スキンケア、脱毛、メンズメイク…男性も美容にコストをかける時代になりました。しかし、「ただ見た目がよければいい」ということではありません。
「身だしなみ」や「メンテナンス」の大切さ、あるいは「姿勢」や「所作」なども含めたトータルとしての見た目、いわば「人として美しく在る」ことは、人の心をつかむ人間的な魅力につながります。
この「美しく生きる。」特集では、ビジネスパーソンとして、また人として魅力的であるために必要な知識やノウハウ、ストーリーをご紹介します。
今回は、京都府・福知山でクラフトビールブランド「CRAFT BANK(クラフトバンク)」を立ち上げた、羽星大地(はぼし・だいち)さんと庄田健助(しょうだ・けんすけ)さんにインタビュー。なぜ彼らなのかというと、その大胆な挑戦と、自分らしく働く姿、キャリアが魅力的でかっこいいから。
出身地も、経歴も、年齢も異なるふたりが出会い、一緒に事業を手がけるに至った軌跡とは? まずは前編、ふたりが出会うまでのストーリーをご紹介します。
▼後編はこちら
「ITって、かっこいい」。新卒で大手企業に就職
株式会社Craft Bankは2021年1月、京都市内から北へ電車で約1時間半の福知山市で創業しました。クラフトビールの醸造所とレストランをつくるためにクラウドファンディングを立ち上げ、目標金額100万円を大幅に超える827万円を達成。

もともと金融機関として使われていた建物をリノベーションし、2022年7月26日に1階の醸造所とレストランパブをオープンしました。

2階はコワーキングスペース、3階はイベントスペース、そして屋上は夏限定のビアガーデンとして、建物全体で新しいことを仕掛けていくといいます。

共同創業者のうちのひとり、CEOの羽星大地さんは福知山出身の30歳。しかし、横浜で大学生活を送り、卒業後は東京でグローバルITカンパニーであるIBMに就職したといいます。
羽星「僕は4人兄弟の末っ子なんですけど、14歳離れた兄がいるんです。パソコン1台100万円くらいする時代からパソコンが家にあって、IT業界で働いていたのを見ていて、漠然と「かっこいいな」って思っていたんですよね。
それに、これからは何をやるにしてもITが必要な時代になってくるんだろうなって。ほかに特にやりたいこともなかったので、新卒採用でIBMに入社しました。そのときは、地元・福知山で就職することは、まったく考えていませんでしたね」
IBM入社から5年で、独立とUターンを決意
職場での人間関係にも恵まれ、順調に3年が過ぎたころ、羽星さんは社内外から声がかかる機会も増え、転職した元先輩からヘッドハンティングを受けることもあったといいます。

羽星「そのあたりから、これからの自分のキャリアをどうしようか、考え始めたんです。転職するのか、それとも自分で事業を始めるのか。
『クラフトビールがおもしろいかも』って思い始めたのも、同じ時期でした。東京のパブで、楽しそうに乾杯している人たちの姿を見て、あ、ビールっていいなって。
そんなころに、友達の結婚式で福知山に帰ってくる機会があって。なんとなく地元が気になり始めたんですよね。福知山でビールをやるのもいいな、と。でも、ビール醸造を始めるにはものすごい設備投資が必要だし、まずは農業でもやりながらちょっとずつ方法論を考えようか…そんなふうに思っていました」
『クラフトビール』と『福知山』。ふたつのテーマが頭に浮かんだとはいえ、資金も、詳細な事業計画もなかった羽星さん。そんな状態で大手企業を退職し、Uターン移住することに不安はなかったのでしょうか。
羽星「僕自身が不安を感じていたというよりも、会社の先輩たちがめちゃくちゃ心配してくれて。明確なビジョンもないまま地元に戻って、あいつ大丈夫なのかよ、と(笑)。
それで会社に籍は置いたまま、テレワークで9時から13時は会社の仕事。そのあとの時間は好きにしていいよ、という時短勤務の制度をつくってくれたんです。
いや、本当に恵まれていますよね。実際のところ先輩たちは、そうやって1年くらい好きにやらせたら、会社に戻ってくるだろうと思っていたみたいです。
でも、実際は2020年の4月から半年間そのスタイルで働かせてもらって、12月に正式に退社しました。会社には、本当に感謝しかありません」
シンクタンク勤務を経て、福知山で起業
もうひとりの創業者、庄田健助さんの経歴にもスポットを当ててみましょう。庄田さんは、兵庫県尼崎市生まれの38歳。北海道大学で建築と都市計画を学び、卒業後は大阪の都市計画シンクタンクに就職します。

