ライフハッカー[日本版]では、日蘭通商航海条約による特権を利用して、オランダで起業・移住する方たちにお話をうかがってきました。在日オランダ大使館でお話をうかがったあと、ライフハッカー[日本版]編集長の米田智彦は取材の必要を感じて現地オランダへ飛びました。
今回は、すでにライフハッカー[日本版]にオランダへ移住するコツを寄稿してくださっており、ご家族4人でロッテルダムに移住された渡邉俊幸さんに移住のきっかけや子育て、生活の様子などについてお話いただきました。
渡邉俊幸(わたなべ・としゆき)
オランダ・ロッテルダム在住の個人事業主。国際基督教大学卒業後、自治体職員、気象会社、民間シンクタンク勤務を経てオーストラリアの大学院に留学。在学中に次の人生の候補地としてオランダの魅力に気づき、2014年8月にオランダへ渡航。現在はオランダでのスモールビジネス立ち上げを総合的に支援する「JN Connect」の事業を展開。ほかには気象災害対策やオランダ国内外の水害対策をテーマとした「Weather Plus Communication Design」の事業も手掛け、日本からのオランダ視察などに対応。1977年生まれ、2児の父。気象予報士。
起こしたビジネスでどうマネタイズしていくのか?
インタビューはパンやハム、チーズなどの店が集まった「Fenix Food Factory」にて行われた。
米田:渡邉さんは今、オランダでどんなお仕事をされているんですか?
渡邉:水害対策がもともとのライフワークなので、それに関する情報発信や視察対応もしていますが、主にはオランダに移住する人のお手伝いをしています。移住してきたいという方がいたら、「こういうことが必要ですよ」と判断材料を提供しています。スタート地点に立つことの後押しみたいなことをやっていますね。
米田:それは、どんな風にマネタイズしてビジネスとして確立していったんですか?
日本からの移住者のアドバイザーみたいな人って、各地にたくさんいると思うんですけど、それを仕事にするっていうのは、すごく難しいのではありませんか? たとえば、「ここでお金を取る/取らない」の基準はどういう風に決めていったんでしょう?
渡邉:もともと、僕も海外に移住するにあたってそういうビザの取得を支援する会社を使おうかと思っていたんですよ。
オーストラリアやニュージーランドではだいぶ発達していて、自分でも使おうとしたんですけど、サービスはテンプレートに当てはめていくという感じで、期待していた通りのものがなかったんです。自分がやるとしたら、個人のニーズをちゃんと汲み取って、それに対応する提案をしていきたいと思っていました。お金を生み出す仕組みづくりは本を読んで勉強もしましたが、1人で考えていても埒が明かないと気づいたので、有償でメンターを頼んでアドバイスをもらいながら進めました。
国土は狭いながらも酪農大国でもあるオランダ。豚肉輸出量は世界第2位、チーズの生産量は世界5位。新鮮なハムやチーズをつまみながらインタビュー。
米田:なるほど。渡邉さんのようなお仕事をしている人はオランダにはいなかったんですか?
渡邉:オランダという国では日本人向けにそういうことをやっている人もいなかったので、「自分が調べた範囲のことは伝えよう」みたいな感じで始めたのがまずきっかけですね。今のところは面談や移民局の申請の支援みたいなところで手数料をいただいたりとかしています。
35歳で留学、そこからオランダ移住を成功させる
ヨーロッパ最大の港町・ロッテルダムの地図を指差しながら街について解説する渡邉さん
米田:もともと役所で災害対策に関するお仕事をされていて、そのあとウェザーニューズで台風や大雨などの気象災害に関わるというユニークなキャリアをお持ちの渡邉さんですが、独立されようと考えるようになったきっかけは何だったんですか? 役所に勤めていた人がフリーランスになったり、起業するってあまり聞いたことがないので...しかも海外で、ですから、なおさら興味があります。
渡邉:僕の場合、自分の生まれた街の役所に勤めていたのですが、1つの街のことから国レベルのこと、ひいては世界に関わる仕事がしたいという思いは20代のころからありました。
35歳のときに仕事を辞めて、奨学金を得てオーストラリアの大学院に留学しました。研究テーマは「気象情報はどう災害対策に役立つか」というちょっとマニアックな分野で、日本でも海外でもぴったりとくる仕事自体がほとんどありませんでした。
