誰かと会話をする時に、人と目を合わせている時間がどのくらいあるか、あなたは意識しているでしょうか? 

私はそんなことはしません。私の場合、今まで生きていて、アイコンタクトが問題になったことがないからかもしれません。

あるいは、あまりに自己中で怠慢なので、こうしたことを気にしていないだけかもしれません。理由はともかく、「話をしている時に相手の目をどれくらい見るべきかを気にする」という発想が、私にはそもそもないのです。

ただ、これは興味深い問題です。

私が、これまでの人生でずっと間違っていたということもあり得ます。そこで私は、「アイコンタクトを意識する」文化について、掘り下げて調べてみました。

その結果、さまざまな考え方を知り、疑問がさらに増えたのですが、しっくりくる答えは見つかりませんでした。

「50/70%ルール」とは?

「適切なアイコンタクトのあり方」についてインターネットを検索すると、「50/70%ルール」に触れた記事が山ほど見つかります。たとえば、こちらこちら、さらにはこちらなどです。

50/70%ルールとは、以下のようなものです。

自分が話している時は50%ほど、話を聞いている時は70%ほどの時間、相手の目を見るべき。

何だか良さそうなルールに聞こえますね。ただ、少し詳しく調べてみると、ちょっと怪しくなってきます。

50/70%ルールについて、真っ先に気がつく明白な矛盾点は、単純な算数の問題です。会話をしている両方の人が、最適な割合でアイコンタクトを取ろうとしたら、このルールは成立しなくなるのです。

50%の時間しかこちらを見ていない相手と、どうやって70%の時間、アイコンタクトを取れるのでしょうか? 

そう考えた私は、いったいこのルールの出所はどこなのかという疑問を抱きはじめました。

会話をしながら視線の先を意識的にコントロールするのは困難

一部のサイトでは、「ミシガン州立大学の研究」を根拠として挙げていますが、実際の研究論文へのリンクは貼られていません。

また、ミシガン州立大学の公開講座の教授による投稿は見つかりましたが、唯一の外部リンクは切れてしまっているようです。

被験者がビデオ会議で全体の30%の時間、アイコンタクトを保つと、より多くの情報を覚えていられたという研究結果を1つ見つけることができましたが、これは50/70%ルールとは別の話です。

というわけで、新たな情報が得られるまでは(私が研究を探し当てられていない可能性もあります)、50/70%ルールは、もっともらしく聞こえるがゆえに、誰も検証せず、うのみにしているルールだと考えることにしました。

少なくとも、私が見つけた研究結果(そして、人生のなかで比較的「普通の」交流から得られた個人的経験)によれば、会話をしながら視線の向かう先(そして、視線を合わせるタイミング)を意識的にコントロールするのは、非常に難しいことですし、おそらく生産的とは言えないはずです。

私の言うことが信じられないなら、ぜひ試してみてください。

私も妻と実験してみたのですが、アイコンタクトの正しい割合を計算するのはほぼ不可能であり、会話に集中できなくなるというデメリットがあります。

何より、気味が悪いですし、馬鹿げています。

アイコンタクトを取る、そもそもの「目的」は?

人の体験を分析的に見がちなタイプの人には、「言葉によらないコミュニケーション」というものが、少し不可解に感じられるかもしれません。

というのも、人は言葉を通じて情報を交換しているとはいえ、言葉とは、人の会話におけるほんのわずかな部分にすぎないからです。

残りの部分は、言葉で明示されたり、説明されることはめったにありません。私たちは、非言語コミュニケーションを使って、協力関係や共感を築いているのです。

親しみを表すベストな非言語コミュニケーション

この時助けになっているのが、「相手のしぐさをまねること」です。

会話がスムーズに進んでいる時の私たちは、話したり相手の話を聞いたりしながら、お互いのしぐさをまねています。そして、視線を合わせる行為は、相手をまねする上で大きな要素の1つです。

相手をまねすることが、敬意や親しみの情を築くうえでベストな方法だというのなら、私たちがアイコンタクトを取るべき時間は、相手がどれだけのアイコンタクトを望んでいるかによって決められるべきでしょう。

