誰かから不当な扱いを受けた時、「その不当な扱いをした人を赦しなさい」とアドバイスされることがよくあります。
その場合「(加害者に対して)恨みを抱くことをやめる」あるいは「仕返しすることをあきらめる」ように努めなければなりません。
多くの人は、赦しには「加害者が積極的に赦しを得られるような行動を取ること」や「被害者が忘れること」が必要だと考えるようです。
「赦しをどう定義するかが重要」。そう語るのは結婚・家族セラピストの資格を持ち、Psychology Todayのブログ「Narcissism Demystified」の著者であるDan Neuharthさん。
私は、赦しには一連のプロセスがあると思います。
それは加害者を免罪して被害を水に流す一方で、起こったことを受け入れ、執着せずに忘れていく方法を見つけるというものです。
そして、被害者のこのような心の動きを加害者に伝えることもあれば、伝えないこともあります。
加害者の態度によって赦しのプロセスは変わる
加害者が、自らの行動が相手に与えた影響を受け入れず、自分を変える努力をする気もない場合、赦しは非常に複雑なものになります。
このような状況では、赦しのプロセスを違ったものにするか、赦すことを完全に見送る必要があります。
必ずしもその人を赦すということではなく、自分の中にある辛い気持ちや相手を咎めたい気持ちを手放す方法を見つけることになります。
そうNeuharthさんは言います。
肉体的なものであれ、感情的なものであれ、積極的な害がある場合は、必然的に癒しのプロセスがどうあるべきか本気で考えなければなりません。
赦すことが賢明なのか、それとも相手に謝罪の機会を与えたいのか、じっくり考える必要があります。
赦しより安心感の方が重要なのです。
まず自分の脆さを認識すること
Neuharthさんが指摘するように、赦したり恨みの感情を手放したりするには、自分の生来の弱さや脆さを認識する必要があります。
特に、自分を傷つけた相手とこれからもやり取りし続けると決めた場合、また傷つけられるリスクを受け入れなければならないからです。
自分の脆さを認めるのは難しいことです。
自分の脆さは、再び同じことが起こったらどのような代償を払うことになるのか、認識することで見えてきます。
最後に、Neuharthさんはこのようにアドバイスしてくれました。
前に進んで、「私はこのことを忘れられる。そして、健全な境界線を設定し、用心深くなれると思う。たとえ同じことが再び起こっても、私は大丈夫だとわかっている」と言える人もいれば、「こんなことが起こったら、犠牲が大きいし、自分が傷つくから、そんなの嫌だ」と思う人もいます。
どちらも悪いわけではありません。自分に適しているほうを選べばいいだけです。
Source: Merriam-Webster, Psychology Today, Dan Neuharth PhD MFT