ドイツ、フランスに挟まれた小さな国オランダは、坂道がほとんどないこともあって世界でも有数の自転車大国です。快適なサイクリングを可能にしているのは、平らな地形だけではなく、周到に整備された“自転車インフラ”にあります。
オランダ人は一年で900km走る
オランダでは暮らしの中で自転車が欠かせません。2016年現在で自転車の数は、人口の約1700万人より多い約2270万台。1人1.3台の自転車を所有していることになります。2人暮らしの我が家にも、折り畳みとママチャリの3台の自転車があります。オランダ全土で整備されている自転車ルートは全長約4500km。ちなみに北海道の稚内から沖縄までの距離が約3500kmです。九州ほどの大きさの国土に、稚内から沖縄を超える長さの自転車道が蜘蛛の巣のように張り巡らされているわけです。
オランダ人は1日平均約2km、1年間に900kmの距離を自転車で移動していると試算されています。ご近所への移動はもちろん、自転車ごと電車に乗りこんで、ほかの州に行けますし、国境近くの町ならお隣のドイツに入ることも可能です。また電車のほか、水上バス、渡し船なども自転車での乗り込みが可能です。


オランダ全土の自転車専用道ネットワークが充実していることもあり、バカンスシーズンは自転車に荷物を積んで旅行を楽しむ人々も大勢います。A地点からB地点への移動のみならず、国立公園などの景勝地でも車道、歩道と並んで当然のように自転車道が整備されています。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画で有名なクレラー・ミュラー美術館を有するデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内では、広大な自然環境のなかを無料貸し出しの自転車でくまなく回ることができます。


充実した自転車インフラ
オランダでは自転車の多さ、右側走行など独特のルールに慣れれば、あまり危険を感じることなく漕ぐことができます。夜間のランプ点灯(前方には黄色か白、後方に赤)は厳しく取り締まりますが、ヘルメットをかぶっている人は、自転車に乗り始めた子供やレース用の自転車に乗っている人を除いてほとんど見かけません。子供を支えながらの片手運転、大荷物と一緒に漕ぐなど私から見れば曲芸まがいの運転をしている人もよく見かけますが、ごく普通の光景らしく目を丸くして見ているのは私ぐらいです。幼い子供から腰が曲がったようなおばあさんまで自在に自転車を使いこなしています。去年のオリンピック後、ハーグではメダリストが自転車に乗って国王に会いに行くというイベントも行われていました。


自転車インフラの一部をご紹介しましょう。
●赤い自転車専用道路
自動車専用道路は赤いアスファルトで統一されています。道幅は片道走行の場合、最狭でも1.5mになっています。車道を横断する際も、色や白線、矢印での誘導があり、車の交通量が激しくても安心して渡ることができます。オランダ最大級の自転車団体 Fietsersbond によると、並走する場合の道幅は2m、3台目が容易に追い越しできる道幅は3mが理想としています。



●信号・サイン
信号機は車・歩行者そして自転車の3種類。道路によってはサイクリスト用のボタンを押して、青になるのを待ちます。最近は青に切り替えるまでの秒数が表示される信号機も見かけるようになりました。交通標識の中には「auto te gast」というものがあります。車も走れる道だが、優先順位は自転車にあるという意味です。

街中、郊外にはFietsroute(自転車ルート)という、そのエリアのベストルートをつないだ案内板が立っています。それぞれのポイントには番号がふられており、分岐点に立っている番号付の道標に従って漕げるようになっています。

●駐輪場
駅、広場はもちろんのこと、道でも駐輪できる場所が多いのが特徴。そして、だいたい無料で駐輪することができます。南ホラント州では駐輪所をBiesiekletteと名付け、州都デン・ハーグを中心に55か所設置しています。レンタルバイク、自転車の修理、中古自転車の販売などを行っているほか、人とコミュニティーに貢献するというコンセプトのもと、職業訓練所の機能も兼ね備えています。