でもこれは、そんなに単純な問題ではないようです。

というのも、(私がこの件に関する研究結果を正しく解釈しているなら、という条件がつきますが)人が話をしている時のアイコンタクトを取る時間は、本人もわからないうちに、まったく意識しなくても、お互いに同じくらいになるというのです。

アイコンタクトは相手のものとシンクロする傾向がある

つまり、お互いをよく知るようになると、人を見つめがちな人はアイコンタクトを取る時間が短くなり、視線が合うことを避けがちなタイプの人は、相手を見る時間が長くなるわけです。

これは非常にさりげない相互作用です。さらに、まばたきの回数についても、相手とシンクロする傾向があり、まばたきをするタイミングも合ってくるといいます。

誰かと、まばたきのタイミングや、アイコンタクトを取る時間を意識的にシンクロさせることが果たして可能なのか、私は疑わしく思います。

わざと合わせようとしても、逆に不自然になって、相手との同調を欠き、共感や敬意、友情を育むことができなくなるのではないでしょうか。

かえって、「何だかおかしな人だな」という印象を相手に与えてしまいそうです。

私のこうした考えを裏付ける研究もあります。

営業の世界では、アイコンタクトを保つことが相手の説得につながると広く信じられています。しかしこちらの研究では、ずっと目を合わせていると、聞き手の心が離れてしまうという、まったく反対の結果が出ています。

これはおそらく、こうしたしぐさが不自然だからでしょう。

それだけでなく、相手の目を見つめ続ける聞き手は、そうではない人と比べて、説得に応じにくい傾向があることもわかりました。

こうしたアイコンタクトは、いわば防御作用のようなもので、親しげな会話を求める心情とは真逆に位置しているのです(ただし、こうした結果が出ている研究は1つだけなので、その点は注意する必要があります。これとほぼ反対の主張をしている別の研究もあるからです)。

アイコンタクトが苦手な人はどうすべき?

ネット上には、「人と目を合わせるのが苦手な人へのアドバイス」がよくありますが、それらの大半は、「人と話したり目を合わせたりする練習をすれば、だんだん違和感なくできるようになりますよ」という内容です。

確かに、それでうまく行く人もいるのでしょう。けれども、自閉スペクトラム症の人を含めて、そもそも非言語コミュニケーションが苦手という人もたくさんいます。

人とのアイコンタクトを避ける行為は、自閉症の大きな特徴とされています。

自閉症の人では、かなり幼いころにこの現象が現れ、大きくなってからも続くことがほとんどです。自閉スペクトラム症の人のなかには、人と視線を合わせること(それに加えて、人の表情を読みとったり、ボディーランゲージなどの非言語コミュニケーションを理解したりすること)が後天的に「上達」する人もいますが、どうしてもうまくできない人もいます。

そして私には、われわれがなぜ彼らに、「上達」してほしいと頼まなければいけないのか、その理由がよくわかりません。

自閉スペクトラム症の人が自主的に、もっと「定型的」になりたいというのなら、それはかまいません。

でも、自閉スペクトラム症の人に、定型発達(ニューロティピカル)の人のような行動を取るよう期待すること(さらにはそう望むよう仕向けたりすること)は、特定の価値観の押しつけであり、ある種の障がい者差別でしょう。

そうではなく、定型発達の人のほうが、広い心を持つべきです。定型発達の人にとっては、自分と違うタイプの人に対して理解や寛容さ、共感を示すことは、容易なだけでなく、本人にとってもプラスになる行為です。

一緒に過ごしていても、お互いに見つめ合うことはあまりありません。でも、こちらのほうがずっと気が楽です。

つまり、「私の目を見るべき時間」の割合を計算したり、私がまばたきするのと同じタイミングでまばたきをしようとしたりする友人よりも、ということです。

Source: BetterUP, ebright PUBLIC SPEAKING, INHERSIGHT, MICHIGAN STATE UNIVERSITY, Science Direct, National Library of Medicine (1, 2, 3), The Psysiological Society, PLOS ONE