ただ留学していたときにちょうど、途上国の気象機関に派遣される専門家のアシスタントとして気象業務を改善していくといった仕事があったので応募してみたりもしたのですが、残念ながら受かりませんでした。
いよいよ留学期間の終わりが見えて、「さあ、どうしよう?」となったときに選択肢となったのがオランダでの起業です。オランダは日本国籍を持つ個人事業主が滞在しやすく、しかも水と常に戦い続けた場所であり、専門にしていた水害についての知見がたくさんたまっているとわかったので、「これはもうオランダに行って自分で仕事を作り出していくしかない!」と思いました。
40代くらいで移住を検討している人もいる
アムステルダムと比べると近代的な建物が多いロッテルダム。その理由は第二次大戦で焼け野原になったためだという。高層ビルの形も独創的なデザインが多い。
米田: 渡邉さんの過去のライフハッカーへの寄稿の影響か、TwitterやFacebookを追っているかぎり、海外移住に関して「シンガポールの次はオランダかな」なんて言っている人も見かけるようになりました。確実にオランダ移住の熱が高まっていると思います。
渡邉:問い合わせを受ける側から見てですが、実際にオランダにもう来ている人には、ヨーロッパのほかの国やアジアからなど、1回海外に出ている人が多いです。早く動きやすいのかもしれません。
日本から来ようとされている人は、下見や情報収集から始めていきたいという方が多いと思います。
米田:「海外に一度は住んでみたい」と思っている人にとって、生活水準が高くて、清潔で、文化水準も高いヨーロッパはやっぱり魅力的だと思うんですが、特にリーマンショック以降のイギリスなどで顕著ですけど、国が閉まっちゃったような状況が続きましたよね。それでヨーロッパから引きあげて日本に帰ってくる人が知人にもいたんですが、そんな中でオランダがヨーロッパ移住への門戸を開いてくれたっていうのがすごく衝撃的でした。
渡邉さんに相談してくる人にはどんなタイプの人がいますか?
渡邉:それこそ、個人で来たいという人から、家族連れの方、あとは富裕層の方まで、かなり幅がありますね。すでに起業の経験がある方からこちらに来てビジネスをゼロから始めたいという方もいます。
米田:
神戸真理さんというデン・ハーグに住まれている女性の方は、25歳でいきなり起業していて、ビックリさせられましたけども。
渡邉:音楽やアートの分野で起業されている方もいます。また、ちょっと上の世代の人もいますね。40代ぐらいの方で「もう最後のチャンスだから」という感じで、「今までのキャリアでこれから海外で何がやれるか?」と考えながら、来ようとされています。
米田:僕も42歳なので、やっぱり海外に住むとしたらいつまでかな...っていうのは頭のどこかにありますよ(笑)。
渡邉:僕も30代の頭ぐらいで、いつかは海外に住みたい、と思ったんです。まさかこういう形で実現するとは思っていませんでしたが。
米田:奥様はどういう反応だったんですか?
渡邉:最初は反対していました。「行こうって言っても仕事があるわけじゃないし、生活はどうすんのよ?」みたいなことを言っていました。意見が合わずに険悪になった時期もありはしたものの、失敗しても何とかなる方法を考えながら、お互いの人生にとってメリットになる形を選びました。最終的には、彼女にとっても大きなキャリアチェンジとなりましたが、オランダでの大学院留学を経て、今はローカルの企業で働いています。
小学校からオランダ語・英語を学べる
渡邉さんのお子さんが参加した学校の音楽発表会の写真。多種多様な人種の子供たちが集まる。
米田:お子さんはお2人いらっしゃるんですよね。オランダの教育水準の高さも移住のメリットとしてあるんじゃないですか? オランダに住んでいると、普通に英語も使いますしね。
渡邉:そうですね。確かに教育レベルが高いと言われるのは魅力的でした。うちの子は4歳だったので、オランダに来ると同時にローカルの学校に入りました。オランダ語の世界に最初は戸惑ったようですけども。
米田:英語、オランダ語、日本語がしゃべれるようになりますね。
渡邉:オーストラリアにいたときは3歳から4歳くらいで英語が少し話せるようになったんですが、オランダ語が上達するにつれて英語は忘れちゃいました。
米田:ああ、もう忘れちゃいました?
