ライフハッカー[日本版]では、日蘭通商航海条約による特権を利用して、オランダで起業・移住する方たちにお話をうかがってきました。在日オランダ大使館でお話をうかがった後、ライフハッカー[日本版]編集長の米田智彦は取材の必要を感じて現地オランダへ飛びました。
今回はまだアムステルダムに移住して1カ月という松崎さんと米田智彦が、「オランダが移住者にとって居心地がいい理由」について、自身の海外滞在経験などをもとに語り合いました。
前編にあたる「オランダで住居を探すならFacebook!移住を目指し1カ月滞在してわかったこと」もご覧ください。
松崎 了輔(まつざき・りょうすけ)
10代の終わりに漠然とアメリカに憧れてニューヨークに留学。その後スリランカ、オーストラリア、ニュージーランド、東京、大阪、バルセロナ、インド等に滞在。趣味はギター、人に会うこと、話すこと。もともとオーストラリアのパースへの移住を考えており、調理の仕事のオファーがあった状態だったが、オランダに惹かれて移住を決意。現在オランダ アムステルダムにて起業準備中。
家賃は光熱費込み4万円ほど。意気投合してわざわざ部屋を作って住まわせてもらっている


内見のときには、ちょうど直前に他の人が決まっちゃっていたんですよ。でも、話しているうちにすごく仲良くなって、向こうはジャズミュージシャンで、僕もギターを持っていて、音楽の話とかで盛り上がっていたら、「俺が部屋を作ってあげる」なんて話になりました。それで部屋が見つかるまでということで住まわせてもらっていますね。
米田:そういう個人のつながりとかって海外に行くとやっぱり大きいですよね。 松崎:人がすごく優しいですね。「アムステルダムは人が優しい」っていうのは結構みんな言います。 米田:やっぱりいろんな人種がいるから、寛容性がないと成り立たないという感じなんですか? 松崎:それも今、ちょっと変わりつつあるらしいんです。最近、英語の記事を読んでいたら、昔は街角の人に「外国人・移民者についてどう思うか」みたいなインタビューをすると、すごくいい反応が返ってきたらしいんですけど、悪い反応の割合が上がってきているようです。オランダは移民の力があって今の状態を築きあげたから、寛容なのかもしれない

でも、そんな感じなんですよ、日本の空気って。「ヨーロッパには難民があふれて、民族紛争が起きて、テロが蔓延しているんだろう」みたいな雰囲気なんですけど、来たらやっぱり全然違いましたね。
松崎:僕にも「大丈夫なのか?」っていうメールが結構来ました。でも、オランダにはそんな感じはないですね。友だちの中には、「しばらく(人の多い)セントラルには行かない」みたいに言ってる人もいます。移民の受け入れ方も影響しているのかもしれないですね。フランスとかほかの国がどうなのか分からないですけど、移民した人の幸福度がオランダではすごく高いらしいです。
米田:今、フランスに移住するのはちょっとキツそうですよね。イギリスも物価が驚くほど高いですし。この2つの国って要は階級社会だし、日本人という外国人には仕事もないだろうし、差別もあるでしょう。ベルリンもそうなんですけど、アムステルダムは外国人が多くて寛容な街ですよね。移民の力を使って税収を上げたりしようという政策があったんでしょうけど。
松崎:オランダ自身の力でというよりは、移民の力があって今の状態を築き上げたっていうのもあるのかもしれないですね。 米田:もともと海抜ゼロで土地がないようなところに建国して、自分たちでなんとかしていくみたいなところと、ほかの人たちの力を使ってうまくやっていくみたいなところがオランダ人のマインドにはあるのかなと。人口が1600万人しかない国じゃないですか。なんでこんなにサッカーや水泳、スピードスケートなどスポーツ全般が強かったり、アートの質が高かったりするんでしょう? どうしてなんですかと在日オランダ大使館の方に聞いても、今回オランダに来て、オランダ人に聞いてもみんな「わかりません」と言うんですよ(笑)。
松崎:注目されてますよね、オランダの教育方法。 米田:リベラルな教育をやっていて教育水準もすごく高いので、家族で移住してくる人にとっては魅力的だと思っています。あとはワークシェアリングみたいに、うまくやっていく新しい働き方も積極的にやっている国ですよね。 松崎:仕事もちゃんと時間通りですね。 米田:つまり、すごく合理、現実的ってことですよね。自転車専用道路が400キロも

