はじめまして、中川真知子です。かつては、惜しまれつつも閉鎖してしまったライフハッカー[日本版]の姉妹サイトKotaku Japanで、今はGizmodo JAPANで主にエンタメライターをしていますが、新たにライフハッカー[日本版]でも記事を書かせていただくことになりました。
20才まで日本で過ごし、その後はアメリカのロスアンゼルスに5年、VFXアーティストの夫と結婚してからはカナダのバンクーバーに1年、オーストラリアのシドニーに5年、アメリカのフロリダに3カ月ほど住みました。今は「移住したい国10年連続ナンバー1」のマレーシアに住んでいて、今年で5年目になります。
よく「どの国が一番好き?」と聞かれますが、私はマレーシアが1番好きです。楽しくて楽しくてしょうがありません。
でも、移住当時はこの国が大嫌いでした。時期が悪かったのと東南アジアを全く知らなかったことが原因なのですが、来たことを後悔するほど嫌、もとい怖かったです。では、なんで今はこの国が1番好きだと言えるのかーー。
今回はマレーシアまで来たきっかけ、そして嫌いだった理由と5年住んでみて大好きになった出会いを書いていこうと思います。少し長いですが、おつきあいください。
ホームレス夫婦
2012年秋、私たちはホームレス夫婦でした。ホームレスですから当然、家もなく、家財道具もなく、車もなく、諸事情により帰れる実家もなく、自由になるお金もなく、夫は仕事もありませんでした。しかも、出産を2カ月後に控えているのに産院も決まっていなかったので、完全に「詰んだ」も同然でした。
原因は、夫が勤めていたフロリダの大手VFXスタジオが何の前触れもなく倒産してしまったから。会社の倒産により職を失った人は一様に「倒産するなんて思っていなかった」と言いますが、私たちも同じでした。ギリギリまでアーティストの募集がかかっていて、倒産したのは夫が働き始めて2週間が過ぎようとした頃。あまりにも唐突すぎて、倒産の連絡を受けたときには驚いて手にしていた牛乳を落としたほどです。
まだホテル暮らしにレンタカー。家財道具一式は、それまで住んでいたオーストラリアからフロリダに向かう船の中。スタジオ側が負担するはずの引越し費用等を含む諸々は破産を理由に全く支払われず、100万円ほど自己負担しなくてはいけませんでした。
次の就職先がすぐに見つかるはずもなく、ビザの関係もあって私たちは帰国。しかし、日本に帰ろうにも住む場所がありません。夫の実家には受験を控える子供達がふたり、神奈川の私の実家は、認知症の祖母を父が老老介護、母はステージ4の末期ガンで治療のために北海道の親戚宅に身を寄せていました。また、実家近くの産科が軒並み受け入れを拒否したため、どのみち神奈川には戻れなかったのです。
落ち着きたい、海外で
結局、私は親戚を頼って出産まで北海道。夫は早々に生活を立て直すことを条件に夫の実家に行くことになりました。
出産後は東京で暮らすことも考えましたが、懐具合を考えると困窮を極めた生活になるのは目に見えていました。それにアメリカで子育てする気満々だった私は、どうしても日本に腰を据える覚悟ができませんでした。
再び海外に行きたいので家を借りる気にもなれず、ファミリータイプのマンスリーマンションに月25万の高額家賃を払いながら悶々とした日々を送っていました。そんなとき、夫がお世話になっていた会社がマレーシアのクアラルンプールにスタジオを開き、現地に飛べる人を探しているという話が入ってきたのです。
2年間の引きこもり生活
今までのような現地採用と違い、(当時は業務委託とはいえ)海外である程度落ち着いた生活が送れる…! そう思い、東南アジアは初めてでしたが、どうにかなるさと楽観視してマレーシアにやってきました。
でも甘かった。東南アジアは先進国の感覚で住み始めると大変です。まず治安が悪い。「比較的安全」と言われていますが、肌感ではアメリカ、カナダ、オーストラリアと比較しても、ダントツで治安が悪いです。特に移住当時の2013年はマレーシア全体、特に都市部が本当に荒れていて、スリや引ったくりは日常茶飯事。日本では滅多に聞かれなくなりましたが、子供を狙った誘拐も健在で、ショッピングモールで「Missing Child」のポスターをよく見かけました。
車社会なので車を持っていない人はタクシーを使うわけですが、当時はタクシーアプリでなく、流しのタクシーを捕まえるか、タクシー運転手を電話で呼び出すのが一般的。でも、このタクシーが必ずしも信頼できるわけではありません。ぼったくりなんてまだいい方で、全く知らないところに連れて行かれての暴行や、パラン刀(農業用鉈)を使った強盗といった凶悪事件も頻発していました。
