言葉を発するに至るまでの事情や気持ちは、本人以外は正確に知ることはできません。(中略)言葉はとても不確かなもので、その言い方ひとつで、人間関係をよくもするし、悪くもします。だから自分が言葉を発するときには、気持ちの部分や事情を、丁寧に説明する努力が必要です。(「はじめに」より)
こう語るのは、『好かれる人が絶対しないモノの言い方』(渡辺由佳著、日本実業出版社)の著者。テレビ朝日のアナウンサーを経て、現在はフリーアナウンサー、話し方講師、企業向けセミナー講師などとして活躍する人物です。
本書ではそのようなキャリアに基づき、言葉が生まれる前の「気持ち」を掘り下げつつ、まわりの人への「モノの言い方」を紹介しているわけです。
好かれる人は、まわりの人への配慮を言葉できちんと表現できる人です。むやみに相手を不愉快な気持ちにさせたり、相手を傷つけたりするような言い方をせずに、言いづらいことや自分の要望も、角を立てずに上手に伝えることができます。(中略)だから、どこに行っても求められる人になるのです。(「はじめに」より)
たしかにそうかもしれません。そこで、相手に誤解されないためのコツをつかむため、第2章「気持ちのすれ違いを生む言い方」から、いくつかをご紹介しましょう。
「とりあえず」は相手を不安にさせる
「とりあえず駅で待ち合わせよう」など、「とりあえず」という言葉を使う機会は多いもの。しかし「とりあえず」からは、どこか間に合わせのような意味が感じられるため、相手のモチベーションを下げたり、不安にさせたりすることがあるといいます。
そもそも「とりあえず」には、「他のことはさしおいて」「まず第一に」など最優先させるものだという意味があるのですが、いまはそういう使い方をされることは少ないはず。
たとえば「とりあえず、この書類をつくっておいて」といわれたら、「用意してもムダになってしまうのではないか」と不安な気持ちになってしまうかもしれません。「とりあえず」は、「間に合わせ」というような、どこか不完全なニュアンスで受け止められやすいのです。
著者によればそれは、「とりあえず」という言葉は「見えない思惑」とセットになっているから。説明するべきことを曖昧に表現することで、「本当に必要なものなのだろうか」と、余計な憶測を相手に抱かせてしまうわけです。
だからこそ「とりあえず」を使う際には、なにをもって「とりあえず」といおうとしているのかを考え、具体的に相手に伝えるべき。「とりあえず」の裏側には、自分の都合やさまざまな事情が隠れているもの。相手が誤ったとらえ方をしてしまわないよう、こうした事情はていねいに説明することが大切だといいます。(50ページより)
「すみません」ではなく「ありがとう」
「すみません」は、「ありがとう」という意味にも「ごめんなさい」という意味にもなる万能な言葉。ところがなんにでも「すみません」をつけている場合は、「頼りない人」「無理のいえる人」という印象を抱かせてしまうといいます。特別な意味合いがなくても枕詞のように使えるため、口癖のようになりやすいわけです。
やさしい人や、相手への気づかいができる人ほど、ちょっとしたことで「すみません」「ごめんね」と口にしやすいもの。しかし、なんでも「すみません」というのではなく、意味合いがはっきりしている場合には、それを言葉にしてきちんと伝えるべきだといいます。特に「ありがとう」という意味で使うなら、そのまま「ありがとう」といったほうが好感度も高まるはず。
感謝の言葉は、心にとどめておいても伝わらないもの。昔気質の「いわなくてもわかるだろう」というセオリーは、現代では通じなくなっているということ。むしろ、まわりの人たちへの感謝の気持ちを態度と言葉に出せれば、そこから信頼関係ができていくわけです。(54ページより)
「◯◯さんがいってたよ」とほめる
相手をほめる言葉は、「課長が仕事ぶりをほめていたよ」というように、他人の言葉をそのまま伝えると、うれしさが倍増するといいます。「◯◯さんがいっていた」と他人が口にしていたほめ言葉をそのまま伝え、自分の気持ちもそのなかに込めると、相手に余計な詮索をされることはないわけです。つまり、気持ちが100%ほめ言葉として受け止められるということ。
逆に、職場の同期や年齢の近い同性同士など、ライバル関係になりやすい相手に対して「最近、営業の調子がよさそうだね、うらやましいよ」とほめ言葉のつもりでいったとしても、素直に受け取られない場合があるとか。「うらやましい」という自分の感情を基準にした言い方には、本人にそんなつもりはなかったとしても、言葉のなかに「嫌み」「妬み」が含まれていると相手から誤解されてしまう可能性があるから。
