とかく「学び」は、苦しいものだと受け取られがちです。たしかに、大学受験を終えれば勉強が終わるというわけではなく、以後も入社試験や公務員試験、資格試験などの勉強を始めなければならないという場合もあるでしょう。だとすれば多少なりとも、苦しみが続くことになります。

そんなせいもあり、多くの人は勉強を「必死でやらなければならないもの」と考えているわけです。しかし『ゆっくり学ぶ』(岸見一郎 著、集英社)の著者は、効率よく目的を達成するための学び、必要に迫られてする学びが唯一絶対の学びではなく、自身の考える学びはまったく異なるのだと主張しています。

まず、学んでいるまさにその時に楽しいと感じられます。知らないことを知るのは、喜びのはずです。

次に、何の目的もなくても、ゆっくり学び、じっくり考えると、遠くまで、そして思わぬところへと到達します。もっとも、どこかへ到達するために学ぶのではありません。これを学んでどうするのかというようなことも考える必要はありません。

学んでいるその時の楽しさ、喜びに言葉を与えるとすれば、幸福であるということもできます。世間の多くの学びは成功するためですが、私が考える学びは何の結果も出せず目的を達成できなくても、今喜びを感じられることがすべてです。(「はじめに」より)

個人的に、この考え方には強く共感できます。知らないことを知るのは「好奇心を満たす」ことであり、満たされれば満足感や幸福感変えられて当然だからです。

こうした考え方に基づく本書のなかから、きょうは第二章「そもそも学びとは」内の「学ぶことで得られるもの」に焦点を当ててみたいと思います。

自分で考える力を身につける

人は学ぶことを通じ、自分で考える力を身につけることができるのだと著者はいいます。たしかにそれは、とても大切なことではないでしょうか?

たとえば、SNSで見かけたメッセージに書かれていたことを鵜呑みにしてしまう人がいます。そういう人は、少し考えてみれば「これはおかしい」とわかる内容だったとしても、「正しいかどうか」を自分で考えて判断しようとしないわけです。

同じことは、子どものころの学びについてもいえるようです。

学校でなにかを教わっても、教師が話すことや教科書に書いてあることを無批判に受け入れてしまう人は少なくありません。しかし、「教えられたことを覚える」ことが学びの中心になってしまうと、自分では考えられなくなってしまう可能性があるのです。

教師が教えることが間違っていることもありえますし、教科書に書いてあるから正しいと断定することもできないのですから。また、ある文化で生まれ育った人は、その文化において常識とされている考えにとらわれてしまっているため、その常識を疑おうとはしないかもしれません。

三木清は、次のようにいっています。

「精神の習慣性を破るものが懐疑である」(『人生論ノート』)

精神の習慣性とは、これはこういうものだと決めてかかったり、誰かがいっていることに安直に飛びついたりするようなことです。考えることが習慣化されると、本当なのかどうかを立ち止まって考えられなくなるのです。(78ページより)

たしかに学ぶということは、教師が話したことや教科書や本に書かれていることを無批判に受け入れるということではないはず。「試験ではとにかく覚えなくてはならない」と考える人は多いでしょうが、そもそも覚えるのと学ぶのとは別のこと。したがって覚えることに注力しすぎると、考えられなくなってしまうのです。

間違ったことを覚えてしまうと、その知識は有害なものになってしまい、正しく考えられなくなります。そうならないために、学んでいることが本当なのか疑う必要があります。どんなことも鵜呑みにしないで疑えるようになるためには、自分で考えられるようにならなければなりません。(78〜79ページより)

とはいえ、自分「だけ」で考えたのでは、自分で考えたことにはならないのも事実。人から話を聞いたり、本を読んだりすることで、自分の考えとは違う考えに触れる必要があるのです。なぜなら、そうでないと独りよがりになってしまうから。

本を読むにしても、自分の考えを持っていなければ、そこに書かれていることを無条件に正しいと思ってしまうことになるかもしれません。もちろん人の話を聞くときにも同じことが起こるわけで、だからこそ、自分で考えられるようになることが大切なのです。(77ページより)

自己中心性から脱却する

学ぶことによって、自己中心性から脱却できるとも著者は述べています。

幼い子どもは親の不断の援助がなければ生きていくことができないので、親は懸命に子どもを育てるでしょう。しかし、そんな関係性はいつまでも続くものではありません。

子どもはやがて成長し、親の援助がなくても生きていけるようにならなければならないからです。つまり子育ての目標は、子どもの自立なのです。

にもかかわらず、親から援助されることが当然だと思ってしまう子どもは、大人になっても自分が世界の中心にいると考えがち。そういう人は、自分のいうことがまわりの人に受け入れられるという経験をして大人になったため、概して独善的であり、自分の考えることが正しいと思いがちだといいます。しかしそれでは、社会的に成熟することは難しいかもしれません。

学ぶことによって、このような自己中心性から脱し、世界には自分とは違う考え方をする人がいること、自分が世界の中心にいるわけではないことを知らなければなりません。

自分で考えることは大切ですが、他の人の考えに振り回されないためには、まず人の話に耳を傾けなければなりません。自分の考え方だけが正しいと思ってしまうと、そのことの方がより大きな問題です。(80ページより)

自分とは違う考え方の人と議論するか否かによって、人は大きく変わるもの。それがなんであれ、「精神の習慣性を破る」ことになるかもしれない経験をしなければ、独善的になってしまう。だからこそ、自分とは違う考えを知ることは大切なのだと著者は主張しているのです。(79ページより)

受験勉強や資格取得のための勉強をしている人も、脇目も振らず勉強に没頭するのではなく、立ち止まってまわりの風景に視線を移してみるべき。そうすれば、目標を達成することだけに囚われていたことに気づくだろうと著者は指摘しています。結果を出すことよりも、学ぶ過程を楽しめるようになれば、違った気持ちで勉強に取り組めるようになるとも。

勉強に迷いを感じていた方にとって、こうした考え方に基づく本書はきっと役立ってくれることでしょう。

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Source: 集英社