タクシーがダメなら車、となりますが、これが結構ハードルが高い。まず、車社会の国にありがちですが車の値段が高い。マレーシアだと外国産の車に税金が100パーセント課せられるので、トヨタカローラが高級車並みの値段で取引されます。
そして運転が怖い。私は4カ国で運転してきて、ドライビング歴は10年以上です。でも、この国では今までの常識や知識が通用しません。煽り、パッシング、ウィンカーなしの強引な横入り、急ブレーキは日常茶飯事。加えて、道路がカオスでナビが必須。分岐地点周辺で急に速度が落ちたり、最悪の場合、車を止めて看板を確認したあげくバックしたりしてくることも珍しくありません。
我が家は移住から半年で車を手に入れましたが、私は予測不可能でマナーの悪いドライバーの多さにすっかり怖気付いてしまい、運転を断念しました。結果的に夫が車を出してくれる週末、もしくは運良く信頼できるタクシー運転手が予約できない限りコンドミニアムから一歩も出ない日々を約2年間も送ることになったのです。
家にいても危ないマレーシア
外に出なければその国の本当の良さはわかりません。でも私の周りでもスリや引ったくりの被害にあっていた人が多く、強盗殺人を目撃していた人もいたので、外に出れば犯罪に巻き込まれると思い込んでいました。でも、マレーシアは家にさえいれば安全というわけでもなかったのです。
私が住むコンドミニアムはセキュリティがしっかりしているはずなのに、それでも空き巣狙いが入ってきて、家のインターホンを鳴らしながら留守宅を探る事案が発生。顔見知りの高齢の女性が在宅のときに起こったらしく、徐々に近づいてくる音に「生きた心地がしなかった」とそのときの様子を語ってくれましたが、下手なホラーよりよっぽど怖い!と感じました。もし私が同じことを経験していたら、秒速で引っ越していたかもしれません。
マレーシアで家を探す際、多くの人がセキュリティのことを考えて二重扉の部屋を選びますが(私の家にも付いています)、親しくなったローカル人女性は表側の鉄ゲートをつけていませんでした。気になったのでその理由を聞くと「些細なことが原因で激昂した人が、相手の家のゲートを頑丈な鍵で固定して中に火を放って殺した事件があるから」という答えが返って来ました。てっきり「このコンドミニアムはセキュリティがしっかりしてるから」なんて返事を期待していた私は、仰け反るほどビックリ。
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「でも、多くの日本人がセキュリティのために二重扉にしてるよ…。暮らし方の本にも書いてあって…」と言うと、「不安にさせたくないから言わなかったのに。あなたも表の鉄ゲートは安全のために外した方がいい。ここはマレーシアなんだから」と。
「ここはマレーシア」というフレーズはありえない状況に直面した時に愛着を込めて言われることが多いのですが、ここでも使われるとは、なんとまあ汎用性が高い! とはいえ「マレーシアだから」で命まで取られたらたまったもんじゃありません。「マレーシア、やばいな…」そんなことを考えていた矢先、日本ではありえないとんでもない事故が起こったのです。
こちらのシャワー室には電気式の温水器がついているのが一般的です。初めて見たときから不安に思っていましたが、2013年9月に高級住宅地のコンドミニアムで、シャワー室にある温水器が漏電して邦人夫婦が感電死する事故が起こりました。
他人事ではありません。我が家にだって電気式の温水器が付いてます。今晩にだって我が家の温水器が漏電して自分も命を落とすかもしれない。注意するといったってシャワー室でゴム草履を履くくらいしか思いつきません。
不動産屋からは「漏電が起こったら全ての電源が自動で切れるから心配ない」と連絡がありましたが、それだってどこまで信用していいのかわかりません。国としては一定の基準をクリアしたメーカーのみ設置可能としているようですが、作業員の怠慢や利益主義のオーナーによる粗悪品購入といったことが原因で、こういった未然に防げたかもしれない事故が定期的に発生しているといいます。
「なんでシャワーひとつ浴びるのに死を覚悟しなきゃいけないんだ。冗談じゃないぞ…」幼い子供を残して命を奪われたご夫婦のことを考えると、心底やるせない気持ちになりました。これまで見聞きしたネガティブな部分もあり、マレーシアという国にどうしようもない苛立ちと負の感情が湧きました。
帰りたい、でも帰れない
景気に伴い悪化の一途を辿るマレーシアの治安。引きこもりの私は被害に遭うことなく過ごしていましたが、フェイスブックをひらけば近隣で起こった事件や不審者の目撃情報が写真ないし動画付きで流れて来ます。中には自宅前で母親と手を繋いでいる子供が男性二人組によって誘拐されたときの映像なんかもあって、まさに『マッドマックス』さながらの世界!!
