだと思います。

だから、唯一アドバイスできるとしたら、もっと追い込まれてみたら?ってことかな。ライオンが、すぐ目の前に来るまで。

――なるほど…。でももしライオンが来ても動かずに、やられてしまったとしたら?

それはそれでその人の決断だから、なんの問題もない。僕だって、自分で勝手に北極に行ってますが、それでもし事故にあって死んでしまっても、自分が主体的に決断した結果なんだから、受け入れられます。

究極の自由って、責任をすべて自分ひとりで受け止めることから生まれると思っています。

でも僕の場合は、単純に「すごくやりたいからやってみた」っていうのともちょっと違う。

もちろん、やりたい。やりたいんですよ。でも、やらなくて済むんなら、やらなかった。しかし、やらざるを得なかった。

ややこしいんですけど、そこに自分がやるべき必然性を感じてしまっただけなんです。ここには何かあるな、という確信。それは、自分にしかわからないですよね。

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「勝手に応援してくれる」お金しか受け取らない
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