仕事は必要だけど、家族も大切。ワークアズライフや副業といったキーワードが頻繁に聞かれるようになった今、どんな仕事をしていても、自分の思い描くことを仕事として実現するのは簡単ではありません。
今回は、進学校から一転、海外で働くプロのバレエダンサーとなった筆者が、これからの時代のために必要な、ダンサー流キャリアの考え方を3つご紹介します。
1.「好き」は、ウソをつかない

私は現在、フリーランスのダンサーやライター、チラシデザイナーなどとして働くかたわら、ウェブデザイナー/エンジニアを目指して勉強しています。
あるときはダンサーとして必要な解剖学の本を読みかじったり、あるときはJavaの参考書とにらめっこをしたり…周囲からは「あいつは何がやりたいんだろう?」という目で見られているかもしれません。
■大学に行って後悔はしないだろうか?
実は、高校時代にも同じような視線を浴びていたことがあります。大学受験はするのが当たり前。私立は滑り止めで、国立大や医学部を受けるのが普通。そんな環境にいて私が悩んでいたのは、大学に行くべきか、バレエ一筋に絞るべきか、ということでした。
受験校の選択肢や、試験の点の伸び悩みに一喜一憂しながらも「好きなことは大学に行ったら見つかるはずだ」と考えていた同級生たちとは、逆に、私は「そもそも大学に行って後悔はしないだろうか?」と自問しつづけていました。
■悩みぬいて選んだら、棚からぼたもちが落ちてきた
結論から言うと、私はバレエを選びました。
「バレエが好きだった」だけではなく、「バレエが勉強よりも不得意だった」から、苦手なことを途中であきらめたくなかったのです。正確には、好きだったからこそ、あきらめたくないという気持ちが強かったのだと思います。
さらに、バレエを選ぼうと決めたことで、棚からぼたもちが落ちてきました。考えもしなかった受験校の選択肢が見えてきて、高校卒業後は、東京藝大に進学することになりました。
■考え方は日々変わる、原点を見直そう
悩みに悩んだ高3の夏の一番の収穫は、「なぜそれを好きになったのか」という経緯に思いをめぐらす時間がとても重要だと気づけたこと。
「いま好きなこと」よりも、「どんなものを好きになるのか」に気づけると、考え方が変わったときにでも、自分の原点を見失わずに済むのです。
もし、自分のキャリアや夢に悩んだら、過去を振り返って「自分がこれまで好きだったもの」を見直してみてはどうでしょう。思いもよらない選択肢が生まれるかもしれません。
恋愛と同じで、好きだという思いだけは、どんな自分にもウソをつきません。
2.「感情的な涙」は、ウソをつかない

オランダの国立バレエ学校に留学していた頃のこと。一度だけ、人前で泣いたことがあります。
バレエ学校では、学校中の先生方やバレエ団の芸術監督たちが見守るなか、バレエの試験を受けなければなりません。私は年度末の試験で、有名なバレエ『海賊』のソロを踊りました。
しかし、練習していたときから正直、自分の中でのこだわりを上手く表現できずにいて、試験本番も、内心では満足いく演技ができませんでした。
試験後の個人面談。校長先生からいただいた講評は、「海賊の奴隷らしくない」というシンプルな一言でした。バレエはどんな思いが内に秘められていても、表現できなければ評価されない世界です。
ただその後にいただいた言葉に、ぐっときました。
「(手ぶり身ぶりを合わせて)海賊ってのはこういう踊りだろう、もっとこういう風に踊ったほうが楽しいじゃないか、そうだろう?」
このとき、「ああ、自分は踊りを純粋に楽しめてなかったんだ」と気づかされました。
それまで、どんな辛辣な言葉にも涙を流したことはありませんでしたが、この一言に深く感動させられて、久しぶりに人前で泣きました。
■一粒の涙を大事にしよう
この個人面談での涙は、今でも鮮明で、よく思い出す自分の原点の一つになっています。
オランダの心理学者フィンヘルフーツ博士によれば、『サルやゾウ、ラクダでも泣くことはできるものの、感情的な涙を流すのは人類だけとみられる』のだそう。
ヒトは、心から嬉しいと感じたとき、悲しいと感じたときに、泣くことができる唯一の生き物なのです。それだけ、「感情的な涙」はかけがえのない宝物かもしれません。
特に「自分でもなぜ泣いているのかわからない」という経験に出くわしたら、その涙を自分自身の本音の表れと考えてみてはどうでしょう。自分には見えていなかった気持ちと向き合える貴重な体験に変わるはずです。
3.「夢はただ持つもの」じゃなく、毎分毎秒作り続けるもの

最後に夢について。
私はプロのバレエダンサーになってすぐに、大きな挫折を味わいました。
ジョージア(旧グルジア)のバレエ団で働きはじめ、たったの1週間。ヒザに鋭い痛みを覚えて、その後の1〜2年はほとんど思うように踊れませんでした。
前回記事にも書いた通り、いま思えば、体の使い方や休養のとり方が甘かったのですが、長期間にわたって練習ができないのは精神的にこたえました。
どんなに下手でも、どんなに悔しい思いをしても、私の最大の武器はいつも、追いついて追い抜くための練習場所と試行錯誤の時間があることだったから。
やっとプロになったという瞬間に、そのどちらも奪われて、呆然としました。
人一倍にバレエが好きという思いと、人よりもスタートが遅かったという自覚から自分自身に課してきた、耐える力。その頼みの綱がどちらも、プツンという細い糸の切れる音を立てたのを覚えています。
■努力だけでは、叶わないこともある
私は、異国の地でひとり、「ただ痛みが引くまで休んでいなさい」と言われ、待てども引かない痛みにほとんど絶望しながら、プロ1年目を過ごしました。
振り返ると私にとっては非常に有用な経験でしたが、ほかのダンサーも通らなければいけない道かと言われれば、そうは思いません。
日本に暮らしていると、どんな修羅の道であろうとも、目標のために努力することが得意な方が多いように感じます。その反面、「何もしないでください」と言われて、まるで他力本願を強いられるような状況は耐えられないという人が多いのではないでしょうか。
■夢の実現や成功の後も、初心を忘れない
待つのも努力、と思うかどうかは人それぞれですが…。
もっと大切なのは、1つの夢に全身全霊を捧げてしまうあまり、足元の石につまづいたのをきっかけに、崖を転げ落ちるような事態に陥らないようにすること。
良い連鎖も悪い連鎖も、ひとつひとつの鎖をつなげるのは結局自分次第です。
それは、夢を叶えたり、素晴らしい偉業を達成したりした後の人生についても言えること。大きな山を超えた勢いで、谷底まで滑り落ちてしまわないよう、足元の地面を一歩一歩踏みしめて、転んだらまた立ち上がる、そういう雑草魂を持ち続けること大切なのだと思います。
私は、つくづく『初心忘るべからず』という言葉が金言だと感じています。
ダンサーにとっての舞台がそうであるように、その日の人生がどんなに最高でも、どんなに最低でも、次の日の人生はまたゼロから始まります。
人生は、その非情なまでの繰り返しを楽しめたもの勝ちなのかもしれません。

鷲見 雄馬(すみ・ゆうま)
開成高校卒。東京藝大中退。オランダ国立バレエ学校を経て、ジョージア(旧グルジア)国立バレエ団に入 団。プロのバレエダンサーとして、モスクワ・ボリショイ劇場など世界各国で踊る。2018年3月に帰国し、現在フリー。ダンサーとしての活動のかたわら、雑誌編集や執筆、チラシデザイン、新規プロジェクトの企画・運営を手がけるなど、多彩な分野で活躍中。