福井県の永平寺で僧侶として20年近く過ごした後、縁あって青森県にある霊場、恐山の院代(住職代理)となり10年以上が経ちました。(「はじめに」より)

こう振り返るのは、『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(南 直哉 著、アスコム)の著者。相応以上のキャリアをお持ちであるわけですが、もともとは人の役に立ちたいという「尊い志」があって僧侶になったわけではないのだとか。

自身が抱える困難な問題に取り組むためには、出家を選ぶしかなかったというのです。

中学3年生で釈迦の「諸行無常」という言葉に出会って以来、仏教に惹かれるようになり、大学卒業後2年間のサラリーマン生活を経て、出家の道を選びました。(「はじめに」より)

以来、修行を続けてきた結果、自分と同じような生きづらさを感じている人たちが少なくないことを初めて知ったのだそうです。たとえば、「どことなく人生が息苦しい」とか、「生きることへの違和感が捨てられない」というように。

そこで本書では、いままで会ってきた人たちとの対話のなかで感じたことや、日ごろ僧侶として考えてきたことを伝えようとしているわけです。

ただし仏教そのものを学ぶ本ではなく、「仏教というツールを使って、こだわりや執着から起こる苦しみの正体を知り、その取り扱い方を身につけるための本」なのだといいます。

そのため読者は堅苦しく感じることなく、自然に自身の問題と向き合うことができるわけです。きょうは三章「感情に振りまわされないために」のなかから、2つの考え方を抜き出してみたいと思います。

感情が揺れてもかまわない

人間に喜怒哀楽があるのは、当然です。動揺したり、怒りがこみ上げたりしても、しなやかに揺れて、またスッと元に戻る「不動心」を目指しましょう。(122ページより)

人は「他人の海」で生きなければならないのだから、ストレスや葛藤があるのは当然。感情が揺れたり乱れたりするのもまた当然だと著者はいいます。

大事なのは、その波に巻き込まれたり、流されたりしないようにるすこと。すなわち、感情が「心」という器からこぼれさえしなければいいわけです。

ところで、「不動心」ということばがあります。それは、なにがあっても動かない心のことでも、まったく波立たない水面のように静かな心のことでもないのだそうです。

私が考える不動心とは、揺れてもいいがこぼれない心のこと。ヤジロベエのようにゆらゆら動いたとしても、軸は一点に定まっている心のことです。(123ページより)

たしかにヤジロベエは、どんなに大きく揺れたとしても決して台から落ちません。不測の事態に動揺したり、理不尽な目に遭って怒りがこみ上げたりしても、しなやかに揺れてスッともとに戻る。

自分が決めた軸から外れなければいいのですから、その間でなら揺れてもまったくかまわないわけです。

人が感情に翻弄されるのは、根本的に物事の認識を誤っているから。感情の問題の大半は、ものの見方と考え方の問題だということです。たしかに事態を正しく認識していれば、感情が乱れたとしてもそれに翻弄されることはないはず。

逆にいえば、感情の波に飲み込まれているときは、自分のなかのなにかが判断を誤らせている可能性があるのです。

認識を誤らせるのは、自分の立場やプライドを守りたいという気持ちかもしれません。あるいは、ひとつの観念に執着しているからかもしれません。それをあらわにするには、いったんテクニカルに感情を止めればいいのです。(124ページより)

感情の流れをいったん遮断するテクニックを知っていれば、ヤジロベエのように揺れても戻る不動心を培うことが可能だということです。(122ページより)

苦しい嫉妬は、錯覚が生んだ感情にすぎない

嫉妬が生まれるのは、自分が本来持つはずだったものを人が不当に持っていると感じたとき。そこには嫉妬の呪縛から解放されるヒントがあります。(146ページより)

嫉妬はどんなときに生まれるのでしょうか? 著者によればそれは、「本来、自分が持つはずだったものを人が持っている」と勘違いしたとき。本当は、自分がそうなるべきだった状況を他人に奪われたと錯覚するから激するわけです。

しかし嫉妬は、感情のなかでもっともプラスの作用を生まないもの。憧れや羨望は「自分もあの人のようになりたい」と能動的な行動につながる可能性がありますが、嫉妬はそうなりません。なぜなら、「不当にも奪われている」という感覚で止まってしまうから。

誰かに嫉妬したときは、その状況が本当に不当なのかと考えてみてください。たいていの場合は、実力どおりのことが起きているだけです。(149ページより)

たとえば「そのポストには自分がふさわしい」と考えていたかもしれないけれど、人事課の判断はそうではなかった。「彼女は自分を好きになるべきだ」と思っていたかもしれないけれど、彼女自身は別の相手を選んだ。

本人がそれを不当だと感じていたとしても、冷静に見てみれば不当でもないわけです。単に、自分の認識事態に錯覚があっただけのこと。

つまり嫉妬から解放されるには、それを理解できることが必要になるのです。そこに気づけば、「嫉妬は無駄な感情だ」と一発でわかるはず。それこそが、嫉妬の呪縛から逃れる第一歩だということです。(146ページより)

どのような問題も、クリアに見ていけば解決の糸口は意外に身近なところにある場合が多いと著者はいいます。

つらいと感じている「自分」が本当はどんな存在なのかを知れば、そのつらさを飼い慣らして、もう少し楽に生きられるとも。そうした考え方に基づく本書を参考にしながら、自身にとってのよりよい生き方を探してみてはいかがでしょうか?

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Source: アスコム