よそ者であっていい街アムステルダム


でも、日本に戻ってくると「日本人にならなきゃいけない」というような感じがすごくするので、数カ月に1回、取材やプライベートで海外に行きたくなるんです。松崎さんは今まで何カ国ぐらい行かれたんですか?
松崎:数はそんな多くなくて、十何カ国くらいです。アジアが多いですね。最初は18歳のときにニューヨークに留学していました。 米田:僕も最初に行った海外はニューヨークでした。20歳ぐらいかな。ジュリアーニが市長になる前、94年ぐらいです。 松崎:すごかったんじゃないですか、地下鉄にまだペイントがいろいろあったりとか。 米田:ありましたね。おじさんから「ちょっと来い!」って言われて、ついていったら公園のトイレでばーって大麻とかを見せられて「お前! どれか買え!」みたいに迫られたり、「買わないと撃つぞ」とかそんな感じになったりして。強盗なのか売人なのかよく分からなくて、「え?お金ないです」って言ったら「あっちに行け!」と言われたり(笑)。20歳くらいで初めての海外だったから、あの頃のニューヨークはおっかなかったですねえ。あと、ゴミ箱みたいなドラム缶があって、ゴミを捨てたらその中に黒人のおじさんがいて、立ち上がって怒鳴られたり、そんなことがいっぱいありましたね。松崎さんはいつ行かれたんですか?
松崎:僕は2000年から2001年ですね。ちょうど9.11の直前にニューヨークを離れた感じですね。 米田:ニューヨークってアメリカの中でも特別じゃないですか。ドイツの中でもベルリンは特別ですが。 松崎:アムステルダムもそれに近いのかもしれないですね。今一緒に住んでいる人がイラン人のミュージシャンなんですけど、もうこっちに15年ぐらい住んでいて、ロッテルダムにも5年ぐらい住んでいたそうです。「ロッテルダムは人の出入りが少ない。地元の人がちゃんと作り上げてる町だ。アムステルダムは常に人が出入りしていて、東京とかニューヨークみたいな感じだから、俺はここが好きだ」って言っていましたね。あと、「入ってくる人がやっぱりそれなりの何かを持ってくるので、それが刺激やインスピレーションになって、刺激を与えつつ創作活動ができる」とも言っていました。 米田:よそ者扱いされない、あるいはよそ者であっていいってことですよね。じゃあ、松崎さんは「海外移住をしよう」とかあまり意識しなかったんですね。 松崎:そうですね、僕はニュートラルな感じかもしれないですね。オランダ語だけでなく、音楽という言葉でつながっていきたい

あとはオランダ語ですね。
米田:ウムラウト(üなどの点々)があるし、こんなふうに読むんだっていう綴りとかありますよね。 松崎:あとGとか「ヘー」(喉の奥でうがいする)みたいな感じで発音できないですよね。住むからにはちゃんと言葉を覚えてできるだけオランダ社会には溶け込んでいきたいなとは思っていますね。
米田:じゃあ、ここ数年はオランダに根を張ってやろうと思ってらっしゃるんですね。 松崎:本当に先の先の計画でいうと、5年間で永住権を申請できるので、もし取れたら、スペインとかあったかいところに引っ越すのもいいかなって思ったりもしています。たぶんEUの永住権なので、協定を結んでるところならどこでも住めるはずですね。 米田:それはすごいいい話ですね、ありがとうございます。今後の松崎さんの行く末が気になるので、またライフハッカーでの続報をお待ちしています!オランダ取材記事はまだ続きます。
(聞き手・写真/米田智彦、構成/神山拓生)