スキンケア、脱毛、メンズメイク…男性も美容にコストをかける時代になりました。しかし、「ただ見た目がよければいい」ということではありません。

「身だしなみ」や「メンテナンス」の大切さ、あるいは「姿勢」や「所作」なども含めたトータルとしての見た目、いわば「人として美しく在る」ことは、人の心をつかむ人間的な魅力につながります。

この「美しく生きる。」特集では、ビジネスパーソンとして、また人として魅力的であるために必要な知識やノウハウ、ストーリーをご紹介します。


今回は「おひとりさま」「草食系」といった流行語を次々と世に広めた世代・トレンド評論家の牛窪 恵さんが登場。仕事においても重要な「魅力的な人間」であるために、現代日本における「モテ」の定義の変遷と、令和の「ビジネスモテ」についてお話を聞きました。今回は前編です。

人に弱みを見せない寡黙さが、男性の美徳だった

時代とともに変わり続ける「モテる人」や「いい男」の定義。日本における「モテ」の変遷を語るとき、避けて通れないのは戦後の高度経済成長期のこと。敗戦によって国の在り方までを否定された日本に、映画や音楽を通じて欧米文化が流入したことで、それまでの「モテ」の定義は大きく覆されました。

男は家族のために外で働き、妻は家で夫を立てて支える。日本では明治時代に民法で規定された家制度の文化が根強く残り、「男たるもの、人に弱みを見せてはいけない」という姿勢や寡黙さが美徳とされていた時代が続いていました。

しかし戦後、欧米から入ってきたのは、自立を夢見る女性と、それを優しく見守る男性像でした。(牛窪さん談、以下同)

たしかに映画「ローマの休日」に登場する男性は、奔放なアン王女に振り回される新聞記者。ヒッチコック監督の作品でも、勇敢なのはたいてい女性のほうで、それを静止したり肝心なときに手を差し伸べたりする男性が多く描かれています。

そしてジェームズ・ディーンのように、表舞台にいながらもどこか影を感じさせる男性は「私だけが、彼の強さにある繊細さを知っている」などと、母性本能をくすぐる対象だったようです。日本の俳優さんでいうと、高倉健さんを例にすればわかりやすいでしょうか。

日本では、1960年代は外国人にも引けを取らない大柄で足が長い石原裕次郎が人気を集め、1970年代には田村正和や沢田研二、松田優作といった、ちょっとミステリアスで影がある男性が、ドラマや歌番組で人気を集めました。

バブル経済はモテの価値観をどう変えたか

1980年のバブル経済期は「3高」なるワードに代表される、高学歴、高収入、高身長の男性がモテた時代。海外出張や海外転勤が多く、大きなお金を動かす「銀行・商社・広告代理店」が人気の3大職種とされました。

当時は、女性は社会に出ても寿退社が一般的。専業主婦としてゆとりある安定した生活を送るために、社会的地位や収入のある男性が理想の条件として重要視されたのです。

しかし1990年代にバブルが崩壊し、大企業が倒産したり終身雇用制度が崩れていったりするなかで、「モテの基準も変わっていった」と牛窪さん。

たとえばファッション。経済の活況期には百貨店で購入したブランドもので全身を着飾ることがステイタスだったのが、バブル崩壊後はアウトドアブームも手伝って、カジュアル嗜好に。人気のファッション誌はこぞって、独自のカラーを持つセレクトショップの特集を組みました。

ブランドものはお金さえあれば手に入れることができますが、カジュアルとなると問われるのは「センス」。

バブル期はお金がものを言いましたが、90年代半ば以降、必要となったのはコーディネート力。また、白いTシャツ1枚でもおしゃれに見えるような清潔感や体づくりに、男性たちが力を入れるようになったころですね。

そして、このころの「モテ」の定義の変遷に「ジャニーズが果たした功績は大きい」と牛窪さんは解説します。モテの条件で「かわいい」という要素が不動となってきたことと、もう1つは「グループのなかに、自分の推しを見つける」という文化ができたこと。

それまでもグループのアイドルは活躍していましたが、どうしてもボーカルなどの1人に人気が集中しやすかったんです。ところが90年代、女性ファンたちがそれぞれの個性を重んじるようになり、人気が分散するようになりました。モテの多様化は、ジャニーズ人気が火をつけたと言っても過言ではないでしょう。

インターネットとSNSの普及が、モテの多様化を後押し

そして2000年代。モテの多様化をさらに後押ししたのが「お笑い」の文化。バブルがはじけて制作費のかかる歌番組が少なくなり、代わって増えたのがお笑い系のテレビ番組でした。

1990年代まではたけしさんやタモリさん、さんまさんといった大物芸人の名前を冠したゴールデンタイムの番組がほとんどでしたが、2000年代から無名の若手が多く入り混じり、いわゆる「ひな壇」に座って先輩芸人にいじられながらも、深夜にその魅力を発揮していくことになります。

また、1990年代前半に黎明期を迎えていたインターネットが広く普及し、2000年代からは誰もがブログなどで発信する機会を得たことも大きいと牛窪さん。Twitterやその後のFacebookやInstagramなどを活用して、テレビなどでは知り得なかったプライベートな一面をさらすようになったことも、今のモテの多様化につながっているとか。

いつもはイジられキャラで笑いものにされているのに、プライベートでは知的だったりグルメだったり、家族を大切にしていたりといった意外性をSNSを通じて垣間見ることで、推しのポイントが増えたのだと考えられます。

ブサかわ、キモかわという言葉が10年ほど前に流行しましたが、以前はネガティブに捉えられていた要素も、見た目からはわからない別の(裏の)魅力と相まって、意外な個性として好意的に受け入れられるようになったいい例ですね。

ここまで牛窪さんのお話を聞き、「懐かしい」と当時を振り返った人も、「そうだったんだ」と新鮮に感じた人もいるでしょう。それでもつくづく思うのは、歴史や経済、流行といった時代背景が「モテ」に大きく関わっているということです。

「男はこうでなければいけない」という確固たる概念が覆された戦後の高度成長期、バブル期を経て、多様化する個性が尊重される令和へ。そして今後はどのような「モテ」が変遷をたどっていくのでしょうか。

後編は、これからの時代で重んじられる「ビジネスパーソン」としてのモテの要素を、牛窪さんに教えていただきます。

▼後編はこちら

取引先から指名される人間になるために。「ビジネスモテ」6つのテクニックとは | ライフハッカー・ジャパン

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牛窪 恵(うしくぼ・めぐみ)

牛窪 恵(うしくぼ・めぐみ)

世代・トレンド評論家。マーケティングライター。立教大学大学院客員教授。インフィニティ代表取締役。「おひとりさま(マーケット)」(2005年)、「草食系(男子)」(2009年)などの流行語を世に広める。「ホンマでっか!? TV」(フジテレビ系)、「サタデーウオッチ9」(NHK総合)、「よんチャンTV」(毎日放送)などのテレビ番組にレギュラー出演するほか、『若者たちのニューノーマル - Z世代、コロナ禍を生きる』(日経BP)をはじめ、数多くの著書・共著を持つ。