コンフォートゾーンという言葉は、とても聞こえが良いものです。1人でいられて満足できる、居心地のよい避難場所というイメージ。そこにいれば、不快でクレイジーな世界から逃れることができそうです。でも、その避難場所にいるかぎり、外で起こっているたくさんのクールな体験を逃してしまいます。だから私は2015年、そこから飛び出してみることにしたのです。

コンフォートゾーンの外には、いつもと違う生活が待っています。それがもたらす恩恵は、SNSに投稿するネタに困らないことだけではありません。

コンフォートゾーンを飛び出すことは、あなたの成長と生産性向上に大きく貢献します。決して、いい加減なことを言っているのではありません。れっきとした科学的根拠があるのです。心理学者はこのコンセプトを「適度な不安」と呼ぶこともあります。ヤーキーズ・ドットソンの法則によると、適度な不安があるほうが学習効果を得られると言われています。

言い換えると、自分で対処できる範囲であれば、多少のストレスは自分のためになるのです。それがコンフォートゾーンを飛び出すことの意味です。自ら境界線を押し広げ、自分の新たな能力を発見する。そうすることで、生産性が高まる以外にも、以下のようなメリットが得られるでしょう。

  • 多くを学べる:新しい情報や経験に身をさらすことで、自らの確証バイアスに立ち向かうことができます。確証バイアスとは、自分がすでに知っている情報や同意する情報だけを探してしまう傾向のこと。いつでも自分が正しい状態なんて、退屈だと思いませんか?
  • しなやかになれる:世捨て人のような生活をしていると、不快なことをするのが嫌になってきます。そのうち、非常にシンプルなことでも不快に感じるようになるでしょう。私は、しばらく在宅勤務を経験したあと、近所に食料品を買い出しに行くのも億劫になってしまいました。
  • 時間を緩やかに感じられる:ルーチンばかりの快適な状態にいると、時間が飛んでいくように感じられます。その対策の1つが、コンフォートゾーンから抜け出すことです。

不快さのメリットについて調べているうちに、あまりにも快適な状態に甘んじている自分に気がつきました。そこで2015年の初めに、もっと不快なことに挑戦しようと決めました。私にとっては、バーンアウトしないために少しずつ進めることが重要でした。ラッキーなことに、コンフォートゾーンからほんの少し飛び出すだけでも大きな違いが得られるそうです。以下に、私が昨年1年間のうちに挑戦した、不快なことを紹介します。

1. 昇給を求めた

私にとって、昇給交渉ほど怖いものはそんなにありません。同じぐらい怖いことと言えば、確定申告とブラインドデートぐらいでしょうか。

PayScale社によるサーベイの結果、人々が昇給交渉をしない理由は以下の3つでした。

  • 28%は交渉が不快
  • 19%は厚かましいと思われたくない
  • 8%は仕事を失うのが心配

昇給が怖い人の理由は、きっと上記のどれかでしょう。私の場合、3つとも当てはまりましたが、特に怖いのが仕事を失うことでした。昇給交渉は不快でも、聞いてみないことには始まりません。ことわざにもあるように、自分の価値に見合ったお金がもらえるのではなく、交渉した金額がもらえるものなのです。

これを心に留めて、勇気を出していくつかのクライアントにレートの値上げを交渉しました。あるクライアントには断られ、私はすぐに仕事を失うことが心配になりました。でも、そうはなりませんでした。交渉して断られたけれど、それまで通り仕事をいただいています。

その他のクライアントは、値上げに応じてくれました。おかげで年収が上がり、自信も高まりました。いえ、実際は、断られたことでも自信が高まったのです。私は、慢性的な低収入に甘んじていました。ただ働きをすることもあるほどでした。自分の価値を過小評価していたので、昇給を求めるのは欲張りだと思っていたのです。そのような敗北主義者的態度に甘んじることは簡単です。でも、殻を破ることで、たとえ断られても自信を大きく伸ばすことができるでしょう。

2. ルーチンから抜け出した

ルーチンにはまってしまうと、日々の習慣から抜け出せなくなります。いつかはもっといい物を食べて、もっと運動して、お金の管理をきちんとしよう。でも、その「いつか」はいつまでも訪れません。成功を収めるには、モチベーションが高いときにシステムを構築するのが1つの方法です。

2015年の前半は、かなり堕落した状況でした。多くの在宅ワーカーと同じで、好きな人やペットとしか過ごさず、外出することもほとんどありませんでした。定期的に休憩を取ろうと思いながらダラダラ働いたり、たまには家を離れてカフェで仕事をしようと思いながら家で働いたりと、あまりにもルーチンにはまっていたのです。

これを何とかしようと思った私は、快適なルーチンからむりやり抜け出すシステムを作ることにしました。地元の図書館で、毎週水曜日にボランティアを開始したのです(人のためになるのは間違いありませんが、正直なところ、完全にワガママな理由で始めたことでした)。

同僚は素晴らしい人ばかりでしたが、ボランティアはそんなに楽しくありませんでした。それどころか、恐怖を感じることも。子供向けプログラムの来場者数をカウントしていたとき、満員であることを告げると、失礼になるお客さんが多くいたものです。滑稽なほどに失礼な人もいました。ある客は、ほかに「仕事」を回すと言いました。別の客には、露骨に失礼な言い方で「ひどい人ですね」と言われたこともあります。

短く言えば、ボランティアはとても不快でした。それでも、ルーチンを抜け出すことで、2つのメリットがありました。

第1に、生産性が大幅に高まりました。ボランティアは「強制力」として機能したのです。図書館に行くまでの時間が決まっているので、1日中ダラダラ書くのではなく、より速くて効率的な働き方ができるようになりました。第2に、以前よりもハッピーになりました。1日が長く感じられ、充足感が得られるようになったのです。それは、図書館がいつもと違う環境とエネルギーを与えてくれたから。そして、失礼な客のおかげで、耐えることと自己主張することを学びました。それは、独りぼっちの生活のせいで、失っていたスキルです。

つまり、生産性とエネルギーが得られただけでなく、失っていたことすら忘れていたスキルを取り戻すことができたのです!

