ご存知の方も多いと思いますが、『半熟アナ』(狩野恵里著、KADOKAWA)の著者はテレビ東京の人気女性アナウンサー。2013年4月から、前任の大江麻理子アナに代わってバラエティ番組「モヤモヤさまぁ~ず2」に出演していることで知られています。また、他にも「ネオスポ」「SUPER GT+」「競輪中継」などを担当しているそうです。

本書は、いま注目すべき女子アナのひとりといえそうな著者による初のエッセイ。生い立ちからアナウンサーとしての失敗談、持論や将来についてのことなどが素直につづられています。きょうはそのなかから、第4章「人生はトライ&エラー」にスポットを当ててみましょう。

見逃し三振はしたくない

新人時代の著者は、話題の店の食べものを紹介する「食レポ」の仕事も多く担当したそうです。そんななかでいつも意識していたのは、「おいしい」「うまい」などありきたりな言葉に頼り切らず、「どう味を表現するか」ということ。「自分なりに感じた言葉で伝えなくてはいけない」と、自分の色を出したがっていたところがあったのだといいます。

ただし、なんにしても同じことがいえるでしょうが、そのような使命感にかられると、結果的にはおかしな方向に向かってしまったりするもの。著者も同じで、数々の失敗を重ねてきたのだそうです。

「この旨味は3日ぐらい寝かせたものですね」とシェフに振ったところ、「そんなに寝かせていません」と返されたり、「これはウスターソース独特の甘みでしょうか」と勝手に決めつけ、即座に「違います」といわれるなど。

よかれと思って聞いたのにむしろ逆効果で、「自分なりに感じた言葉で伝えたい」と考えた挙句、玉砕することも少なくなかったということです。でも数回に一度くらいは「きょうのリポートはとてもわかりやすかった」と褒められることもあり、それが励みになっていたのだとか。

無難に守るのは簡単、逃げるのも簡単。でも、毎回、何かしらのTRYはしてみよう。

基本的にヒットは少なくても、見逃し三振だけはしたくない。

全力で振りたい。

それをしなければ、自分の世界が広がっていかない。

(135ページより)

失敗の積み重ねから実感したのは、目標は大きいのに、それに自分が追いつかないということ。だからこそ大切なのは、どんなに慣れてきても、基本的なことをきちんと抑えたうえでの「TRY」でなければいけないということだといいます。(134ページより)

100を学んで、1を出す

「100勉強したうち、1を出せればいい」

(150ページより)

これは著者が研修のとき、先輩たちからよくいわれた言葉だそうです。特に実況担当の先輩から聞いたのは、綿密に下調べをし、緻密な資料をつくって予習しておかなければ、試合やレースの実況はできないということ。ただし、そのなかで実際に本番に活かせるのは、100のうちのひとつあればいいほう。

生放送ではなにが起こるか予測できないため、臨機応変な対応が必要になるもの。たとえば試合やレースの実況だとしたら、どんなハプニングにも対応できるように、選手のプロフィールや背景について、しっかり把握しておくことが大切だという考え方です。

また取材する際は、ただ用意しておいた質問を投げかけるだけでは不充分。相手の返答に対して、そこからさらに掘り下げていくことが重要だというわけです。だからこそ、事前にいろいろなアンテナを張っておき、多方面に話を広げられるように準備しておくことが不可欠。著者はまさにいま、そう痛感しているところだとか。そしてそんななかで、思うことがあるそうです。

「100勉強したうち、1を出せればいい」という言葉は、考えてみれば、この1を出すためには100勉強しなければいけない時もある、ということでもあります。

ひとつやふたつ、付け焼き刃的に勉強したところで、それを先に他の人に出されてしまったら意味がないからです。(151ページより)

