「BUSINESS INSIDER JAPAN」 記事より転載してお届けします。
5月のゴールデンウィーク明けのとある平日、東京・渋谷のカフェで、エンジニアの所親宏(ところ・ちかひろ)さん(30)と、ウェブデザイナーで妻の聡子さん(28)は、この日受け取ったばかりのワーキングホリデービザに見入っていた。ふたりは今月末にドイツのベルリンへ旅立つ。手にしているのは、新たに始まる海の向こうでの日々への「パスポート」だ。
インドのシリコンバレー
親宏さんは会社勤めを経て、2013年からフリーランスのウェブエンジニアをしている。大学時代からインターンとしてITベンチャーで働き、当初は広告営業を担当した。
そのうち、自社製品を売るよりも作りたくなった。「とにかくやらせてほしい」。イチからプログラミング言語を勉強し、インターン2社目からはウェブエンジニアに転身。新卒で入った会社も成長中のIT企業で、プログラミングの世界の深さに、のめり込んだ。
エンジニア魂を揺さぶられたのが、大学時代からバックパッカーとして旅したインドだ。3年前に4カ月滞在した時には、現地のITベンチャーの集まりや勉強会をリサーチ。こまめに顔を出し、創業者たちを1人ひとり訪ね、話を聞いた。
インドのシリコンバレーと言われるバンガロールには、アメリカのマイクロソフトやアマゾン、ゴールドマン・サックスといった名だたる企業で働いていたエンジニアがごろごろいた。日本では考えられない環境で、人材の層の厚さに魅了されました
転職を経て2社を経験したが、心身の体調を崩したのをきっかけに、フリーランスで働くことを選んだ。「調子が悪くなれば、自分で仕事を調整できる。生活さえなんとかなるなら、休めばいい。フリーランスは自分には合っているのかな、と思います」
出会いはシェアハウス
親宏さんが聡子さんと出会ったのは、渋谷区内のシェアハウスだ。10代から40代まで、国籍もさまざまの人が暮らす環境の住人同士だった。
3年の交際期間を経て入籍し、2015年の秋に結婚式を挙げた。そのまま2人で同じシェアハウスの広い部屋に引っ越した。結婚を機に、聡子さんの働き方も大きく変わった。大学卒業後、聡子さんは都内のメーカーで生産管理の担当をしていたが、親宏さんの勧めもあって、ウェブデザインの勉強を始めた。週5日の学校に3カ月間、みっちり通って基礎スキルを身につけた。
「海外でも通用するグローバルスキルで、かつ将来的に在宅での仕事も可能。エンジニアという主人の仕事と親和性が高いことも理由のひとつです」
もともとアートやデザインは好きな分野で、将来的にはアジアで働くことも計画していた。こうして聡子さんも、業務委託で仕事を受けるフリーランサーになった。
働き方が絶えず変化する現代で、海外に行くきっかけは「年齢」にありました。ヨーロッパ諸国でワーキングホリデービザを取得するためには、「 31歳の誕生日」までに申請 しなければなりません。
そしてドイツのベルリンに決めたきっかけとは? 詳細は以下のリンク先から。
シェアハウス夫婦が“ベルリンでフリーランス”を決断するまで | BUSINESS INSIDER JAPAN
( 滝川 麻衣子)