6月23日付けの速報記事でお知らせしたように、オランダにおける日本国籍者の労働許可の条件が変わる可能性があります。現在は日本国籍を持っている人であれば、オランダで就労する際に労働許可の取得が不要ですが、2016年10月1日以降は再度、労働許可が必要になるというものです。
オランダにすでに移住している人、これからオランダ移住を考えている人の間に激震が走ったこのニュース。いったい、今、何が起こっているのでしょう? そして、今後、この制度は将来どうなるのでしょうか?
そんな疑問をぶつけるべく、これまで日本人のオランダ移住を数多く手掛けてきた、ステファン・ルーロフス弁護士に緊急インタビューを行いました。
ルーロフス弁護士はこれまで16年間、移民法を専門とする弁護士として活躍し、「日蘭通商航海条約を復活させた弁護士」として知られています。日本人のオランダ移住にもっとも深く関わってきた人物と言えるでしょう。

3つの条約と2つの解釈
── 6月21日、オランダ移民局(IND)は、2016年10月1日以降、日本国籍者がオランダで就労する際には労働許可が不要という条件を無効とすると発表しました。
ルーロフス氏:その通りです。ただ、政府内での協議は現在も継続中なので、現時点ではオランダ移民局が発表した通りになるかどうか確定しているわけではありません。── 2014年の裁判以前は労働許可が必要で、現在は不要、2016年10月からは再び必要と目まぐるしく変更になっていますが、経緯などを詳しく教えていただけますか?
ルーロフス氏:最初に、オランダにおける日本人の待遇をおさらいしましょう。まず重要なのは、1956年にアメリカ・オランダの間で結ばれた友好条約(Dutch-American Friendship Treaty)です。この条約では、アメリカ人がオランダで事業を行う権利について明確に書かれてあり、個人事業主として4500ユーロ以上を投資すればオランダで居住許可を取得することができます。この条約を利用して多くのアメリカ国籍者のオランダ移住を助ける途上、私は他の条約も調査し、報告書を書いてきました。その条約のひとつが、日本・オランダ間で締結された日蘭通商航海条約(The Treaty of Trade and Navigation between the Netherlands and Japan)です。
この条約が締結されたのは1912年(明治45年/大正元年)と古く、形骸化していましたが、条約のなかに「日本人とその家族は最優遇国として扱わなければならない」という項目がありました。私は上述のアメリカとの条約下で日蘭通商航海条約を精査し、日本国籍者はアメリカ国籍者と同様の条件を享受することができるという解釈を導き出すことに成功し、2008年から有効になっています。
つまり、日本国籍者はアメリカ国籍者と同様に、4500ユーロ以上を投資すれば、個人事業主としてオランダで起業できるということです。この条約を利用して、数々の日本人がオランダで起業し、居住許可を得てきました。これが2014年12月24日以前の状況です。
その後、2013年に他の弁護士が、オランダにおける日本国籍者の待遇に関する解釈について、別の条約を用いました。それが、1875年に締結されたスイス・オランダ間で結ばれた友好条約(Treaty of Friendship, Establishment and Commerce between the Netherlands and Switzerland)です。その条約に照らし合わせると、日本国籍者はアメリカ国籍者のみならず、スイス国籍者と同じ待遇を享受できるというもので、居住許可をとれば個人事業主としての起業、そして、労働市場に自由にアクセスできる(労働許可取得は不要)という条件です。これは2014年12月24日から施行されました。
── 別の条約を使って、日本人の権利に関する解釈を拡大したということですね。
ルーロフス氏:そうです。ただ、その後、オランダ政府はスイス政府と話し合い、スイス・オランダ間の条約の解釈の見直しに向けて動き始めました。解釈を拡大することで、オランダ政府が移民政策をコントロールできなくなることを危惧したのだと思います。実際に、アメリカ国籍者が日本国籍者と同様に扱われるべきであるという訴えも起こっていますし(現行だとアメリカ人も労働許可が不要という解釈)、このように雪だるま式に解釈が増えていくと、対応が難しくなってきます。── 現在、このスイス・オランダ間の条約の解釈に関連する裁判が行われているそうですね。
ルーロフス氏:日本国籍者が個人事業主としてオランダで起業するには、4500ユーロ以上の投資の他に1296ユーロの居住許可申請料が必要ですが、スイス人の申請料は50ユーロです。スイス人と同様の条件なら申請料も50ユーロになるはずだと、2016年6月21日、オランダ移民局が発表した日と同日に裁判が起こされました。実はそれ以前に、両国は「条約については国内法に従う(条約ではなく、政府の移民政策を優先する)」という合意に達し、2016年6月20日、日本国籍者は10月1日以降、労働市場への自由にアクセスできなくなることを官報で発表し、それを受けて翌日、オランダ移民局がニュースを発表しました。裁判の判決が下るのが6~8週間後です。その判決次第で、前述したようにオランダ移民局が発表した通り、2016年10月1日以降から日本国籍者は再び労働許可を必要とするようになるのか、現状のまま労働許可が不要なのかが判明することになります。
