『ミライを変えるモノづくりベンチャーのはじめ方』(丸 幸弘著、実務教育出版)の著者は、大学院生だった24歳のときに学生ベンチャーとして「リバネス」を立ち上げ、日本で初めて「最先端科学の出前実験教室」をビジネス化した人物。立ち上げからユーグレナの技術顧問を務め、30社以上のベンチャーの立ち上げに携わってきた実績を持っています。
ところが、だからといって学生ベンチャーを推奨することはないのだというのです。それどころか、「学生での起業はやめておけ」「少し待て」といっているほどだとも。なぜなら、学生の身ではお金も経験もないということを、自分自身が痛感しているから。
もちろん、学生ベンチャーとして起業し、大成功した事例も周りにあるけれど、成功事例の多くは30〜40代にかけて起業(創業)した人たちだ。
なぜ、彼らはうまくいったのか。(中略)最も大きいのは、彼らが「課題」をしっかりとつかみ、それによって解決する目標を見据えて起業を決意した、ということだ。
いったん課題が見えてしまえば、解決するルート・方策はいくつもある。あなた自身が何をやりたいのかがわかっているし、何を果たさないといけないのかも見えている。自分の果たすべき「課題」に巡り合った人は強い。(「はじめに」より)
つまり「課題」をキャッチできれば、道は開けるということ。ただし「モノづくりベンチャー」に限っていえば、お金や時間がかかるというハードルがあることも事実。しかも課題のタネをいまの日本で発見するのは難しくなってきたともいいます。だからこそ大切なのは、目を世界に向け、現地の生活を見て、感じて、経験してくること。
そうして課題を見つけた人のなかで、社会をよくしたいと思った人が「モノづくりベンチャー」に挑戦すれば成功する確率は高いということ。そんなことを訴えかける本書のなかから、きょうは第5章「『if』を常に考えて動く」に注目してみたいと思います。
起業に迷ったら「トリガー」で決める
ベンチャーをはじめるとき、最も大きな障壁となるのが「家族との関係」だといいます。身内からの反対はハードルを一気に高めるため、家族から反対されると起業できなくなってしまうということもありうるというのです。事実、「嫁(旦那)ブロック」という言葉も存在するのだそうです。だからベンチャーを志す人は、パートナーの理解を得られるように、事前の話し合いをしておく必要があると著者は主張しています。
また、「嫁ブロック」がなかったとしても、ベンチャーをはじめるかどうかについては最後まで躊躇するもの。勤め先を辞めてしまえば安定した収入を棒に振るだけでなく、リスクまで背負ってしまうことになるでしょう。そのため、いざ踏み出そうとするタイミングが難しいわけですが、それを自動的に決める方法が「トリガー」。いわば、「えいやっ」と飛び込んでしまうようなラインを最初に決めておくということです。
ベンチャーをはじめたいけれど、グズグズしそうな人の場合、あるいは好条件の会社に在籍している人の場合、事前に自分でなんらかのルールを設定し、「飛び込むか、あるいは撤退するか」を決めておくことも必要だという考え方です。
なお、ベンチャーをはじめるのに年齢は無関係であるものの、成功確率がいちばん高いのは40〜45歳の間とされているのだそうです。理由は、「準備期間がある」「自己資金がある」「経験がある」「人的ネットワークがある」と成功条件がすべて揃っているから。大企業などでさまざまな成功体験をしたあと、そこから自分のやりたい創業・起業をするのは、借金比率も低くなるので成功確率が高いというわけです。
だから、本当に起業したいのであれば、20代のころは会社のなかでガムシャラに働き、たくさんの経験を手に入れておくべきだと著者はいいます。一方、お金のムダ遣い、とくに浪費はすべきではなく、消費もできるだけ抑える必要があるそうです。とはいえ、ムダ遣いを徹底して排除する一方、投資にはケチらないことも大切。たとえば、10万円で著名な経営者、支持する人の会合などに行けるとすれば、いろいろなレクチャーを期待できるので「投資だ!」と思ってお金を使うべきだというのです。
【投資】【浪費】【消費】——この三つの違いを使い分けられる人になってほしい。
ということだ。本や雑誌は投資だから、どんどん買って読もう。女の子と遊ぶのは将来の伴侶以外、浪費だと思ってやめておく。美味しいご飯を1人で食べるのは浪費だからやめる。けれども、大社長との会食であれば投資だから行く。
僕は少なくともそうしてきた。結局、20代でどれだけ経験を積めるかということが、後の人生で大きな花を開くベースになる。少なくともボーナスは全額貯めておき、5年で300万円の貯金はもっておきたい。(145ページより)
