編集事務所「りす」代表の藤本智士さんは、「編集」をテーマに地方のまちづくりに尽力するキーパーソンです。関西を中心とした情報誌の編集・ライター業を経て2006年に雑誌『Re:S』(リトルモア)を創刊。11号で休刊するまで編集長を務め、2011年には人気アイドルグループ「嵐」が"ニッポン再発見"をテーマに国内を旅した様子を記録した『ニッポンの嵐』の編集・原稿執筆を担当し、現在は秋田県発行のフリーマガジン『のんびり』の編集長を務めています。これまでのスキルを地域に落とし込み、誌面づくりに留まらない立体的な編集をする彼に、今、地方で求められている「編集力」について伺いました。
編集者、有限会社りす代表。1974年、兵庫県生まれ。情報誌の編集・ライター業を経て2006年に雑誌『Re:S』(リトルモア)を創刊。2011年、『ニッポンの嵐』の編集・原稿執筆を担当。現在は秋田県発行のフリーマガジン『のんびり』の編集長。著書に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)、編著に『池田修三木版画集 センチメンタルの青い旗』(ナナロク社)など。
予定調和はつまらない。藤本さんの編集スタイル
藤本さんが代表を務める編集事務所の社名「りす」のもとにもなった雑誌『Re:S』が創刊したのは2006年。「Re:Standard=あたらしい"ふつう"を提案する」をコンセプトに、藤本さんをはじめとする編集チームが取材対象やスケジュールを決めずに全国を旅し、行く先々での偶然の出会いを誌面に落とし込むという独自の編集スタイルで注目を集めました。
ただ、もともとはむやみに有名人を起用しないというポリシーを貫いていたんですけど、有名人が載っていないことで手にとる人が減っているのも事実で、それは、「Re:Standard=あたらしい"ふつう"」と矛盾するのではないかと感じたんです。いろんな状況が安定し始めたところでもあったのですが、3年で休刊することにしました。

再編集して1冊にまとめた書籍『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。
『Re:S』で確立した藤本さんならではの編集スタイルは、『Re:S』休刊後に藤本さんが編集と原稿執筆を担当し、学校図書として全国の小中学校に寄贈された書籍『ニッポンの嵐』にも生かされました。これは人気アイドルグループ「嵐」が、"ニッポン再発見"をテーマに旅した様子を記録したもの。
通常の編集の手法が悪いわけではないし、そうせざるを得ない場面も多い。でも自分はこういう編集スタイルで突き抜けていきたいんですよね。そして、これからの社会で、そのスタイルで活躍できる環境はどこだろうと考えたときに「地方」だと思ったんです。
売れっ子編集者が地方に留まり続ける理由

藤本さんの現在の拠点は兵庫県神戸市。東京の出版社から発行されていた『Re:S』を制作していたときも拠点は大阪でした。
『のんびり』は、秋田県庁が秋田の魅力を全国に伝えるために打ち出した「あきたびじょんプロジェクト」の一貫として発行しているフリーマガジン。藤本さんは2012年の創刊時からこの冊子の編集長を務めています。
そして、若手の地元クリエイターとともに何か一緒にできることはないかと思っていたところに、秋田県庁による「あきたびじょんプロジェクト」を体現するメディアを作るための公募があって、彼らとともに参加したんです。当初プレゼンに参加していたのは7社くらい。僕たちは最終の3社に残ったのですが、最終的に選ばれたときに、秋田県庁の方から「ほかの2社も素晴らしくクオリティが高かったです」と言われました。ただ、僕たちの提案は「方法論がまったく違っていて、県庁としてもチャレンジです」と。最もチャレンジという言葉から遠そうな役所の方からそんな言葉をいただいたので、僕は絶対にこの人たちに恥をかかせたくない、ほかの仕事を投げ打ってでもやるぞと決意したんです。
よそ者目線を生かして編集する

秋田県は人口減少率が全国ワースト1位、少子高齢化が最も深刻化していると言われている県。だからこそ藤本さんは「この県から未来を考えることが、日本の未来を作る一番の早道なんじゃないか」と考えたのだそう。これまで培ってきた編集スキルを地元の若手クリエイターたちに伝えていくという、もうひとつのテーマも抱きながら冊子づくりを開始し、現在では4年間、『のんびり』の制作を続けています。

地元の人々が気づかなかった土地の魅力を発見した事例として、藤本さんは秋田出身の木版画家、池田修三さんをあげてくれました。2004年に亡くなるまで、情緒あふれる子どもたちの情景を木版で表現してきた作家です。

初めて目にして以来、池田修三さんの作品のファンになったという藤本さんは、池田さんの故郷・にかほ市象潟町を訪ねました。町の入り口には「池田修三の生誕の町」という看板があったり、土産屋には池田作品のポストカードがあるのではないかと期待していたそうですが、その期待は見事に裏切られます。
とは言え、ただ説得するだけでは町の人にアクションを起こしてもらうのは難しいと感じていた藤本さん。地方の人々に宝物の魅力に気づいてもらうためには目に見える形にすることが大切だと考えて、『のんびり』3号で大特集を組んだのち、ほかの仕事で付き合いのあった大阪のイベントホールをはじめ、少しずつ全国各地に展覧会の場をつくっていきました。そんな取り組みを経てようやく、昨年には池田修三さんが生前になし得なかった秋田県立美術館での展覧会が実現。9日間の会期でしたが、会期中は約1万2000人が訪れて至上最高の動員数を記録し、今ではにかほ市象潟町にも池田修三さんの故郷であることを示す立て看板が設置されたそうです。

さまざまな地方を訪れるなかで街の取り組みを目にする機会が多かったという藤本さん。そのなかには、予算の切れ目が縁の切れ目となり、消えていく取り組みもたくさんあったそうです。
みんながビジョンを持って発信してもいい時代

藤本さんは、本質的な編集の力を伝えるための試みとして、町の魅力を伝える「壁新聞」を作るというワークショップも開催しています。編集未経験の参加者たちは藤本さんから1時間ほどレクチャーを受けたあと、チームに別れて取材に出かけ、編集会議を経て掲載内容を決めます。原稿を書いたら地元デザイナーがその場でレイアウトを組み、夜には1枚の壁新聞が完成するというワークショップです。

『しばたんぼう壁新聞』(新潟・新発田)。
最後に、それぞれの町がPRを行う際に、必要なことは何なのでしょうかと藤本さんに聞いてみました。
藤本さんに取材させていただいたあとの2月半ばに、2015年度で紙媒体としての『のんびり』の発行が終了することが報じられました。現在藤本さんは先述の言葉のとおり、『のんびり』継続の新たなカタチを提示すべく、さまざまに動いているそうです。編集者の仕事とは、雑誌や書籍をつくるだけでなく、いいものを見つけ出して、必要であれば目に見える形にしながら、その魅力を立体的に伝えること。地方においては特に、目に見える形で展開することが重要であり、それによって初めて、街の人々を巻き込むことができるのだと気づかされた取材でした。新しく生まれ変わる『のんびり』はもちろん、藤本さんが今後どう編集の力を地方に生かしていくのかも楽しみにしたいと思います。
(取材/松尾仁、文/宗円明子)