お金に関するコンセプトでよく議題に上がる「ラテ・ファクター」。マネーライターで講演実績も豊富なDavid Bach氏が提唱し、人気を集めたアイデアです。ひとことで言えば、日々の生活の中で、カフェラテのような小さな出費を切り詰めることで、お金を節約し目標を達成できるという意味です。そのため、「ラテ・ファクター」と名付けられました。

このラテ・ファクターについて、その実質的な効果を疑う声が多く聞かれます。たとえば、毎朝8ドルのラテ代を節約したところで、その日の生産性が下がっては意味がないという内容です。それに対し、ラテ・ファクター擁護側の意見は、1日単位ではなく、長期的な節約を考えることにこそ意義があると主張しています。たとえば、平日の毎日8ドルのラテとベーグルを食べるとして、それを年間50週繰り返せば250回購入することになり、合計2000ドルになります。

このような視点に立つことで、議論の方向性が変わります。つまりこの議論は、「1度きりのことに価値があるかないか」ではなく、「習慣として毎日することに価値があるかないか」という命題になるのです。ラテとベーグルに8ドルを費やすことは、友達と出かけたときなど、1度きりであれば悪くない選択肢でしょう。でも、毎朝のラテとベーグルに年間2000ドルを費やすことは、それとは異なる価値命題となるのです。

毎日のラテとベーグルに2000ドルを費やすことに価値を見出している人もいるかもしれません。でも、繰り返しの視点で考えれば、日々の習慣というアイデアに、もっと注目できるようになるはず。もう少し詳しく、そのアイデアを深掘りしてみましょう。

日々の習慣

私がお金の使い方を考え直す前の、標準的な1日を思い出してみます。当時は車通勤でした。ほぼ毎日どこかに立ち寄り、朝食を買っていました。ランチは同僚と外食がほとんど。仕事が終わると、書店や電気屋に立ち寄り、週に2回ほど食料品店で思いつくまま数日分の食料を買い込んで帰宅していました。これが、日々の習慣となっていたのです。

一方で、現在の習慣はこうです。朝起きると、自宅オフィスで朝のライティングタイム。朝食と昼食はたいてい、冷蔵庫か冷凍庫を漁って食べます。ほとんどが昨夜の残り物ですが、冷凍食品のこともあります。週に1回ほど図書館に行くので、その日のランチは外食。帰りには食料品店に行き、入念に計画した買い物リスト通りに買い物をします。ときどきボードゲーム屋さんに立ち寄ることもあります。これが、最近の私の習慣です。

どちらの習慣もお金がかかるのは間違いありませんが、その金額は大きく異なります。かつては朝食と昼食の75%が外食だったのに対し、今は10%程度。食料品店に週2回行っていましたが、今は1回。しかも事前にリストをつくっているので、1回あたりの出費は、思い付きで買っていたころとほぼ変わりません。書店や電気屋にはもう行きません。

私は基本的に、週に1回以上することを日々の習慣と考えています。ですから、食料品店に行くのは習慣の1つ。週に1日、夜にボードゲームをする日を定めていますが、これも習慣の1つと数えています。

週1回のことを日々の習慣に位置づけている理由は、一部のイベントは他人のスケジュールに依存していて自分ではどうすることもできず、毎日やりたくてもできないため。それらの習慣は毎日できなくとも、できれば注目に値するくらいには頻繁にしたいと思っているからです。

自分の持てるお金、時間、エネルギー、喜びの価値を最大化させるための手段として、日々の習慣の最適化ほどパワフルな方法はないというのが私の信条です。ここで、「出費を最小限に抑える」と言っていないことに留意してください。

日々の習慣を把握する

まずは、自らの習慣を把握するところからはじめましょう。あなたの「日々の習慣」を構成しているのは、どんなイベントでしょうか?

それを知るもっとも簡単な方法が、時間付きで日記をつけること。1週間にわたって、15分か30分おきに、それまでの15分または30分で何をしたかを書き留めます。スマホでも、紙のメモでもかまいません。15分おきにスマホのアラームを鳴らすと便利です。

少なくとも1週間、できれば2週間これを続けましょう。それができたら、次は日記に書かれた行動を振り返ります。週に1回以上繰り返している行動は、いくつありましたか? それらこそ、あなたの日々の習慣として考えるべき行動です。

日々の習慣を改善する

日々の習慣を改善するため、書き出した個々の習慣について、いくつかの質問をしてみましょう。

なぜ、この行為をこの頻度でしているのか。その価値があるのか。もっと減らすべき、あるいは増やすべきではないか?