20代に準備をしておけば、30代に入ると多少のお金は用意できているはず。そこで「35歳からスタートしよう」とか、「独立して40歳までには食えるようにするぞ」という体制づくりを考えることが大切だということ。当然ながらその体制づくりが、先ほどの「嫁ブロック」にも好影響を与えるわけです。
ベンチャーを起こしてみると、「長期計画を立てておかないとダメだ」という当たり前のことに気づくそうです。
起業というのはマラソンに似ていて、どこで水分補給をして、どこの坂道で一気に勝負を賭けて…ぐらいは最初に考えておかないといけない。100m競争のように、最初からトップスピードで走れば、1キロももたずに死んでしまう。(146ページより)
ベンチャーをはじめた当初は、「この生活が一生続くのか」と思い、息苦しくなってしまうもの。だからこそ、長期の計画を立てて見通しをもっておくことで、気持ちを楽に保てるという考え方です。(140ページより)
ベンチャー万事、塞翁が馬
ベンチャーをやりはじめると、「これは危ないかも」と思う“倒産の危機”が幾度となく襲ってくるもの。特にIT系はまだしも、モノづくり系はお金もかかり、製品出荷まで先が長いので、そこで足元をすくわれるケースも多いといいます。事実、著者が立ち上げたリバネスも、これまでに二度、倒産危機に直面したことがあるそうです。
一度目は、28歳だった2006年のこと。当時、学生ベンチャーとしてスタートしたリバネスの売り上げは5300万円ほどにすぎず、そのままでは人を雇って給料を払っていくことは不可能。解散して各自が自分の道を歩むのか、リバネスを続けて行くのかの決断を迫られていた時期だということで、著者はスタッフにこう提案してみたのだそうです。
「あと1年だけチャレンジしたい。次の1年で食えるようにならなければ、みんなの今後の人生もあるから、そのときはリバネスを解散したい。だから、この1年、ガムシャラに進んでみたいと思っている。どうだろうか。目標は最低でも2倍以上の1億2000万円。月1000万円の売り上げを達成できなかったらリバネスをたたむ」(149ページより)
こうして全メンバーの合意を取りつけ、1年間必死にみんなが動いたのだとか。そして「記憶に残っていないほど」動いた結果、売り上げもグンと伸びたのだそうです。「学生です、ベンチャーもやっています」という二足のわらじは、「いざとなったら学生に戻れる」という逃げ道のある活動でもあったと著者は振り返ります。だから2006年の1年間は、リバネスにとって危機であると同時に、メンバーの意思統一を促す年であったとも。
震災で売り上げが一気に半分に?
続く危機は2011年3月11日の東日本大震災で、そのインパクトは「倒産間違いなし!」というものだったといいます。当時、東京電力はリバネスの大きなクライアントだったため、売り上げが2年間も半分に落ちてしまったというのです。そんな状況であれば、どんな企業であっても潰れて当然です。
当日、僕は北海道で講演をしていたため、ニュースで地震や津波、さらには原発事故を知った。この時点ではまだ、東京電力からの仕事がすべてキャンセルされたわけではなかったのだが、僕は危険を察知。そこですぐに東京にいいた池上昌弘CFOに電話し、
「いますぐに銀行へ行け。5000万円〜1億円を借りてこい」
といって急遽、資金手当てをした。リバネスの売り上げが半減することを銀行が知ってしまえば、その後に借り入れ交渉はできない。だから、まだ知られていないうちに先手を打っておいた。これが「吉」と出た。(151ページより)
具体的には、日銭が入る商売を確保しておきたかったため、新しく飲食業をはじめたというのです。結果、そのおかげでリバネスの本業の減収分を補完でき、全体としては売り上げが減らずに済んだそうです。しかもそれだけでなく、結果的に仕事の幅を広げることもできたのだといいます。吉野家ホールディングスなどとも、さまざまなノウハウの交換ができるようになったというのです。
いざというとき「最悪の状況」を頭のなかで素早くシミュレーションし、全力で回避する。そうすると、本来の目的を達成するだけでなく、思わぬ副産物を得られることもあるということ。だからこそ「ベンチャー万事、塞翁が馬」(「人間万事塞翁が馬」=「幸福や不幸は予測できないので、安易に喜んだり悲しんだりすべきではない」という言葉をもじったもの)だと著者は言うのです。(148ページより)
著者は、人類の進化を促す仕事をしたいと思っているのだそうです。そして、人の苦役を減らし、さまざまな課題を解決し、社会をよくしていくーー。そんなことを実現する世界は、「モノづくり」から生まれてくるのだと断言してもいます。
だからこそ、それに賭ける人々の活動を後押ししたいというわけで、そのために本書も書かれているのです。モノづくりベンチャーの可能性に関心を抱いている方は、ぜひとも手にとってみるべきだといえるでしょう。