渡邉:聞けば、なんとなくわかるみたいです。オランダでは小学校の高学年から英語が始まるんですけど、1年生からやる学校もあって、そこに通わせています。週3回ほど45分の英語のクラスがあります。それでちょっとずつキープしていければいいんですが。
米田:10歳以前の語学教育って大きいですよね。僕も自分の親を恨みましたよ。なんで子どもの頃に英語を叩き込んでくれなかったんだよ〜って(笑)。やっぱり日本人って大人になってからの外国語の習得にすごく苦労するじゃないですか。
渡邉:自分もそうなんです。オランダは言葉の教育を重視しているから、英語とオランダ語、それにほかのヨーロッパの国の言葉を学ぶことになるんですけど、それも魅力的だなって。
米田:ですよね。あとはスポーツとかアートとかカルチャーも満載だし、オランダは文化に厚みがありますね。
日本人が差別されにくい雰囲気がある
港、川、近代的な建物というのがロッテルダムの街の特徴。
米田:移民が多いと格差や差別の問題と必ず向き合うことになると思うんですが、オランダには寛容で自由な精神がありますよね。その辺、住まわれて肌身で感じることはありますか?
渡邉:ロッテルダムはオランダでも有数な多文化都市で、子どもの行く学校でも白人がマイノリティーなんですよ。クラスに20数人いて、白人の子が1人か2人ぐらいです。あとは世界各地からの移民で、みんなオランダ語を話しますけど、いろいろな出身地の人が当たり前にいます。次男の通う保育園も多文化が当たり前なんですよね。政治の世界では排斥派が支持を伸ばしていることもあるのですが、普段の生活では差別があるような感じはあまり受けません。
米田:そこは、同時多発テロがあったフランスとも少し違うところですか?
渡邉:フランスには住んだことがないので比べるのが難しいですが、様々なバックグラウンドを持った子どもたちが一緒にオランダの国王の日を祝ったり、クリスマスなどのイベントを楽しんだりしているのを見ると、疎外とか隔絶といった雰囲気はあんまり感じないですね。
米田:オランダで目に見えたイスラム排斥のような動きってあるんですか?
渡邉:一応あります。国会で「イスラムの人たちがいないオランダを想像してみましょう」みたいなことを言う人はいます。フランスでのテロの直後に言っていましたけど、じゃあそれがメインかって言われるとまた違うと思います。
米田:あとは日蘭条約もそうですけど、日本人に対して好意的であるというのも大きいですよね。
渡邉:オランダに住む60〜70代以上の日本人には、第二次大戦の傷跡が残っていて、差別を受けたりとかご苦労されていたみたいなんですけど、われわれ30〜40代ぐらいの人たちからはあまり差別を受けたと聞いたことはありません。
米田:中国人も少ないですよね。
渡邉:アジアの人が少ないですね。中国からの人は確か3万人弱です。人種への偏見・差別という話になってくると、アジア人よりも、中東系、アフリカ系、イスラム系とか、そちらになってくると思います。
米田:その中で日本人がオランダ社会の中で活躍するシーンってどういうものだと想像されますか?
渡邉:オランダ企業が日本に進出するときに、日本のバックグランドを知っている日本担当という形で、日本のマーケットへの窓口や架け橋になることは期待されていると思います。経済的に強い国の1つと認識されていますから。
メリットを徹底的に重視するのがオランダの合理性
ロッテルダムの中心地にはユニークな形の住居棟が立ち並ぶ。
米田:若者、家族連れ、富裕層、起業家と4パターンくらい、オランダ移住を考える人がいるということですが、仕事をどうするのかというのはとても重要ですよね。
渡邉:現地就職を希望される方もいますが、残念ながら求人がなかなか多くないのがネックです。仕事はオランダローカルのビジネスパートナーを見つけて一緒にやっていける土壌があると思いますね。オランダ人は合理的なので、こっちが個人の日本人であろうが、法人であろうが、「自分にメリットがあるんだったらその話は進めよう」という考え方をするようです。だから、臆せず当たってみるとわりと心を開いてくれて、道が拓けるみたいなところがあるんじゃないでしょうか。
米田:オランダってヨーロッパの中でもずけずけものを言う国民性があるとうかがったのですが、それもすごくおもしろい話だなと思いました。主張が強いということですか?
