はじめまして、鷹鳥屋 明(たかとりや・あきら)と申します。アラブではシャムス・カマル(アラビア語で太陽と月の意)と名乗っております。こんな姿をしておりますが、バリバリの日本人です。近年「中東」や「アラブ」についてさまざまな情報が飛び交う今日この頃ですが、日本の皆さまに中東の国々や人々と関わってきた私の少ないながらも、それなりに濃い経験をシェアさせていただくと共に、今後中東で活躍する日本人、日本が好きなアラブ人たちの声を集め、多くの人たちに「中東」「アラブ」に関してもっと知っていただきたいと考えこの度、記事を書かせていただきました。

私が中東に関わる以前

私が中東に関わるようになった経緯を紹介したいと思います。生まれは大分県、実家は神社の家系であること以外はごくごく普通の家庭で育ちました。幼い時から歴史の本やマンガを日本史、世界史問わずひたすら読む子どもでした。高校でも歴史に対する情熱は強く、好きな授業は世界史と日本史。図書室で空いた時間にひたすら本を読み、歴史系の新本が入荷されようものならすぐに読んでいました。大学では筑波大学へ進み歴史学を専攻して主に中国とトルコの歴史を勉強しました。

よく「アラブ地域を専門に勉強されていたのですか?」と聞かれることがあるのですが、当時は中国近現代史とオスマン・トルコ帝国について勉強しており、オスマン・トルコ史を勉強するにあたりアラブ地域の内容も絡むため勉強はしていました。当時このまま歴史学を学び続け、大学院に、進学しようかと思いましたが実証に勤しむ努力を何十年も続けている研究者の方々の背中を見ると、単に好きなだけではこの世界で生き残ることはできない、と考え就職活動を行いメーカーへの就職を選びました。

社会人から中東へ

メーカーでは財務部、営業企画部などの部署に所属して財務とプロジェクト管理の仕事をしていましたが、早く海外で仕事をしたい、外国のマーケットで活躍してみたい、という想いが年々強くなっていきました。そんな中、友人に「面白い人がいるからぜひ会って欲しい」と紹介を受けました。

その紹介された女性は高校時代をサウジアラビア王国で過ごしており、日本の大学へ進学するために帰国したという人で、この方からサウジアラビア王国の話をたくさん聞く機会がありました。このことが自分の学んでいたオスマン・トルコ帝国の歴史に関する記憶の中にあったサウジアラビア王国、そして「中東」「アラブ」に関して再び興味を持つきっかけになりました。

大きな転機になったと言えるのは2012年3〜4月の間に実施された日本政府外務省とサウジアラビア政府青年福祉庁との合同のプロジェクト「日本・サウジアラビア青年交流団」の公募を偶然外務省のTwitterで見つけたことです。「そういえばあの人が話していたサウジアラビア王国という国はなかなか普通の人が行く機会のない国。それに自分の会社の支社も現地にあるようだし、実際に見にいく良い機会かもしれない」と考え志願し、レポート提出と面接を経て無事に団員として選出され日本の大手企業、ベンチャー、政府関係者の合計8人のメンバーとサウジアラビア王国へ派遣されました。この派遣を認めてくれたメーカー勤務時代の上司や同僚の方々には本当に感謝しております。

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日本・サウジアラビア青年交流団で派遣された筆者

人生初の中東はとても刺激的でした。ある意味、日本国の代表としてサウジアラビアに行ったわけですからこちらもそれ相応に振る舞い、適度な緊張感はありつつも、滞在期間中はとても有意義に過ごすことができました。特筆するべきは、下戸でお酒がまったく飲めない私にとって、催しやパーティーの中でアルコールが一切でないことが嬉しく、無理やり飲まされることも、飲まない人間がバカにされることはなく、むしろお酒を飲まない人間が称えられることに驚きと感動を覚えました。

帰国後、サウジアラビア滞在の経験を何かに生かすことはできないだろうか、と真剣に考えていました。しかし、会社では当時直接私が中東に関わるプロジェクトはまだなく、自身で積極的に中東に関する勉強会や催しなどに参加する日々を過ごしていました。その中で中東から来た人たちと会う際に、私はアラビア語が全然話せないので、何かアラブの方々への尊敬を表す手段はないだろうかと考えた結果、代表団として参加した際、現地で購入したサウジアラビアの民族衣装一式を来てその場に出向く、ということを始めました。これはアラブ人の方々の心の琴線に大いに触れ、多くのアラブ人の皆様に歓迎されると同時にアラブ式の礼儀作法などを教えていただく良い機会になりました。