著者は自分の悪い癖として、自分が持っている情報が相手にないときほど、それを出したがる傾向があると自己分析しています。「この情報持っています!」と押しつけがましく自分のタイミングでいい放ってしまうことが多々あり、そのたびに怒られているというのです。それはきっと余裕のなさの表れなので、もっと自分に余裕が持てるようになりたいのだといいます。(150ページより)

「生きたいように生きなよ」

2012年に「柔道グランドスラム東京」という大きな国際大会に携わった当時の著者は、早朝の「モーニングサテライト」や深夜の「ワールドビジネスサテライト」も担当していたため多忙をきわめていたそうです。

月・火・水は朝3時に出勤して「モーニングサテライト」の生放送、木曜日は「ワールドビジネスサテライト」で23時から生放送、その合間に柔道の取材のため茨城県つくば市まで行き、翌日また「モーニングサテライト」のため早朝から出勤し、翌日はまた柔道の取材......というようなスケジュールを繰り返していたというのですから、その忙しさはかなりのもの。

実際、忙しくて寝る間もないほどだったものの、充実感があったのだそうです。とはいえ完全にキャパシティオーバーで、あるとき風邪をひき、喉がつぶれてしまうことに。

周囲から「体調も管理できないなんて、プロ意識が低すぎる」と怒られたといいますが、そんななか、「いつも必死でがんばりすぎている。自分が周囲になにを求められているのか、冷静になって考えてみてごらん」と声をかけてくれた先輩アナの言葉が心に残っているそうです。

「どこで自分が力を発揮しなきゃいけないか、まずそれを考えなきゃ。(中略)狩野は飲み会にもよく行っているけど、すべての人にいい人って思われたいがために、そう演じていたら疲れちゃうよ。別に、いい人にならなくてもいいじゃない。生きたいように生きなよ」(172ページより)

その言葉のとおり、当時の著者は無理を重ね、どんなに忙しくても、飲み会や食事に誘われれば無理をしてでも行っていたのだそうです。「楽しい場が好き」だということもあったとはいえ、「誘われたら行かないと悪い」「いい人と思われたい」という思いはたしかにあったかもしれないとも感じたのだとか。だからこそ、その言葉を聞いたとき、「うん、たしかに」と、ストンと腑に落ちたといいます。(170ページより)

いってもらえるうちが華

仕事について悩んでいた新人時代、著者はよく先輩たちから「いまはつらいかもしれないけれど、5、6年目あたりから、ようやく仕事が楽しくなってくるよ」と聞かされていたそうです。2016年4月でアナウンサー生活8年目になるといいますが、振り返ってみれば本当に5、6年目あたりから、そのことを身にしみて感じるようになったとか。

もちろん経験値も違うのだから、すぐ先輩と同じ土俵に立てるわけではない。しかしそれでも、気がついたらほんの少しずつ、仕事が楽しくなってきたというのです。

また同時に、5年目、10年目、15年目の壁もあると聞かされてもいるそうです。自分ができることも見えてくるけれど、同時にできないことも見えてきて、「自分はなぜこんなところで壁にぶち当たっているのだろう」と思い悩む人も多いということ。著者の場合は「モヤさま」についたのがちょうど5年目で、初のバラエティ番組ということから、攻略法のわからない大きな壁にぶち当たったのだといいます。

また、まわりのおかげで少しずつ楽しめるようになってきているものの、慣れてくると、つい調子に乗ってしまう自分の欠点が露呈してしまったことも。そしてそのたび、周囲には注意をしてもらえる環境があった。そのことに感謝しているといいます。(177ページより)

叱られるのも、注意をされるのも、少なくとも、まだ伸びしろがあると思ってもらえているということ(だと思いたい)。

何事も、言ってもらえるうちが華。

「叱られることの幸せ」を噛み締めながら、日々精進していきます。(180ページより)


書かれていることの多くは、「アナウンサーだけがわかる特別なこと」では決してなく、社会に出れば誰しもが感じることでもあります。だからこそ、読んでみれば共感できる部分を見つけることができるかもしれません。

(印南敦史)