今のビジネスパーソンはみな多忙です。特にこの時期、年末は仕事で自分を追い込み、正月は普段と違う生活リズムや食生活で逆に疲れてしまうというのもよく聞く話です。
「睡眠負債」という言葉がありますが、もっと広い意味でいえば、「疲れ」そのものが自分の体の負債といえるのではないでしょうか。
ためればためるほど利息がついて体の状態はより悪化し、栄養ドリンクでごまかして自転車操業。気づけばどうしようもないほど悪化してしまって手のほどこしようがなくなってしまっている…。
そんなことにならないよう、本特集では、疲労という負債をためこまないマネジメント術についてご紹介します。
第4回は、呼吸法などで大学スポーツの選手を数多く指導し、ベストパフォーマンスを発揮させている米スタンフォード大学スポーツ医局アソシエイトディレクターの山田知生先生に、疲れにくく回復しやすい呼吸法について話を聞きました。
ふだん無意識に行なっている呼吸を意識的に変えるだけで、時間もお金もかけずに体や感情の動きをコントロールすることができるというのです。前編となる今回は、その仕組みについてご紹介します。
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山田知生(やまだ・ともお)

スタンフォード大学スポーツ医局アソシエイトディレクター、同大学アスレチックトレーナー。1966年東京都に生まれ、24歳までプロスキーヤーとして活躍。26歳で米マサチューセッツ州ブリッジウォーター州立大学に留学、卒業後にサンノゼ州立大学大学院にてスポーツ医学とスポーツマネジメントの修士号を取得。サンタクララ大学でのアスレチックトレーナーを経て2002年よりスタンフォード大学のアスレチックトレーナーに就任。2007年より現職。著書に『スタンフォード式 疲れない体』(サンマーク出版)など。
トップアスリート向けの疲労マネジメントは一般人にも生きる
米カリフォルニア州にあるスタンフォード大学は、オックスフォード大学やハーバード大学、マサチューセッツ工科大学と並び称される名門大学として世界的に知られ、スポーツの面でも全米屈指のチームとしてその名を轟かせています。
山田先生はそのスタンフォード大学スポーツ医局で19年以上の臨床経験を持ち、同大学にもっとも長く在籍しているアスレチックトレーナーとして、日々、選手たちの指導に当たっています。
私は高校卒業後、好きなスキーを続けるため、大学に進学せずにプロスキーヤーの道に進みました。21歳のときにアメリカに遠征した際、大学に通いながらスキーを続けているアスリートたちに出会ったのですが、これが人生の転機になりました。
彼らはただ競技のレベルが高いだけでなく、知識や見識も広く、競技人生が終わったあとのライフプランについても深く考えていたのです。このことに衝撃を受け、私もアメリカで学びたいという気持ちになりました。
山田先生は26歳で渡米し、マサチューセッツ州立ブリッジウォーター大学に入学。アスレチックトレーニングを学び、さらにサンノゼ州立大学大学院に進学してスポーツ医学とスポーツマネジメントの修士号を取得しました。
卒業後はサンタクララ大学で働きながらアスレチックトレーナーの資格を取得。スタンフォード大学のイベントで関係者と知り合ったことが、同大学でのキャリアをスタートさせるきっかけとなりました。
スタンフォード大学では、神経学や脳科学、心理学、医学療法学などさまざまな分野の部門と関わり、アソシエイトディレクターに就任後は臨床開発でスポーツ医局に貢献。スポーツ医学以外の分野から学んだことも選手たちの健康管理に活かし、同局のプログラムの改革・促進をさらに進めています。
私の仕事は、選手たちが試合で最高のパフォーマンスを発揮できるようにすることです。そのためには、疲労の蓄積をできるだけ避け、試合が終わったら素早く回復させることが求められます。
これは、いわばF1カーのチューンナップをしているようなものなのですが、それができるのなら、一般車のチューンナップをすることもできるのではないかと考えました。
そこで、スタンフォードで学んだ「疲労とは何か」という知識と、それに対する対処法=ツールについて、一般の方やビジネスパーソンに向けて著書や講演などを通じて情報発信しています。
疲労の正体は1つではない
それでは、山田先生が考える疲労の正体とは、いったい何でしょうか。山田先生は、ひと言で言えば「バランス」だと指摘します。
運動に限らず、私たちは活動することによってエネルギーを消費しています。活動後にきちんとリカバリーができていないと、脳と体のコネクションのバランスがくずれます。このバランスが崩れたとき、人間は疲れを感じるのです。
以前は疲労物質が筋肉にたまることで疲労を感じると言われていましたが、2000年ごろからは脳が疲れることで疲労を感じると言われるようになりました。
「睡眠時間が十分でなかったり、その質がよくないこと」「栄養バランスが悪いこと」「自律神経が乱れていること」など、疲れの原因と言われてきたことは、「どれもその通りなのですが、原因は1つだけではありません」と山田先生。