しかも2014年頃からはISILによるテロも活発化。マレーシア国内でもテロが起こったりテロを企てた人が逮捕されたりと連日物騒なニュースが報じられるようになり、いよいよ本格的に命の危険を感じるようになってきました。
イベント前になると大使館から送られてくるテロ警戒を促すメール。爆発に巻き込まれた場合やナイフを振り回す人がいた場合の対処法に加え、人が多く集まる場所に行くのを控えるように、という文章が添えられていました。
「これはマレーシアを脱出した方がいいなーー」
ところが空港はテロの危険性が最も高い場所のひとつ。その少し前にマレーシア航空とエアアジアの飛行機が立て続けに消息を絶っていたこともあり、空の旅は恐怖でしかありませんでした。テロも飛行機失踪の確率も限りなく低いとわかっていても自分のときに万が一のことが起きる気がして、どうしても一歩が踏み出せずにいました。
帰りたい、でも帰れない。グダグダと悩みながら、気づくと2015年も後半にさしかかっていました。
子どものローカル幼稚園入園をきっかけに、引きこもり生活とさよなら

状況が一転したのは、息子のローカル幼稚園入園でした。自主送迎なので必然的に車の運転をするようになり、行動範囲が飛躍的に広がりました。また、子供を通して保護者とも距離が縮まり、ローカル人の生活とマレーシアライフの楽しみ方も知ることができました。
例えば、マレーシア人は無理をしません。住み込みのベビーシッターを雇うのも一般的。むしろメイドもヘルパーも雇わないで家事も育児も仕事もひとりでこなす女性の方が珍しいくらいです。
掃除、洗濯、食事の用意、車の運転も専属ドライバーを雇って外注。ただし自分自身でもできることはできる限りやります。食事の用意はしたことがないけれど車の運転だけは自分でしたいとか、運転は大変だけど食事の用意だけは自分でやってあげたいとか。「だって私はスーパーママじゃないから」母親だから、専業主婦だから、共働きだから、経営者だから、ではありません。
そして、長期休みは必ずと言っていいほど海外旅行。次の旅行の目的に合わせて子供に水泳やスキーを習わせたり、登山のために体力づくりをしたり、語学を学ばせたり…。楽しむことに前向きで忙しい日々を送っている保護者を見ていたら、悪いところばかりを積極的に見て怯えて部屋に閉じこもっているだけの自分が心底バカらしくなりました。
これぞ多民族国家の醍醐味。こんなに刺激的な国は無い!
