デザイナーの金子智也さんは、フリーランスを辞めることにした。今村拓馬

BUSINESS INSIDER JAPANより抜粋:「僕のフリーランス業は失敗しました。そのことは認めます」

フリーランスのデザイナーをしていた金子智也さん(23)が「フリーランスを辞めた」のは、今年の2月のことだ。

金子さんは都内のデザイン学校を卒業して2年半、起業支援を行うベンチャー企業のウェブデザイナーとして経験を積んだ。就職活動で10社落ち続けた後に、ようやく採用が決まった会社だ。2年半とはいえ、たった1人から始めたベンチャーのデザイン部門立ち上げは、あらゆる経験の宝庫だった。

チームリーダーとして年上の部下を育てながら、立ち上げから軌道に乗せるまでを切り盛りした。取引先のホームページに名刺、ロゴ、ありとあらゆるデザインはもとより、営業や企画も交渉も一手に引き受けた。

それでもやはり、会社員に飽き足らなくなった。仕事に慣れると「自分にも会社にもやっていることの変化がない。成長がない」と感じるようになる。

「このままこの1社だけで終わっていいのか、と思ったんです」

2016年2月にデザイナーとして独立を宣言し、会社を辞めた。

デザインの力でアーティストのプロデュース事業をやりたいという、将来的な起業も視野にあった。ベンチャーだけあって、会社の仲間は好意的に受け止めてくれた。自分ならフリーランスになってもやっていける。自信と勢いだけはあった。

23歳フリーランスにのしかかる3つの問題

しかし、現実は想像を超えてくる。

「正直、甘く見ていた」。フリーランサーとなった金子さんにのしかかったのは「お金と、世間の目と、精神的な疲労」だったという。

170418_bi_freelancer_2_.jpg フリーランス時代の仕事場はカフェだった。今村拓馬

1. 金銭面

「まず、大変なのがお金です。『金子さんだからお願いしたい』と言ってくれる顧客もいたし、あらゆる仕事を引き受けて、稼ぎはありました。けれど、フリーになると、税金や医療保険など社会保障費も収入から支払わなくてはけいけません。前年に稼いだ額に基づく住民税が、僕の場合は8万6000円にのぼりました」

「フリーになって知ったことですが、取引先の企業によっては振り込みが納品の翌々月だったりします。実は独立した時点で、僕の貯金は14万円でした。この2カ月間を食いつなぐ資金がなかったんです」

東京生まれ東京育ちで実家暮らしなのが幸いしたが、実家に入れるお金も含めて、月々20万円近くが収入から出て行った。

「早々に、親に借金することになってしまいました」

次に23歳の若いフリーランサーを疲弊させていったのは、「世間の目」だった。詳細は以下のリンク先にて。

僕がフリーランスから会社員に戻った3つの理由 ---- 働き方シフト[フリーランス編] | BUSINESS INSIDER JAPAN

(滝川麻衣子)