疲労は、そうしたものが複合的に絡まり合って起こるものです。ですから、睡眠や食事などのうち、1つを改善しただけでは十分に回復できません。さまざまな角度から脳と体のバランスを整えることが大事です。
日本のビジネスパーソンはなぜこんなにも疲れているのか

コロナ禍以前、山田先生は帰国して街を歩くたび、日本のビジネスパーソンの疲れを実感していたそうです。
長時間労働で疲れているのでしょう。下を向いて黙々と歩く人が多く、まったく楽しそうには見えなかったですね。そもそも、人間の体は1日に10時間も15時間も働くようにはできていません。
継続して働けるのはせいぜい8時間ですし、そのなかでも集中できるのは1時間~90分程度といわれています。長時間労働で疲れるのも無理はありません。
しかし、単純に長時間働くことが人間の体にとって無理であるだけでなく、日本のビジネスパーソンが疲れているのにはほかにも理由があるのではないかと、山田先生は考えています。
人間は、ゴールや目的が分からないまま、自分の意思ではないことを長時間続けると疲労を感じます。「何を」「いつ」「どのような道を通って(やり方で)」「どのぐらいの期間で」「どういう結果を目指すのか」ということが明示されていないとモチベーションも高まらず、結果として疲労感ばかり膨れ上がってしまうのです。
「何のために前に進んでいるのか」という動機づけがハッキリしていると、気分を盛り上げる脳内物質であるドーパミンが分泌されて、モチベーションが高まり、思考が前向きになります。ドーパミンが分泌されると、エピネフリン(アドレナリン)やノルエピネフリン(ノルアドレナリン)も分泌され、集中力や注意力がアップし、ストレスに対抗できるよう、体の状態を整えてくれるというのです。
ところが、目標が明確でないとそうした脳内物質が分泌されないので、肉体的にも精神的にも疲れが生じるのです。
日本のビジネスパーソンの傾向として働くことが義務になってしまっていて、「何のためにこの仕事をしているのか」をハッキリ意識できていない人が多いように感じます。それで余計に疲労をため込んでしまっているのではないでしょうか。
自律神経をコントロールできる「腹圧呼吸」とは
そんな風に脳と体のバランスを崩してしまっていても、瞬時に戻すことができる方法があると山田先生は続けます。それが「呼吸」です。
人間の生命活動は、交感神経と副交感神経という自律神経の働きによって成り立っています。脳から出された指令は、自律神経を通じて心臓や肺、内臓などに伝えられ、交感神経が優位になると緊張状態となり、心拍や呼吸が早くなったり、胃腸の動きが抑えられます。
一方、副交感神経が優位になるとリラックス状態となり、ゆっくりした心拍や呼吸になり、胃腸の動きも活発になります。
「自律神経は自分の力でコントロールできない」ということが、長い間の常識でした。しかし、近年では、「臓器を意図的に動かすことはできないけれども、働き方を調整することはできる」という研究が進んでいます。
つまり、自律神経に働きかけるような行動をとることによって、交感神経と副交感神経の働きをコントロールすることができるのです。スタンフォード大学でもその効果を示すリサーチがいくつも出されています。
なかでも、もっとも効果的な方法が「腹圧呼吸」という呼吸法です。
現代人は、会社での人間関係や通勤時間の長さ、他人の目を常に気にすることなどから、緊張状態が寝る寸前まで続いていることが多いもの。当然、交感神経が過剰にONになっているので、意識せずに呼吸をしていると副交感神経が優位になりづらい状態です。
そうなると息を吸うばかりになり、呼吸が浅く、早くなります。腹圧呼吸は、おなかに腹圧をかけながらしっかり息を吐くことで、副交感神経を優位にする呼吸法です。
腹圧呼吸を知っていれば、交感神経をOFFに、副交感神経をONにして、体だけでなく感情面もコントロールすることができます。自分のコンディションを整えるツールとして、呼吸を上手に活用していただきたいと思います。
ちなみに、寝る2~3時間前に何をしたかによっても、疲れの度合いは変わるのだとか。成長ホルモンは入眠から90分ほどの間に分泌され、筋肉の修復を促したり、ストレスで発生する疲労物質の1つ、コルチゾールの分泌を抑えて、疲れがリカバリーされます。
しかし、就寝直前に食事や激しい運動をしたり、入浴したりすると交感神経が優位になって眠りが浅くなり、成長ホルモンの分泌が少なくなるため、疲労も回復されないそうです。
ストレスで交感神経が優位になっているとなかなか寝つけず、ついつい何か食べてしまいがち。腹圧呼吸を学んで、疲れのループから抜け出しましょう。
後編では、実践編として、腹圧呼吸の方法や行なう時間帯などについて具体的にご紹介します。
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