ママ友たちに影響された私は早速エアチケットを購入しました。行き先は夫の希望でカンボジア。そこで見たのは、ポル・ポト政権による生々しい大虐殺の傷跡、息子と変わらぬ年齢の子供達による物乞い、2、3カ国語を自在に操る語学力がありながらも貧しい生活を送る人々ーー。遺跡でも見るか、程度の軽い気持ちで行ったので、その衝撃は凄まじいものがありました。

マレーシアに戻ってきてからも、カンボジアのことが頭を離れず気分が上がらない日々でした。日本に生まれたというだけでイージーモードな人生を送っていることに罪悪感を覚えて、独りよがりな涙を流したことも。気持ちを消化しきれなくて、いろんな人にカンボジアをどう思っているか聞いて回りました。すると、自分が考えたこともないような面白い意見が返ってきたのです。
豪邸にロールスロイスが並ぶマレー人ママ:
自分は生まれながらの金持ちでなく、生活に困った時期もあった。カンボジアに行ったら、できるだけお金をばら撒いてくる。
後進国の未開の地が大好きなマレー人ママ:
現地の学校に寄付しようとリュックいっぱい筆記用具を詰めて行ったら、子供達は見向きもせずに「筆記用具より現金頂戴」と言われた。それ以来、お金を置いてくる。
中華系マレー人ママ:
虐殺は歴史の一部。どの国でも同じようなことがあり、規模の大きさは違えど日本でも虐殺はあったでしょう。
中国出身の女性:
その人たちを気の毒に思ってしまい自分が辛くなるだけだから、そういった後進国には行かない。
インド出身の男性:
物乞いされても鉄仮面のごとく無視を貫く。マーケットでも観光客用のぼったくり価格だということがわかっているから、目当てのものがあれば徹底的に最安値を狙う。彼らはもらえればラッキー、騙せたら儲けもの程度に考えている。インドにも沢山いる。無視したって傷ついてないから気にするな。
さすが多民族国家! 異なるバックグラウンドを持つ人の集まりだから、誰1人同じ意見がないのです。にも関わらずCQ(Cultural Intelligence Quotient:多様性に適応する能力) が高いので、人の意見をバカにすることも否定することもありません。それに、もともと新しいことを積極的に取り入れる国民性ということもあって、私が感じたことにも興味津々。旅行に行っただけでも刺激的だったのに、戻ってきてからもこんなにエキサイティングな意見交換ができるなんて! と感動しました。
みんながみんな同じレールの上を歩き、大多数に同意することが良しとされる日本とは真逆ですよね。「この国って面白い! マレーシア人って魅力的! 」と感じた私は、このことをきっかけに旅行に限らずいろんなことを積極的に話すようになりました。そして、気づいたらマレーシアが大好きになっていました。
もちろん以前よりもテロの心配がなくなったとはいえ、まだまだ安全とはいえません。誘拐も引ったくりも強盗も前ほど耳にしなくなりましたが、定期的に発生しています。シャワーは今でも怖いです。でも、自分で車を運転し、冒険心を極力捨てて安全な場所を選んで暮らせばそこまで怯えることはないとわかりましたし、美味しい食べもの、豊かな自然、子供の知的好奇心を満たす様々なアクティビティなど、数々のマイナス点を遥かにしのぐ魅力がこの国にはあります。私は気づくのが遅く、2年も無駄にしてしまいました。今はこの国が大好きで、来れてよかったとしみじみ思います。
次回は、私が息子をローカル校に入れた理由と保護者の教育スタンスについて書く予定です。みんな違ってみんないい、が根付いているマレーシア教育の面白さを伝えられたらと思っています。
中川真知子 | Twitter
1981年、神奈川県生まれ。サンタモニカカレッジ映画学部卒業。評論家を目指していたが、とある映画関係者から「作る苦労を知らずに映画の良し悪しを語るな」とアドバイスされ、帰国後はアニメ会社GONZOで制作進行を務める。結婚を機にカナダに引っ越し、オーストラリアではVFXスタジオのAnimal Logicでプロダクションアシスタントを経験。その後、オーストラリアでソーシャルワーカーと日本語チューター、Kotaku Japan翻訳ライターの三足のわらじを履き、夫の仕事に合わせてフロリダに引っ越す。現在はマレーシアでゆったり子育てを楽しみつつ、GIZMODO JAPANとライフハッカー[日本版]、金融サイトのZuu Onlineで執筆中。好きな動物はヒグマ、爬虫類(ワニ、コモドドラゴン)、両生類。好きな映画ジャンルはホラー。
Iamge: 中川真知子, Krunja / Shutterstock.com
Reference: Wikipedia