── オランダにおける日本人の待遇がハッキリするのは判決を待つ必要があるということですね。現時点でのルーロフス弁護士の見解を教えてください。
ルーロフス氏:勝訴するか敗訴するかは五分五分だと思います。勝訴した場合は、現行と同じく労働許可は不要です。ただし居住許可申請料は、スイス人と同じく50ユーロにはならないと思っています。スイス人と同様の扱いといっても、日本人はスイス国籍ではないですよね。敗訴した場合は、アメリカ・オランダ友好条約に照らし合わせ、日本国籍者は個人事業主としての起業が認められる2014年12月24日以前の状態に戻ります。雇用されるには労働許可が必要になります。具体的に言えば、個人事業主として起業しながらバイトもするということができなくなります。あるいは、日本料理レストランが日本人シェフを社員として雇うというのも難しくなるでしょう。また、オランダ移民局は、2014年12月24日以降に居住許可を取得した人は、2016年10月1日以降、更新時に労働許可不要の権利を失うとしていますが、私見では保持できるのではないかと思っています。
── アメリカ・オランダ友好条約に新解釈が適用される心配はありますか?
ルーロフス氏:まずないと思います。前述したようにこの条約には、アメリカ人がオランダで事業を行う権利について明確に書かれています。私たちは明確な条約にしっかりした解釈を行いました。新しい解釈が加わる可能性は非常に低いです。── ヨーロッパを揺るがせている移民問題と関係はありますか?
ルーロフス氏:このケースと、ヨーロッパに大量に押し寄せている移民の問題は全く別の問題です。むしろ日本人は好意的に迎えられています。── スイス人同様に50ユーロの申請料をという訴えがなければ、現在の状態(労働市場への自由なアクセス)は保持できたと思いますか?
ルーロフス氏:難しいでしょうね。前述したように最優遇国の解釈が広がり過ぎて移民政策に混乱をきたすことを政府は危惧していましたから。今回の件は、日本人どうこうというよりも、移民政策の穴を埋めたいという政府の考えがあったのだと思います。── 敗訴したとしても、日本国籍者がオランダで起業できるということ自体、優遇されていますよね。
ルーロフス氏:そうです。そこに気づいてほしい。他国の人がオランダに移住するのにどれだけのコストがかかり、手続きが必要なのか、多くの日本人は知らないと思います。労働許可不要が取り消されたとしたら、それは大変残念なことですが、それでも日本国籍者は非常に優遇されています。2008~2014年の間、さまざまな日本人の移住を手伝ってきましたが、皆さん真剣に事業展開を考えていました。ただ、残念ながら、この2年間の間は、移住やビジネスを軽く考える人たちが増えたように思います。英語が話せないまま家族でオランダに来て、ビジネスは立ち行かず、子どももオランダ社会に馴染めず、1年もたたずに帰国したケースも知っています。
── 今までにどのような職種の方が移住したのを見てきましたか?
ルーロフス氏:サウンドエンジニア、アーティスト、寿司職人、通訳者、翻訳者、台所用品の輸入・輸出、グラフィックデザイナー、飲食業、ジャーナリスト...。フリーランスのウェイトレス、美容師、ハウスクリーニングなどを職種とする方の手伝いもしました。職種は本当にさまざまで、みなさん頑張っています。── これからオランダに移住を考えている人にアドバイスをお願いします。
ルーロフス氏:日本人の待遇に対してまだ確定していませんが、もし希望するのであれば早めに手続きをとってください。その際、私たちのような専門家を雇うことを勧めます。2014年12月以降、移住の手伝いをするサービス会社および個人がぐんと増えましたが、お金は払ったが手続きが進まないなど、悪い評判もよく聞きます。専門家は提出する資料の優先順位などにも精通しています。速やかに、スムーズに手続きを進めるためにも、専門家に頼るべきです。そして、今回の裁判に敗訴したとしても、個人事業主として起業できるという優遇された権利には変わりがないということを理解してください。とはいえ、優遇されているということだけで移住を考えるのではなく、移住とは何か、オランダで何をしたいのか、しっかりと考え、準備をしてください。私自身もオランダに移住した者です。オランダ社会に馴染むまでに時間がかかりました。他国に住むというのは考えるよりもタフなことなのです。
準備ができたら、オランダでがんばってほしいと思います。
(文・聞き手/水迫尚子)
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