アムステルダムから30㎞ほど南にあるユトレヒトは、朝7時から夜7時の間、10万人以上のサイクリストが中心街を通って目的地まで通っており、7.5km以内の43%の移動手段が自転車という町です。増え続ける自転車に対処するために、ユトレヒト中央駅では、世界最大級といわれる屋内駐輪場が建設中で、第一フェーズの工事が今年の夏に完了しました。現在オープンしているパート1は6000台ですが、2018年末にパート2が完成すると1万2500台の自転車が収容できるようになるそうです。2020年までには駅周辺で3万3000台の自転車が収容できる施設を整備するほか、 世界一の自転車シティを目標に自転車専用の環状交差点、トンネル、橋などのインフラもすすめています。


1970年代に起こった運動がきっかけで、社会全体が自転車にシフト
オランダはほぼ全土が平地なので、自転車が主な移動手段になるのは想像に難くありません。実際1920年代においても、すでに欧州のほかの国に比べて自転車普及率は高かったそうです。本格的に自転車のインフラが整えられ始めたのは1970年代後半のこと。何をきっかけに整備が進んでいったのか、少し歴史を紐解いてみましょう。
第2次世界大戦後、うなぎのぼりの経済成長を続けるオランダでは、1970年代前半から自動車が爆発的に普及。でもオランダ各都市の中心街は幅が狭い道が多く、車に適した環境ではありませんでした。そこで道路拡張のために古い建物が次々と壊され、街中の広場も駐車場になってしまいました。車の増加に平行して交通事故も増え、1971年の1年間だけで3300人が亡くなったそうです。そのうちの400人以上は14歳以下の子供でした。
人々は、車で溢れかえる街、頻繁に起こる交通事故に「子供に安全を」「安全な自転車道を」と声を上げ始めました。各地で激しいデモが行われ、次第に無視できない社会現象になっていきます。そこへ世界を襲った石油危機が後押しして、政府は車主体から、車と自転車が共存する社会へのシフトを決意します。
現在も「持続可能な安全」(Duurzaam veilig)というポリシーのもとに整備は続行されています。アムステルダム、デン・ハーグ、ロッテルダム、ユトレヒトなどの大都市では車の排気ガスなどによる空気汚染も問題視されており「車をさら少なく、自転車をさらに多く」という傾向が強まっているそうです。交通事故による子供の死亡数は、45年前の400人以上から12人(2016年)に激減しました。


漕ぐことは自由を感じること
サイクリストではないですが、私は日本でもオランダでも自転車にはよく乗ります。オランダでは気づけば30㎞も漕いでいることもあり(オランダ人にとっては普通の距離)、ここまで距離をのばせるのは坂道がなく、体力的に楽だからだと思っていました。でも、平地というだけではなく、道幅もちょうどよく、歩行者や車にぶつかる心配もなくスムースに漕げるのは、考え抜かれたインフラによるものだと気づきました。車でのドライブに似た軽快さがあるのです。
そんなインフラを作り出したのは、海や湖だった場所を干拓して国土を作ったオランダ人に、環境は与えらえるものではなく、自分たちで作り出すものというDNAがあるからかもしれません。また、アムステルダム国立美術館の改装計画を変えさせたサイクリスト団体のように、国民の社会参加への意識が強く、そして、自分らしく生きる自由・権利を主張する気風も関係しているでしょう。実際、自転車専用道路は自転車だけのものではありません。電動車椅子も走行可能で、お年寄りが元気よく飛ばしています。
また、足の不自由な人が改造自転車を手で漕いでいる姿も見かけます。お母さんが自転車に乗ってまもない子供の背中を押しながら並走しています。学生が楽しそうにおしゃべりをしながら走り、スーツ姿のビジネスマンが走り、スポーツサイクルがものすごいスピードで追い抜いていきます。自分もオランダ人に混じりながら自転車を漕いでいると、目の前を過ぎる風景が街、運河、野原、森、砂丘とくるくる変わり、何者にも頼らず自力で進んでいる自由を風に感じるのです。
Photo: 水迫尚子