中東で有名になるきっかけ

そんな活動を行っていると、日本政府が主催する中東の催しに呼ばれる機会がありました。その時に中東の専門家から「今度ある催しに、ぜひいつものように中東の衣装で来てほしい」と言われて、いつものように中東の衣装を来てその催しに参加しました。

その時、バーレーン王国副大使の方より「ぜひ貴方はその衣装のまま、大使館主催のパーティーに参加してほしい」と言われ、後日招待状をいただきました。人生で初めて大使館主催のパーティーに参加しました。この時、中東の民族衣装をちゃんと着た私を見たアラブ人の方々の反応は凄まじいものがあり、ただのサラリーマンにすぎない私に中東各国の大使館、石油会社の方々が殺到し、名刺交換を求められ、どこで中東の民族衣装を手に入れたのか、どの国で過ごしたことがあるのか、など次々と聞かれ写真を何度も、何度も撮られました。そして別の中東各国大使館が主催するパーティーに次々と招待されるようになりました。

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サウジ建国記念日での筆者

この時、大使館主催のパーティーに参加する時気がついたことに、パーティー会場では演者以外、中東の民族衣装を着ている日本人参加者がいないことに驚きました。「なぜ私しか着ていないのか?」という疑問もあり他の日本人参加者に聞いてみると、「着付けがわからない」「イスラーム教徒だけしか着てはいけないと思っていた」「恥ずかしい」「アラビア語がわからないから」といった理由でした。

ですが、これらのご意見に対して私は、着付けは覚えればいいし、イスラーム教徒以外がこれを着ても問題ない。少なくとも大使館主催のパーティー会場だけでも着てもいいだろうし、アラビア語が離せなくても服は着ることができるはず。むしろなぜ他の日本人は着ないのだろうか、と不思議に感じていました。

同時にせめて私だけでも、イベント等で日本人が中東の民族衣装をしっかりと着こなしている姿を続けていけば、きっと中東の人々は日本をもっと好きになってくれるだろう、そして私はそれをやらねばならないと確信しました。

このように活動を繰り返していると、ある大使館のパーティーでサウジアラビア人のSNSを活用し日本の紹介、宣伝を行っている有名人の方から「今まであなたのように中東の民族衣装をその場限りで着る日本人は多くいました。ですが、着付けや作法をしっかり学び継続して着続けている日本人は見たことがありません。貴方はその活動をSNSで中東へ広めるべきです」とアドバイスをもらいました。人生において今までそのようなSNSなどを活用したことがなかったため、どんな写真や映像を撮ったらいいのかわからないまま、探り探り投稿を繰り返していると2週間で中東から2000人のフォロワーを獲得し、ありがたいことに今では4万人を超える中東各国の方々からフォローいただき、いいね数は125万を超えています。

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東京プリンスホテルにて、サウジアラビアの伝統衣装を着て東日本大震災復興支援チャリティバザーにて日本人20人にサウジアラビアの服を着せパフォーマンスを行う。

また中東のメディアや新聞社からの取材も多くなり、「なんかすごい日本人がいる」と中東の新聞の紙面を飾る栄誉を得ることもできました。

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中東の大手新聞社「アル・ハヤート紙」に掲載された記事

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サウジ国営テレビ放送にて放送される。

これらがちょうど今から1年半ほど前のことでした。この頃、中東のパレスチナで政府案件のNGOで難民支援の話をいただき、パレスチナとヨルダンで仕事を行うようになりました。この話を受けたのは産油国以外のアラブ諸国を知ると同時に人の流れ、お金の流れが産油国と非産油国の間でどのように動いているのか、そして中東の産油国と非産油国の人たちがお互いをどのように思っているのか比較を知っておいた方がいいだろう、という狙いがありました。

その中で、産油国と非産油国のアラブ圏の生活、考え方の違いなどを多く学ぶことができました。特に紛争地帯にいるということは民族間、国家間の駆け引きの難しさを目の当たりにする機会が多く、さらなる中東の理解を深めることができました。

難民支援の任期が完了し、日本へ帰国した後、今後自分のキャリアとして日本と中東への橋渡しになるべくどのような活動をするべきなのか、それを続けることができるのか、と悩みつつ再度就職活動を行っていました。過去のキャリアから転職エージェントの方々からさまざまな仕事を紹介はされましたが、「中東絡みの仕事」という項目を追加すると一気に求人が激減しました。