渡邉:主張が強いのもあるかもしれませんが、それよりも「言わなきゃ何考えているか分からないでしょ」みたいな感じでしょうね。
米田:違いがあるのが前提だっていうことですね。
渡邉:「なんかこう、察して」という文化じゃなくて、それぞれ思っていることをテーブルの上にバッと全部出して解決策を探る。そういうことが好きなようです。
米田:そうした気質がヨーロッパ人の中でも、「オランダ人はちょっと怖い」みたいに思われているくらい激しいものだというのは、すごくおもしろいですね。主張が激しいと言っても、国によって程度には差がありますよね。
渡邉:オランダ人には、「その場をちゃんと解決に持って行こう」というメンタリティーもある感じです。
米田:今年、僕はスウェーデンにも行ったのですが、ちょっと日本人に似ているなと感じる部分があったんです。スウェーデン人はもちろん主張はするけど、「それくらい察してよ」っていう空気もすごくあるなと思いましたね。でも、オランダはちょっと違いますね。
渡邉:要は、「みんな1つの堤防の中に住んでいて、それを守っていくためには嫌いだろうが好きだろうが、協力していかなきゃやっていけない」というオランダの土地に根差した考え方が背景にある感じです。それで、ポルダーモデル(オランダで政府・労働者・企業が共同で行った雇用改革。パートタイムとフルタイムの差をなくした)が発達したって言われているんです。
米田:つまりは、合理的ということですよね。
渡邉:そう、話し合いながら、着地点を見つけ出していきます。時に皆が皆、言いたいことを言うので混乱するみたいですが(笑)。
米田:マリファナや飾り窓(売春宿)の合法化もそうですよね。小さい国だからヨーロッパの中で、少ないリソースを使ってきた歴史がある。「少ないリソースや国土を使ってどうやってビジネスをして、サバイブしていくのか?」というのを皆、常に考えているというか。
渡邉:売春の場合、女性がどこか組織に雇われて、性産業に従事させられる──人身売買を防ぎたいというのがオランダにとって一番の問題なんだと思います。「それだったら合法化して、管理すればいいじゃないか」というので始まったそうです。そうすれば税金も入って一石二鳥ですね。病気のまん延を防げるし、衛生面も管理できます。
非合法にしても、誰もやめなくて取り締まりのコストがかかる。ソフトドラッグもそうですよね。ハードドラックはダメですけど、ソフトだったらルールの中で黙認しますよと。こんなところにもオランダ人の合理性が表れていると思います。
4日働いて3日休む。ポルダーモデルでの働き方
ロッテルダムの図書館にて。公共の建物もデザインが効いている。
渡邉:日本などからの問い合わせに答えたり、今後、事業をやっていくうえで必要な調査みたいなことを主にやっていますが、子育てや主夫もしています。
朝、妻が出て行くのが7時半ぐらいで、アムステルダムに通っています。通勤は1時間20分くらいです。子どもたちを保育園や学校に送るのが8時前、朝ご飯を食べさせながら夕ご飯を作ったりとかしています。帰って来て9時ぐらいからちょっとだけ家事をして、5時くらいにお迎えに行くまで自分の仕事です。妻が帰って来るのは7時過ぎ。子どもは8時半から9時ぐらいに寝るので、そのあとまた仕事をすることが多いです。
米田:ワークシェアリング発祥の国でもあるし、渡邉さんがやられているようなことが当たり前の国でもありますよね。
渡邉:会社勤めの妻も、子どもが熱を出したときなど、ある程度柔軟に動けますね。たとえば、日本との時差に合わせて家で朝5時から8時まで働いて、昼間に子供の対応をしたあとまた働き、1日の時間数を満たすといったように、わりと自由に働いていることもあります。
米田:働き方の自由度を感じることはありました?
渡邉:やっぱり男性とかも子育てしていますからね。4日間働いて1日休みとしている人もいます。だから週3回休みですね。
米田:なるほど、その辺は日本とまったく感覚が違いますね。
渡邉:給与も労働時間に比例しています。規定の労働時間の100%働いたら給与も100%、80%だったら80%です。だから時短労働になっても、給与ががくっと下がるということはありません。
30代になってから「いつかは海外」と考え、それを実現させた渡邉さん。ワークホリデーなどの恩恵を受けられる若者だけでなく、30代に入ってから海外移住を成功させることは十分可能なようです。特にオランダは今後も注目です!
(聞き手・写真/米田智彦、構成/神山拓生)