少し前、文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏による『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)という書籍が話題を呼びました。サブタイトルからもわかるように、現代の仕事の多くが「ブルシット(クソどうでもいいもの)」であると断言してみせた一冊。
多くの人が薄々感じていたであろう「実はこの仕事、意味ないよね」という思いを代弁したともいえるかもしれませんが、『世界のマーケターは、いま何を考えているのか?』(廣田周作 著、クロスメディア・パブリッシング)の著者は、自身の仕事である「マーケティング」にも「ブルシット」な側面があると明かしています。
これだけモノがあふれている時代に、マーケターなんて圧倒的にどうでもいい職業なのかもしれないと。
次から次へと「トレンド」ばかりが変わっていって、まさにバッジをつけ替えるように、なんとなくそれを身につけたような気がするけれど、実際のところは何の責任も持たずに「何か言ったふう」なだけ。
気がつけば、もうほかのトレンドに心を奪われている。この「暖簾に腕押し」の感覚こそ、燃え尽き症候群、ブルシット・ジョブの始まりです。(「はじめに」より)
だとすれば、どうしたらマーケティングは実態的な価値を生み、「クソどうでもいい仕事」ではなくなるのでしょうか?
それは難しい問いではあるけれども、だからこそ考えてみたいと著者は思ったのだそうです。
そこで本書では、世界中の企業やブランドのさまざまな活動事例や、生活者のインサイトに関する考察を通して、「これからのマーケティグにはなにができるのか、また、すべきなのか」を多角的に検討しようとしているわけです。
きょうは第1章「マーケティングとは、未来への約束を守ること」のなかから、基本的なトピックスを抜き出してみたいと思います。
いま、未来への約束が問われている
マーケティングの基本は、「市場のどこにニーズがあって、どこにターゲットがいて、その人の課題はなにか」ということを細かく特定し、それを解決していくことだといわれています。
「コトラーのSTP戦略」と呼ばれるもので、つまりは消費者のニーズをつかみ、そのニーズを満たせばプロダクトは売れるという考え方です。
しかし、SNSなどを通じて企業の姿勢そのものが見えやすくなったこともあり、現代ではなかなか「消費者のニーズを満たしていれば売れる」というわけにはいかなくなっています。
これまでは多くの場合、消費者に見えているのは広告かプロダクトのみ。企業内の活動が「密室」で行われていたとしても、それが問題視されることはありませんでした。
ところが情報公開や透明性が求められるようになった結果、企業の経営者の思想や発言、製造プロセス、従業員の振る舞いなどが問われるようになり、スキャンダルのたぐいも揉み消すことができなくなったわけです。
そこで、ニーズを満たすこと以上に重要になってきているのが「企業が消費者に、どこまで未来の安心を約束できるか」ということなのです。
ブランドのストーリーや思想はもちろん、それをどのようなプロセスでかたちにしているのか、どのように売ろうとしているのか、具体的な行動も問われているのです。(26ページより)
考え方、行動、プロダクトのすべてに一貫性があること。それこそが、ブランドにとってとても重要だというわけです。(26ページより)
価値観が多様化するなかで、いかに共感されるか
昨今、「いままでのようにモノが売れない」という声を聞く機会は少なくありません。しかし、著者にいわせればそれは当然のこと。市場が成熟し、モノやサービスがあふれている状況においては、「まだ行き渡っていないけれど、『みんなが欲しいなにか』がある」という考え方自体が幻想に近いというのです。
しかしその一方、局所的には売れている市場があるのもまた事実。その証拠に、こだわりの強いハイブランドの製品は、なかなか手に入りにくくもあります。
グローバルのマーケティングの世界では、そのような“局所的にモノが売れる現象”を「マスニッチ」ということばで説明しているのだとか。
一見ニッチなインサイトでしかないけれど、よくよく掘り下げてみると、「実は、私も気になっていたんだよね」と多くの人から共感を得られるという意味合いで使われるマーケティング用語だそうです。
例えば、米国に「Modern Elder Academy」という、離婚をしたり、仕事を失ったりと、人生の難しさや苦さを味わっているような、「中年の危機」に悩む大人向けの研修サービスがあります。
つらい経験をしている人たち同士が集まって、お互いに悩みを語り合うことで、一緒につらさを乗り越えていこうとする試みです。(30ページより)
当初はかなりニッチなサービスとしてスタートしたものの、蓋を開けてみれば共感する人が予想以上に多かったのだといいます。つまりはこれこそが、マスニッチの好例であるわけです。(29ページより)
1人のインサイトを掘り下げた先に、共感は生まれる
「これからの時代は、モノじゃなくてコトを売るんだよ。やっぱり体験が大切」というようなことを強調するマーケターは少なくありません。しかし著者は、「モノか、コトか」という議論にさほどの意味はないといいます。
「ニッチでも、価値観がはっきりあるモノやコト」は売れるケースがあるけれど、「全員が買う」という現象がなくなっただけではないでしょうか。
私は、今後のブランドのヒット事例は、マス的な発想からはもう出てこないと思っています。(32ページより)
マスニッチがそうであるように、ある少数の人のインサイトを深く掘っていった結果、“意外にも多くの人にも共感されるようなヒットがあったという”結果に結びつくことは考えられるかもしれません。とはいえ最初から「平均的なみんな」を想定するマスマーケティングの発想からは、深く共感される価値を導くことが難しくなってきているということです。
つまり“平均的消費者”を描いてみたり、最大公約数的な価値観を延々と議論したりするだけでは、とうてい「ヒット作」などつくれなくなっている。それが現実だということです。(32ページより)
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「これから」のマーケティングについて考えることは、「誰のために」「なんのために」マーケティングを行うのかということを新たに問いなおすことでもあると著者は主張しています。
今後、マーケティングが社会や環境、次世代を担う人々に対してなにができるのかを見定めるためにも、本書に目を通しておきたいものです。
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Source: クロスメディア・パブリッシング/Photo: 印南敦史