(前略)「つらいこと」をなにもかも避けて生きていける人はいません。それでも、「次はもっとうまくやろう」と何事もなかったかのように楽しげに毎日を過ごす人もいれば、「こんなのやってられないよ」と数日あるいはもっと長い期間、くよくよと「終わったこと」で頭がいっぱいになってしまう人もいます。(中略)できれば、心が折れそうなことがあったとしても、そのイヤな気持ちを「引きずらず」前向きな気持ちに「切り替えて」過ごしたいものです。(「はじめに」より)
そう語るのは、『「引きずらない」人の習慣』(西多昌規著、PHP研究所)の著者。おもに大学病院で患者さんの診察や、医学生・研修医の教育に携わってきたという人物です。現在はスタンフォード大学で、ご自身の専門である睡眠医学の研究を行なっているそうです。
自身も当然ながら、人間関係のトラブルでネガティブな気持ちを引きずってしまったり、心を砕かれた経験があったといいます。また、自分よりもはるかに大変な、「引きずりそうな出来事」を克服してきた患者さんを数多く診てもきたそうです。そしてそんな経験からいえるのは、くよくよしないことはできないにしても、いつまでも「引きずらない」ことはできるということ。そこで本書では、「引きずらない」人の習慣を紹介しているというわけです。
では、「引きずる人」と「引きずらない人」の違いはどこにあるのでしょうか? 第1章「引きずる人・引きずらない人の違い」から、いくつかの答えを引き出してみたいと思います。
どんなときに忙しい?
人生は、うまくいかないことのほうが多いもの。でも、その受け止め方は人によって大きな差があります。ことあるごとに失敗を思い出し、いつまでも引きずっている人がいる一方、切り替えスピードが速く、引きずらない人もいるということ。では、後者はなぜ引きずらないのでしょうか?
その理由のひとつを著者は、引きずるヒマもないくらい、あるいはそんなことにこだわっていられないほど「忙しい」ことだとしています。当たり前すぎるようで、これは重要なポイントかもしれません。なぜなら人は、ヒマになるといろいろなことを考えてしまうものだから。それも、考えるのはたいていの場合、悪いことばかりです。
時間に余裕ができると、過去の失敗や不運を思い出し、ふたたび落ち込むことがあります。しかしそうなると、失敗や不運の記憶がさらに脳へとインプットされていくため、悪いループに入ってしまうわけです。
しかし、たとえつらいことがあったとしても、適度に忙しくしていれば引きずらなくてすむものです。ちなみに著者によれば、ここで大切なのは、「自分の仕事で忙しいこと」だとか。そしてその裏づけとなるのは、「自己効力感」という心理学の用語。なんらかの問題に直面したときに、自分でしっかり遂行でき、自分のためになっているという自信のようなものだそうです。
もしも「自分の仕事」ではなく「他人の仕事」だったとしたら、なんのためにやっているのかわからず、忙しくても「自己効力感」は得られないでしょう。そして「なんで自分ばかりがこんな仕事をさせられるのだろう」と考えてしまいがち。加えてもっとも気をつけるべきは、こういったときにこそ「引きずりやすい」失敗を重ねやすく、不幸をも招きやすいということだといいます。
そこで、つまらない仕事に臨むときは、自分のスキルアップした姿やもらえる報酬を想像してみるといいそうです。そうすることで動機づけが明確になり、気が進まない仕事も「自分の仕事」と思えるようになるから。なんとかそう思えるようになれば、ネガティブな気持ちを引きずりにくくなるわけです。(12ページより)
人の話にどう対応する?
人は他人の話を聞くよりも、自分のことをしゃべりたがるものです。しかし相手の話を聞くことは、よい人間関係を築くうえでも欠かせないこと。そして、この点においても引きずる人と引きずらない人の差が表れるのだといいます。
引きずらない人は、他人の話を充分に聞いていても、深読みしたり邪推したりしないというのです。話の重要性をうまく振り分け、「適度に聞き流す」のが上手だということ。ただでさえ、人の話を聞くのはストレスのかかることです。しかも、はじめから終わりまで集中して聞くとなると、非常に疲れてしまいます。
その一方、相手の話をはじめから終わりまで、真剣に聞いてしまうまじめなひとがいるのも事実。そういう人は必要以上に、相手の言葉の裏を読んだり、深読みをしたり、邪推したりします。まじめな性格が災いし、あとになって「悪いことを聞いてしまった」などと、あれこれ分析したりしてしまうのです。
しかし人間はうつ的になると、「自分が無能だから」と自責的になったり、あるいは「部長がいるからこんなにつらいんだ」というように他責的になったりするのだとか。どちらも、他人の話を自分のゆがんだ認知に合わせ、あたかも妄想のように解釈していくようになるといいます。妄想とは、事実とは異なる内容を信じ込んでしまうこと。いわば、被害者にも加害者にもなりえるわけです。
そうならないためにも、深読みや邪推は慎むべきだと著者。そして自分や会社に対して不満な点を紙に書き出してみると、「これはちょっと考えすぎかな」と客観視できるようになり、妄想の世界から離れやすくなるそうです。(20ページより)
相手に期待する?