特に昨今の新入社員は、ほめられることには慣れているものの、「ダメ」を突きつけられることに慣れていないような気がすると著者はいいます。若手は仕事の現場でいわれることがすべて上司や先輩の本音だと思っているため、怒られると「自分はダメなんだ」と落ち込んでしまうというのです。
そういう意味からも、部下や後輩を持つ人は特に、相手のよいところを見つけてそれを言葉にしてどんどん伝えるべきだそうです。(58ページより)
上から目線になる「けっこうです」に注意
言い方はていねいかもしれないけれど、目上の人に対して使うと「上から目線」だと受け取られてしまう言葉があるもの。たとえば「けっこうです」「~しましょう」「がんばってください」などは受け止め方に幅のある言葉なので、相手の人となりや関係性をわきまえて使うことが大切。
「けっこうです」はていねい語ですが、肯定の意味で使うと上から目線になってしまう言葉でもあります。たとえば「この内容でよろしいでしょうか」といわれたときは、「はい、けっこうです」ではなく、「はい、よろしくお願いいたします」と返事をしたほうがよいということ。
一方、ショッピングの際、「当店でカードをおつくりになりますか」と聞かれて断る際、「けっこうです」と使うのは自然。もう少し柔らかい表現にしたいときは、「また次の機会にお願いします」といえば、さりげなくNOのニュアンスを伝えることができるそうです。
「~しましょう」は、同等な仲間目線の言葉。たとえば部下と上司で飲みに行った際、「部長、また飲みに行きましょう」は適切ではないわけです。そんなときは「ぜひまたご一緒させてください」と、相手を立てていうのが正しい使い方だといいます。また、「がんばってください」「期待しています」も、部下など目下の立場にはふさわしくない言葉。
つまりこうした言葉を使うときには、口に出す前に、相手との関係性にふさわしい表現かどうかを考えてから使うべきだということです。(70ページより)
「言葉が足りず失礼しました」は謝罪にならない
失礼なことを口にしてしまい、相手が気分を害したとき、謝罪のつもりで「言葉が足りず失礼しました」という人がいます。ところがこれをいわれると、「あくまで言い方の問題だと思っているな。間違ったことをしたとは認めないのか」と、さらに不快な気持ちにさせてしまう可能性があるのだとか。
なぜなら「言葉が足りず失礼しました」という言葉を使うと、「私は間違っていない。ただ、言い方がちょっと悪かっただけ」というニュアンスで相手にとられてしまう可能性があるから。
しかし相手が気分を害したのは、自分の想いが至らなかったことや、熟慮が足りなかったからであるはず。よって、こういう場合は「自分自身がダメだった」ということを、きちんと言葉で表現しない限り、相手には伝わらないといいます。「言葉が足りず失礼しました」では、謝罪にはならないということです。
「言葉が足りず失礼しました」は、「いうべきことをいいそびれた」ときや、「誤解を生むような表現をしてしまった」ときに使うべきもの。仕事の仕方を説明する際、1から10までいうべきところを、1から7までしか伝えられず、8から10が抜け落ちていたときなどに、「言葉足らずで失礼しました」と使うわけです。
そして、もうひとつ注意が必要なフレーズが「わざわざ」。自分の会社に来てもらった相手に「本日はわざわざお越しいただき、ありがとうございます」とお礼をいうことがあります。しかしこれは、「来てくれなくてもいいのに」「電話で済ませてくれればいいのに」というようなニュアンスがあるように受け取ってしまう人もいるということ。
「わざわざ」は言葉そのものに悪い意味があるわけではないものの、自分を主語にして使うときに、「私がわざわざやってあげたのに」と相手に嫌味をいうようなシチュエーションが多いため、マイナスのイメージが喚起されてしまうということ。そこで、誤解して受け取られないようにするためには、この表現はなるべく避けたほうがいいといいます。(74ページより)
各項目については、「好かれる人」が使わない言葉をNGワードとして、それをどう言い換えたらいいのかをOKワードとして記載されています。つまりは、実用性の高さも本書の魅力のひとつ。もののいい方には繊細な部分があるだけに、目を通しておくとさまざまな場面で役立ちそうです。
(印南敦史)