自分が間違いをおかしたときに、それを認め、償いをするのは素晴らしいこと。でも、本当には自分に責任がないときにも、そうしているとしたらどうでしょうか。
自分が責任を引き受けていることに気づいていない人たちもいます。
たとえば、人からぶつかられたときに自分が謝ってしまったり、誰かが交通渋滞に文句をいったときに、あなたが「すみません」と答えたりはしていないでしょうか。
過剰な責任を引き受けていないか
米メディア「Quick Dirty Tips」で、心理学者のEllen Hendriksen博士が、自分が過剰な責任を引き受けているかを見分けるいくつかのサインについて解説しています。
面白いことに、博士は、過剰な責任を引き受けることのメリットから話を始めています。
メリット:人から好意を持たれる
Hendriksen博士は、ハーバード・ビジネススクールとウォートンスクールが行った共同研究の事例を紹介しています。
この研究では、俳優を使って、雨の日に、駅で忙しく行き来している通勤客に、携帯電話を貸してくれるように頼むという実験を行いました。俳優たちは、あるときには、悪天候についてお詫びを述べてから、携帯電話を貸してくれるように頼みました。そして、別のときには、ただ、携帯電話を貸してくれないかと尋ねました。
結果、自分の責任ではないこと(悪天候)についてお詫びを述べることから始めたケースでは、47%の確率で携帯電話を借りることに成功しました。ただ貸してくれるように頼んだケースでは、成功率はわずか9%にとどまりました。
どうしてこうした結果になったのでしょうか?
責任を引き受けるのは、共感を示すことでもあるからです。お詫びは必ずしも自責の念を伝えるためだけにするものではありません。
お詫びを述べるのは、相手が体験していることへの共感を示し、気遣いを示すということでもあるのです。
また、この雨の実験のケースで言えば、自分も相手と同じ体験(悪天候)をしていることを伝えるという意味もあるでしょう。
わずか数語のことばを伝えるだけで、つながりの感覚が生み出されるわけです。なにも本格的な謝罪をする必要はありません。ただ、「ひどい雨ですね!」と言うだけでいいのです。
過剰な責任を引き受けることで、相手から好意を持たれたり、剣呑な雰囲気をやわらげたり、人に安心感を与えることができます。もっとも、それはすべてがうまくいった場合にかぎられます。
デメリット:過剰な罪悪感を引き起こす
雨の実験のケースでは、お詫びを述べている本人に確かな目的があり、自分が何のために何をしているかを十分に理解していました。
一方で、いつも謝り続けているせいで、それが強迫観念になってしまうケースもあります。そういう人は、たとえ自分に責任がないことでも、罪悪感を感じてしまっているのです。
そもそも、罪悪感とは、実際に自分が間違いをおかしたときにのみ感じるべき感情であるはず。
Hendriksen博士は、周囲で起きるあらゆる損害に対して責任を感じてしまう強迫性障害の患者を何人か扱っていると言います。
たとえば、ある患者は、路上で起こるすべての交通事故に責任を感じてしまい、車を運転することができなくなっていることも。
もし、罪悪感のせいで日常生活に障害をきたしていると感じたら、メンタルヘルスの専門家の助けを借りて、その感情がどこから来るかを突き止めることをお勧めします。
衝突回避のために謝ってしまう
これは、どっちつかずの対応です。どうしても衝突を避けなければならないわけではないのに、自分から謝ってしまったほうが精神的な負担が少ないので謝るというケース。
もちろん、仕事の失敗を上司に謝罪したり、スーパーでぶつかった相手から苦情を言われて謝るのは、まったく理にかなった行動です。
一方で、自分の本当の気持ちを伝えるのが怖いがために、自分から謝って衝突を避けることが習慣になってしまっているケースがあります。これは、とくに親しい間柄では問題となります。
私たちは、平和を保ちたいがために、相手の怒りや拒絶に直面しかねない困難な会話をするリスクよりも、不公平な責任を負うほうを選んでしまいがち。
大切な人を怒らせたり、落胆させるリスクよりも、自分の責任範囲を広げるほうが楽なわけです。
本音をぶつけ合うほうが、ただ謝るよりもずっと建設的である場合もあります。とはいえ、それには、それは自分の過ちではないと認める勇気が必要となるでしょう。
責任を引き受けることで、自分を偉大な人物だと感じる
認めてください。何にでも責任を感じるという考え方には、どこかナルシスティックな側面があることを。あなたは全知全能なのでしょうか?
地球上で起こるあらゆることがあなたの責任だとしたら、あなたは全知全能だということ。自分には影響力があると思いたいのかもしれませんが、すべてに責任を感じるのは、自分以外の人びとの存在と働きを、無視するということでもあるのです。
子どもに自分の行動の責任をとらせない親は、子どもに成長することを許さない親です。
たまたまハズレのレストランを選んだからといって、いつも自分を責めてばかりいるパートナーは、良いデート相手とは言えません。
あなたが世界のすべてをコントロールすることはできないし、誰もあなたに求めてはいません。
有害なパターンを壊すには?
過剰な責任を引き受けるのが有害であることを理解したら、そのパターンを壊すために何ができるかを考えてください。
Hendriksen氏は、 過剰な責任を手放し、現実的に行動をとるための、3つの戦略を提案しています。
1.責任を手放す
日常生活のなかで、自分が責任を負う必要のないものがないかを調べ、あればそれを手放してください。相手とコミュニケーションをとりながら、責任を引き渡すようにしましょう。
Hendriksen博士は、10代の子どもを無理に寝かしつけようとするかわりに、学校に間に合う時間に自分で起きる責任をもたせるようにすると良いと言っています。
責任を手放すなら、完全に手放してください。セーフティネットを張ったり、間接的にコントロールする誘惑にかられるかもしれませんが、子どもに自分でできる力と創造力が備わっていることを信じてあげましょう。
たとえ、うまくできるようになるまで何度か遅刻をしたとしても信じて待ってください。
2.援助を受け入れる
「援助を受け入れる」とは、支援を申し出てくれた人にタスクを委譲することだとも定義できます。
また、相手の好意を受け入れることでもあり、隣人が庭でとれたトマトを持ってきたときに、お返しにキュウリをあげなければと考えずに素直に受け取れるようなもの。
援助を受け入れると、同時にほかの人に重荷を背負わせているとは考えないでください。そうではなく、重要な責任と権限をシェアすることだと考えてください。
3.相手を助けていると考える
思考の切り替えがポイントです。
他者が自分の人生と行動の責任を引き受けるのを許すことで、その人を助けているのだと考えましょう。責任を分かち合うことで相手を助けているのだと考えれば、自尊心を損なうこともありません。
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Image: Pexels
Aimée Lutkin - Lifehacker US[原文]