日本人は、言葉ではっきりと意思疎通をするのが苦手だといわれます。そしてその裏側にあるのは、「他人は自分の気持ちを察してくれるだろう」という独特の甘え。著者は、この甘えが強い人は、「引きずりやすい人」だと分析しているそうです。
たとえば、「これ、適当にやっておいて」といわれたり、あるいは人にいったりするようなことがありますが、この「適当」が厄介。なぜなら具体的な内容まで説明していないため、言葉にならない空気を察し、「上司を満足させるような仕事をする」という、あいまいな定義になってしまうから。
そしてこのように「適当」なコミュニケーションは、「引きずってしまう」トラブルを引き起こしがち。いうまでもなくその根底には、「細々と説明しなくても、意図をちゃんとくみ取ってくれているはず」という勝手な思い込みや期待があるからです。
また、自信たっぷりの思い込みや勝手な期待が裏切られると、ダメージもあとを引いてしまうもの。たとえば上司だったら、「こんなはずじゃないだろ!」と、がんばった部下を怒鳴ってしまうこともあるかもしれません。
一方、指示をもらう部下にも、上司と同じような期待や甘えがないわけではありません。人間には自己愛があるものですが、自己愛が強すぎると自分の考えをうまく伝えられない人の場合、コミュニケーションでの摩擦が大きくなってしまうということです。
上司からダメ出しをくらい、自尊心が傷ついたり裏切られたりすると、誰だって少なからず尾を引くもの。そして自己愛が強いほど、引きずり度は強く長いものになるといいます。しかも、捨てるのがなかなか難しいのが自己愛。だからこそ、「相手が自分の考えを推し量ってくれるだろう」という、期待や思い込みをなるべく持たないことが大切。
そして相手の考えや望みを勝手に判断せず、なるべく仕事や作業のイメージを共有してシェアすることが重要。「引きずらない人」ほど、きちんとコミュニケーションをとり、相手に勝手な期待を押しつけないものだと著者はいいます。(28ページより)
謝らなければならないときは?
電車が人身事故で止まってしまったり、用事が重なってしまったり、たとえ自分は悪くなかったとしても、アンラッキーが続いたり、突然の体調不良などでどうしようもなくなるときはあるものです。そんなときに人がやりがちなのが、言葉による自分の正当化、つまりは「言い訳」です。
著者は言い訳について、「相手にどうしようもなかったことを理解してもらって、自分のステイタスを守ろうとする行為」ともとれると指摘しています。しかし多くの場合、言い訳は、相手の気分を害することが大半であるはず。保身や自己弁護といった自己中心的な態度が鼻につき、不愉快に思われるわけです。
ところが人間は、不愉快なことほどよくおぼえているもの。よって言い訳は相手のマイナス感情を引き起こし、人間関係を悪化させてしまうことにますます、失敗を引きずる下地ができるということです。
では、どうすればいいのでしょう? 答えはシンプル。引きずらないためには、さっぱりあきらめて、謝ってしまうこと。「外国では安易に謝罪してはいけないといわれますが、ここは日本でのお話」という著者の言葉には、不思議な説得力があります。
いずれにせよ、素直に謝ってしまうことで、不満やもやもやを断ち切ってしまえば、引きずることもないわけです。もちろん自分に非がない場合は話が別ですが、思い当たるふしがあるなら、言い訳をして無意味な抗戦をするよりも、明るくあきらめて謝ってしまうほうが、次の展開が見えてくるものだということです。(32ページより)
柔らかな文体でつづられた本書を読むと、ちょっと気持ちを切り替えるだけで、簡単に「引きずらない人」になれることがわかるはず。怒りや不安などから抜け出せない人は、ここから突破口を見つけ出すことができるかもしれません。
(印南敦史)