庄田「もともと、あんまり大学に行く気もなかったんですけど、『大学行ってくれるなら、日本中どこ行ってもいいよ』って親に言われて。なんとなく、北海道ええなぁ、と。で、専攻の中に『都市計画』があって、おもしろそうだったので北海道大学に入学しました」
就職後は、シャッター商店街の町おこし事業などに携わっていた庄田さん。5年ほど勤めたのち、2015年に独立。その舞台として選んだのが、福知山でした。
庄田「じつは、入社して最初に担当したエリアが福知山だったんです。まあ、僕ら町おこしが仕事なんで、ちょっと廃れたエリアが大好物なんですよ。よっしゃ、俺らの出番や!って。そういう意味で、福知山は“サイコー”でした(笑)。会社に在籍していた5年の間、福知山の事業には、継続的に関わっていました。
会社員時代も、いろんなエリアに新しい店をオープンさせたりしてきたんですけど、店が1軒できたところで、結局町は変わらないんですよ。もうちょっと長期的なスパンで、コンサルだけじゃなくて事業サイドにもきちんと関わって策を打っていく必要があるな、と。じゃあそれをどこでやろうってなったときに、思い入れのあった福知山に決めました」
たきつけられたら、火がつくタイプ
それまでも関わりがあったとはいえ、地元でもない場所で、29歳で会社員を辞めて独立。当初は仕事も満足になく、家族は妻の実家のある札幌へ戻り、単身でのチャレンジだったといいます。
庄田「独立を考えはじめたときに、起業関係の本を片っ端から読んだんです。そうしたら、『前の会社との良好な関係を継続して、まずはそこから仕事をもらうのがおすすめ』って書いてあって、これや!と。
退職金いらないんで、仕事くださいって話をして、その売り上げが年間200万円ほど。でも、ほかの仕事は完全にゼロでした。
そんな状態なんで、住む場所すら借りられなくて、事務所の机の上で寝泊まりしていて。「人がおらんはずのところに人がいる!」って、通報されたこともありました(笑)」
商店街の空き店舗のオーナーを説得して、家賃交渉。テナントを見つけては、店内の改装をし、開業させる。そんな事業を3年ほど続け、なんと計50店舗もの店をオープンさせたといいます。
庄田「でも、なんとなくもの足りなさがありました。そのときの僕は、あくまでコンサルタント。自分の店をやるとか、まだまだ事業サイドには入り込めていなかったんですよね。もっと主体的に事業に関わりたいという気持ちが、どんどん大きくなっていました。
そんなときに、視察で訪れた北九州で出会った不動産デベロッパーの人がいて。ドレッドヘアで、すごくインパクトのある人だったんですけど。その人に、『君は、構造化した枠組みの中で、予算に沿って事業をやっているだけだ』って言われて、ガツンとショックを受けたんです。もっと熱量をもって仕事すればいいのに、と。
結構いろいろ遠慮なく言われたんで、翌日、一緒に視察に行っていた福知山の仲間たちに聞いてみたんです。『昨日のあの人の話、どう思う?』って。そうしたらみんな、『たしかに、庄ちゃんの仕事は、先の見える仕事の仕方だ』って言うんです。
性格上、僕はたきつけられたら「何を!」って火がつくタイプ。みんなそれをわかっていて、火をつけてくるんですよ(笑)。いやでも、たしかにそうだなぁ、と。
好きなことが何かって考えたときに、そのひとつにクラフトビールがあったんです。『自分がクラフトビールをつくるって、ありなのか…?』と。頭のネジが、バシーン!と外れたような感覚でした」

「福知山で、クラフトビール」。まったく別の経歴を歩んできたふたりが、共通のテーマにたどりついたというわけです。後編では、そんなふたりがいかにして出会い、CRAFT BANKが誕生するに至ったのかをご紹介します。
▼続けて後編を読む
Source/Image: CRAFT BANK