私の場合、ネットサーフィンが日々の習慣になっています。理由は複数ありますが、単なる暇つぶしが理由のネットサーフィンは減らさなければと思っています。運動はしているものの、もっとやらなければと思うものの1つです。中程度の運動をすることで心身が健康になっていますが、いつもはじめる前にウダウダしてしまいます。

自分の目標を達成するために、この方法で時間、お金、エネルギーを有効に使えているか?

人生に無駄なことはありません。余暇の時間だって、あなたの人生の目標達成における意義があるはずです。それを認識したうえで、書き出したすべての行動について、それに投じているお金、時間、エネルギー、そこから得られる価値がどの程度かを確認してみましょう。

私は、読書とボードゲームを娯楽として楽しんでいます。ボードゲームは、社交の意味もあります。その場合、こう自問するのがいいでしょう。はたして、ボードゲーム屋や書店に立ち寄る時間とそこで費やすお金は、それらの趣味から得られる価値に見合ったものなのか? そう、私は本やゲームを買うために、かなりのお金と時間をかけています。つまり、読書やゲームをプレイすることだけの問題ではないのです。

目標達成のために、同じ時間、お金、エネルギーをかけて別のことができないか。同じ結果をもっと効率よく得られるのでは? リソースをそれ以上使うことなく、よりよい結果が得られるのでは?

たとえば、図書館に行けば本を無料で借りられます。しかも、書棚にないものはリクエストすれば入荷してもらえます。つまり、図書館で読めない本はないのです。ボードゲームに関しては、ある程度は自分で買う理由があります。とはいえ、それも妻とプレイするゲームのみ。3人以上でプレイするゲームを購入する理由はありません。そういうゲームはオフ会でやるので、誰かが持って来てくれるのです。

言い換えると、本を集めることではなく、読むことに価値を見出しているのであれば、書店に行く理由はありません。同様に、ボードゲームの所有ではなくプレイすることが好きなのであれば、ゲーム屋さんに行く理由もそんなにありません。ですから、書店に行く習慣を図書館に行く習慣に置き換え、ゲーム屋さんに行く時間をゲームをプレイする時間に充てたほうがよさそうです。どちらのケースも、お金を節約しつつ、やりたいことはできるのですから。

もう1つ、別の例を考えてみましょう。毎朝のラテです。カフェでラテとベーグルを買うのがあなたの習慣だとします。それを別の方法で代替することはできないでしょうか。ただやめるだけでは、そのコーヒーがもたらしている効果が得られません。だったら、コーヒーグラインダーとフレンチプレスを買って、家でコーヒーをつくってみては。ベーグルも、家で焼いて食べればいいかもしれません。それで、少なくともお金は節約できます。時間は少しかかってしまうかもしれません。でも、カフェの待ち時間によっては、自分でつくるほうが早いこともあるでしょう。

ポイントはシンプルです。すべての習慣について、代替案を考えてみること。同じ結果を得るための「最善策」は何か。習慣から得たいものを、最大のコストパフォーマンスで得るにはどうしたらいいか。安ければいいというものではありませんが、とにかく自分の選択を批判的に考え直すことで、お金、時間、エネルギー面でもっと負担の少ない選択肢が見つかることが多いものです。

あらゆる習慣にこれを行うことで、生活の質を落とすことなく、たくさんのお金と時間を節約できるようになるでしょう。

最後に

この記事の内容は、一言にまとめることができます。それは、「価値の最大化」。目標は、あらゆる習慣の価値を最大化することです。ただし、ここで忘れてはならないのが、価値とはお金だけではないこと。そうではなく、ほしい結果を得るために、時間、お金、エネルギーをもっとも賢く使うことを意味するのです。

私はここ数年、日々の習慣にこの考え方を適用することで、たくさんのお金を節約してきました。それだけでなく、多くの時間とエネルギーを、趣味に充てられるようにもなりました。私の人生に価値をもたらさない、時間とお金とエネルギーを無駄にするような習慣をなくすことができたのです。たとえば、夜のテレビや暇つぶしのネットサーフィンなどです。

私にとって、ラテ・ファクターの価値はそこにあります。それは、楽しみにしている習慣をただやめることではありません。その習慣から得られる価値を最大化することを意味するのです。



Revisiting the Latte Factor: The Power of Daily Routine | lifehackerUS

Image: jreika/Shutterstock

Source: The Simple Dollar