そうして悶々と過ごしていた時、私の今のアラビア語の先生に当たる方から「中東関係の仕事を行い、日本と中東を深くつなげようとしている会社がある」とのご紹介をいただき、現在の会社で働くようになりました。この会社は日本の文化や良い製品をちゃんとアラビア語で紹介し、輸出、配信することで日本をもっと中東の方々に好きになってもらう、という軸を持って活動を行う会社であり、私の考えと合致する会社でした。

今はこの会社に所属し、中東に進出を希望している企業や政府機関やNGOなどと連携して、日本と中東との関係をもっと深くつなげることができる活動を続けています。そして、日本人に中東の人々の生活やイスラームに関する理解を深めてもらうと同時に、同じように中東の人々にもっと日本を好きになってもらうべく企画や活動を行いたいと思っています。

私自身の今までの活動から日本人が中東に受け入れられるには、仕事をするにはどうすればいいのか、いくつかまとめてみたいと思います。

1. 向こうの風習、文化、作法を尊重して実際にやってみる

私自身が中東の民族衣装を着て中東を歩き回ったことは、現地の人たちにものすごいインパクトを与えました。ここまでやらなくてもいいですが、向こうの簡単な挨拶や言い回し、ジェスチャーをこちらも返すことが重要だと思います。これをすれば距離感は大幅に縮まります。特にイスラーム圏の方々は外国人と話すときに、「相手が自分たちのことをネガティブに思っていないか」と心配するところがあります。そこで、相手のことを理解しているんだよ、という形を見せれば相手も胸襟を開いてくれます。特に中東において日本人に対する印象は他の国々の人よりいいので、ぜひそれをうまく活用できればと思います。

2. 相手の時間感覚や思考方法を理解して怒らない

よく中東の国々でビジネスをする際に問題になるのは納期や期限に対してルーズであるという点です。実際私も「明日、明日には...」という言葉をいつももらい結局何週間、何カ月と待たされるという経験がたくさんあります。それに対して仕方がないと納得すると同時に気長に根気強く、待つことが大事です。時間感覚について「そのうちどうにかなるから大丈夫」という意識が強く、時間に対する執着心が日本人に比べて弱いと思います。

3. アラブ流のおもてなしを受け入れ、飲みニケーション(ノンアル)

2に絡むことでもありますが、何かがうまくいかない時はただ待つのではなく「誰にこの話をすればすぐに動くのか」という点をあらゆるルートを使って探し続けることだと思います。プロセスの中に介在するのは結局人の意思であることはどの国でも同じですが、中東では『ワスタ』『ビタミンW』とも言われる日本語で言うところのコネ、人脈を大事にしているところがあります。誰をどういうつながりで知っているのか、書類1枚、サイン1つ貰うにしてもそれらが大きく影響することがあります。ですので、アラブの人とは絡みにくいという日本人の声をよく聞きますが、ぜひカフワ・アラビーヤ(アラビックコーヒー)や、砂糖入り紅茶なのか紅茶入りの砂糖なのかわからないお茶と甘味をお供に飲みニケーションを楽しんで、多くのアラブ人と交流することで自然体のまま彼らと仲良くなり仕事もうまくいくようにするという方法が良いと思います。ぜひ血糖値に気をつけながらノンアルでの飲みニケーションを楽しんでもらえればと思います。

最後に、もちろん溶け込む努力として作法などの部分も大事ですが、やはり言語というツールは国際交流において一番大事なところです。ぜひ今後アラビア語学習者が増えるといいな、と思っております。そして日本人も中東を見ており、アラブを愛している日本人もいるのだよ、と私自身、アラビア語で伝えられるように今後も努力していこうと考えております。そしてそれをわかりやすく伝えるために、今日もアラブの出立ちで東京を歩いております。

著者プロフィール

鷹鳥屋 明(たかとりや・あきら)Instagram

大分県出身、筑波大学卒業後メーカーに勤務。メーカー勤務時代にサウジアラビアに滞在。その後バーレーン、カタール、UAE、ヨルダン、パレスチナを巡り中東世界へ興味を持ち混沌とした中東情勢を学びつつ日本と中東を繋げるべくSNSやメディア媒体等を活用し日本文化やアラブ向けの宣伝活動を行う。現在数万単位のアラブ人たちからのフォローを集めLike数は125万超え。さらなる中東における日本の認知度を上げるために日本と中東を行き来しながら活動中。1985年生まれ。