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日本人の礼儀正しさや従順さは、世界の人々から認められています。そして私たち日本人は、そういった側面を海外のメディアなどから称賛されると、少なからず誇らしい気持ちになったりもするでしょう。
『思考停止という病理』(榎本博明 著、平凡社新書)の著者も同じで、そうした性質は美徳だと思っているそうです。しかしその反面、「少し認識を改める必要があるのではないか」と思わざるを得ないことも少なくないといいます。
私たちは、生まれ落ちた社会の文化にふさわしい人間につくられていく。これを社会化と言うが、日本に生まれれば日本人らしく自己主張を慎み、謙虚さを身につけ、相手を尊重し、思いやりをもって相手の気持ちを汲み取ろうとするようになるとともに、信頼すれば相手は必ずこちらの気持ちに応えてくれるはずと信じ、人を疑うのは失礼だといった感覚を身につけていく。(68ページより)
一方、アメリカに生まれれば、アメリカ人らしく説得力を磨き、堂々と自己主張し、なんでもはっきり口にするようになるかもしれません。また人を警戒し、自己責任において自分の身を守る姿勢を身につけていくことにもなるはず。
もちろんそれは環境の違いによるものでもありますし、一概にどちらがよいと決めつけられるようなものではありません。しかし日本人が騙されやすかったり、交渉時に相手のペースに巻き込まれやすかったりするのは、そうした性善説に立ち、「人を疑ってはいけない」「相手を信じるべきである」と心に刻まれていることに加え、「相手の期待を裏切りたくない」という心理が働いているためだというのです。
そしてそれは、企業に代表される組織においても顕著であるようです。
日本的組織の意思決定にありがちな思考停止
たとえば、会議の席で議題として出された案件についての説明を聴きながら、配布された資料を読んでいたとしましょう。そんなとき、わからないことについて素直に疑問を口にしたりすると、あるいは誰か他の人が追求したりすると、提案者はうまく説明できず、結果的に場の雰囲気が悪くなってしまったりすることもあり得ます。
また、意見のやりとりを聴きながら「どうも噛み合っていない」「双方の論点がずれている」などと感じたとき、議論を有効に進めようとの思いから、噛み合っていないことを指摘した結果、気まずい空気が流れてしまったということもあるでしょう。
そこでわかるのは、日本的組織は理屈で動いてるわけではなく、空気で動いているということだ。ゆえに、理屈で考えたらどうにも納得いかないおかしなことが、ごくふつうに起こっているのだ。(172ページより)
だとすれば、それは組織を健全に運営するうえでは致命的な欠点であるといわざるを得ません。他者の気持ちに気を使いすぎ、素直に意見の応酬ができず、いうべきことも口に出せないのでは、最終的に誤った結論に至ったとしてもおかしくないからです。いわばそれは、組織としての思考停止です。
では、そういった“空気による支配”を脱するためにはどうしたらいいのでしょうか?