『「英語が話せない、海外居住経験なしのエンジニア」だった私が、定年後に同時通訳者になれた理由』(田代真一郎、ディスカヴァー携書)は、次のような書き出しからはじまります。
私は60歳で会社を定年退職したあと、プロ通訳者としての道を歩みはじめました。といっても、何も格別、英語の素養があったわけではありません。定年までは、自動車会社で働く普通のサラリーマンでした。(中略)海外に住んだ経験はなく、もちろん帰国子女でもありません。最初に飛行機に乗ったのも、30歳を過ぎてからのことでした。(「プロローグ」より)
にもかかわらず、定年後すぐに受けたTOEICでは満点をとり、いまでは同時通訳までこなしているのだとか。クライアントやエージェントからも信頼され、リピートの仕事や指名も入るのだといいます。なぜ、そんなことが可能だったのでしょうか?
この問いについて著者は、「実は仕事こそが、英語を身につける最高の機会だった」のだと明かしています。50歳になったころ。勤めていた会社が海外メーカーの傘下に入り、仕事で本格的に英語を使わざるを得ない状況に...。そのため漠然とした英語学習ではなく、仕事という限定されたニーズから英語に入る必要に迫られ、しかし結果的にはそれが役に立ったというわけです。
そして著者は、コミュニケーション力は、決して英語力だけで決まるものではないとも主張しています。また、それは「英語力と知識のかけ算」なのだとも。知識があるほど表現の幅は広がり、発想できる分の選択肢が増えるということ。こうした考え方を踏まえたうえで、「英語が身につく合理的な理由」について触れた第2章「仕事を通じて英語が身につく5つの理由 ----Why?----」を見てみましょう。
【理由1】仕事の知識が英語を助けてくれる
私たちは、どうして英語を学びたいと思うのでしょうか? それは、英語でコミュニケーションをしたいから。英語を使って自分のことを伝え、相手のことを知りたいから。「はじめに伝えたいことありき、知りたいことありき」が原点だということです。
そして、ここで重要なことがあるといいます。たしかに、英語が上手であることに越したことはない。けれど、「英語ができても、うまく通じない」という状況は現実にしばしば起こるものだということ。その理由について著者は、「話題に関する知識が不足しているから」、そして「内容の理解が乏しいから」だと指摘しています。
いい例が著者自身。つまり、もし英語力がすべてに優先するなら、定年後の通訳者が生き残っていけるわけがないからです。英語力以上に大切なのは、コミュニケーション力を支える強い味方としての知識、経験、情報。
仕事をなさっているみなさん方一人ひとりにも、これまでに培ってこられた知識や経験という、かけがえのない力がすでに備わっています。その力をうまく使えば、英語が苦手でも、良好なコミュニケーションが取れるようになります。(74ページより)
端的にいえば、英語によるコミュニケーション力は、「英語力」と「知識・経験・情報」のかけ算で成り立っているという考え方。
(129ページより)
【理由2】仕事の英語はいつもリアル
上記の見出しは少しわかりにくいかもしれませんが、これは「いつも真剣勝負」だということ。もし「英語を身につけたい」と思ったなら、いま自分にとって必要な話題、話すべき機会がいちばん多い話題、つまりリアルな話題から取り組んでいく。それがいちばん賢明で、効果的な方法なのだということです。
たとえば、自動車会社のエンジニアが英語学校でビジネスコースを受講したとき、教材やロールプレイが「スマートフォンの営業をする」設定だったとしたらリアリティは皆無。「この単語、仕事でも出てくるな。この表現、仕事で使えそう」などと思うから、やる気が出るのです。
「実際に使う機会があるリアルな英語に取り組むべき」だと著者が強調するのは、こうした理由があるから。仕事の英語はリアルで、教室英語と違って「できなくてもまあいいや」ではすまされないもの。仕事と直結している以上は逃げられないからこそ、英語が身につくというわけです。それが仕事で必要とされる以上、そして会議にしても打ち合わせにしても、一回一回がリアルだから、「身につけざるを得ない」という表現が適切かもしれません。
注目すべきは緊張感。つまり仕事の場においては、緊張の度合いがレッスンやロールプレイとは本質的に違うということ。失敗できないからこそ、当然ながら学校の宿題の数倍もの時間をかけて準備をすることになるはず。真剣にやればやるほど、上達効果が上がるのは自明だというわけです。また仕事なら、モチベーションも維持できるもの。「続けると英語は上達するのです」という著者の意見にも納得できます。(90ページより)
【理由3】仕事の英語は使用機会が多い