3. 真実を正直に話した

誰に対しても残酷なまでに正直になれる人もいますが、私はそのタイプではありません。つまり、言うのがつらい真実を、だいたいいつでも抱えています。それは、友だちの息が臭いとか、元カノの自慢をする友だちがうざいとか。あるいは、あなたは呼ぶつもりがないのに、結婚式に呼ばれたつもりになっている友だちとか。

何カ月か前に、友人から映画の誘いがありました。でも、私は見たくない映画でした。普通だったら見たくないと言えば済むのでしょうが、私は人を落胆させることに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。つまり、この手のことに正直になるのは、私にとって不快なのです。もちろん、それがよくないことだとは知っています。相手に失礼なだけでなく、嘘をつき続けるとあらゆる意味で意地悪になり、恨みが募ります。その結果、強固な人間関係を築くことができないのです。

いつもの私なら、見たくない映画でも、我慢して見に行ってしまうでしょう。たかが2時間、たかが12ドルと思って。そして、スクリーンを眺めながら、私にこんな映画を見せた友人に対してイライラしてしまうのです(友人は私に無理やり見せたわけではないのに!)。だから今回は、不快なことに挑戦しました。「今回はやめておくよ。その映画、あんまり好きじゃないんだ。悪く思わないでね」と、友人に返信したのです。もちろん、友人からはいたって普通の反応が返ってきました。「あら。どうやら私とあなたでは好みが違うみたいね。なんちゃって。またね!」

その時、映画の好みで気分を害するのはバカげていると、ようやく気がつきました。正直になればいいだけだったのです。実際のところ、正直になることで、相手との距離が縮まることもあります。今回のケースがまさにそうでした。ほんのちょっと不快な一歩を踏み出しただけで、その友だちと仲良くなれたのです。一方で、私の正直さを受け入れてくれない友人もいました。でも、それはそれで構いません。その友人とはいろいろな意味で合わないことがわかるきっかけになったので。不快なことかもしれませんが、正直になることは、友情をはぐくむ近道だと言えるでしょう。

4. 詐欺師症候群に立ち向かった

シャイな人や内向的な人にとって、カンファレンスは不快です。知らない人と話さなければならないし、知らない人と話しながら、自分が何をすべきかを見出さなければなりません。シャイじゃなくても、たくさんの成功者と同じ部屋にいるだけで脅威を感じてしまいます。詐欺師症候群(インポスターシンドローム)に陥ってしまうのです。

ですから、昨年母校からテーブルトークのオファーが来たときは、心の底から断りたいと思いました。経験豊富な成功した女性でいっぱいの部屋に、自分が入るなんて。でも、オファーが来るのはとても光栄なことなので、それを受けて参加することにしました。本当に、身のすくむような思いでした。数日前から恐怖に襲われ、当日は詐欺師症候群の症状を強く感じていました。自分がどうしようもないバカな詐欺師のように感じられ、それを周囲に見抜かれることが怖いのです。ある女性はテレビのニュースキャスター、別の女性は大企業のCEO。私なんかがその場にいる資格はないと思っているのに、彼女たちは優しく、私のキャリアに関心を示してくれます。私は耐えられず、自分が詐欺師のように感じられると話しました。すると、驚いたことに、多くの参加者が私と同じ思いを持っていたのです。

それからイベントが刺激的に感じられるようになり、がぜんやる気が湧いてきました。一緒に仕事をしたいという人に会い、知らなかった人たちとの時間を楽しむこともできました。

あれこれ言い訳をして、行かないことは簡単です。でも、出席することで、実利的な目的を果たすことができます。私は、人脈作りを快適に感じられるようになりました。


もう1つ、1年間コンフォートゾーンからの脱出を意識していたことで、私の中に変化がありました。それは、コンフォートゾーンからの脱出が容易になったこと。経験上、1週間コンフォートゾーンに収まっていると、次にまた飛び出すのが億劫になります。ですから、快適さにかまけて外の世界を忘れてしまう前に、安全地帯を抜け出すことを意識するようになりました。

逆に、時にはコンフォートゾーンに戻ることも大切です。快楽適応と同じように、不快さや興奮が新たな普通になってしまうことがあります。そうなってしまうと、人生の何もかもが退屈に見えてしまいます。頻繁にコンフォートゾーンに戻ることで、人生の機微やニュアンスがわかるようになります。それに、快適であることは悪いことではありません。とは言うものの、自分に挑戦して経験から学んだあとの快適さは、重みが違います。自分を鼓舞したあとに戻るコンフォートゾーンは、いつにも増して快適に感じられるでしょう。

Kristin Wong(原文/訳:堀込泰三)

Illustration by Tara Jacoby.