人生のなかでいちばん話す機会が多い英語の話題として、著者は「自己紹介」を挙げています。そして、求められているのは自分自身について話すことなのだから、「それさえできればいいと思ってください」ともいいます。政治や経済について話す必要はないし、聞かれることもない。そのかわり、自分のことについてはどんな質問が出ても英語で答えられるようにしておこうということです。
政治・経済、医療・科学、芸能・スポーツまで、すべての話題についての英語力を100とした場合、自分のことを話すだけで十分なら1もあれば足りるはず。ならば、1の労力で話題の100%がカバーでき、出番もきわめて多い「自己紹介」の英語に、もっと時間をかけてもよいのではないかというわけです。
これは文法や語彙を軽視しているという意味ではなく、フォーカスするポイントを間違えるべきではないということ。いいかえれば、英語からはじめないで、必要な話題から入ることが大切だという考え方。「自己紹介をするために英語が必要」「仕事の話をするために英語が必要」。だから、まずはそこに必要な英語を使えるようになっておこうという順序。(93ページより)
【理由4】仕事の英語はつねに話題限定
勤めていた会社が外資の傘下に入ったことがきっかけとなって、著者は約2年間にわたり、彼らと共同で車を開発するプロジェクトに参画することになったそうです。そのころはまだ英語が達者ではなかったのでたいへん苦労されたといいますが、いずれにしても日程どおりに進めるためには、英語ゆえの、異文化ゆえの、コミュニケーションの壁を乗り越えなくてはならないことになります。考えただけでも大変そうですが、結果的にはそんな経験のなかから貴重な教訓を得ることができたともいいます。それは、「その日の議題に関することさえ、きちんと話せたらそれでいい」ということ。
会議では、あれもこれもと話せる必要はなし。そのかわり、議題についてはなにを聞かれても対応できるようにしておく。それを続けていると、英語の力は次第についてくるということです。ポイントは、仕事の英語は毎回の話題がきわめて局所的で、限定的だという点。事実、著者が経験した会議においても、議題以外のことが話題になることはまずなかったといいます。
毎回、俎上に上がった問題について徹底的に準備することの繰り返し。しかし、その繰り返しがやがて大きな力になる。限定された話題に関し、背景知識を押さえ、内容を理解し、関連語彙を調べ、会議の様子をイメージし、いいたいこと(いうべきこと)を英語で演習しておく。大切なのは、「知識獲得」「内容理解」「単語学習」「英語イメージトレーニング」だとか。
話題限定なのだから、いろいろ調べたとしても負担はそれほど大きくないはず。しかも一回一回は話題限定だけれども、それを毎回続けたら、英語力が身についても当然。著者も、その延長線上で定年後の通訳が可能になったと考えているのだそうです。(106ページより)
【理由5】仕事だからこそ、モチベーションが維持できる
英語上達のためには、モチベーションをいかに持続させるかが重要な鍵。なかなかうまくいくものではありませんが、それさえうまくマネジメントできたら、目標は半分以上叶ったも同然。そして、英語学習のモチベーションを高く維持し続けるための最良の方法は、なんといっても仕事。なぜなら「仕事で使う」ということになったとたんに、モチベーションは一気に高まるものだから。
仕事は、人生の大半を占める重要な部分。それは生活の糧であり、知識や経験の宝庫であり、やりがいの源泉。そのぶん、仕事で英語が必要になったとしたら、「英語ができないと話にならない」となったら、相当なインパクトがあるはず。そして、それが英語力獲得のための大きなモチベーションになることは間違いないというわけです。
もし、あなたに海外との仕事に従事するチャンスがあるのなら、まずは積極的に手を挙げてほしいと思います。それが第一歩になります。仕事で英語を使う機会をつくること、それがモチベーションを維持し、上達へ向かう最善、最速の道なのです。(121ページより)
なお、いまのところ仕事では英語に縁がないという人は、同好会や大学市民講座に参加したり、資格試験に挑戦したりすることもモチベーション維持につながるといいます。なにかをはじめるなら、まず、そのための形をつくることが重要。毎日ちょっとの時間でも、机の前に座る。とにかく、体制をとる。それが続けられたら、英語は誰にでも身につくと著者は断言しているのです。(118ページより)
本書の説得力は、そのバックグラウンドに「50歳をすぎてから勉強をはじめ、定年後に通悪者になれた」という著者の実体験があること。「若いうちしか学ぶことはできない」というような考え方を一蹴するだけの力が、ここには反映されているのです。
(印南敦史)