99u:2011年、私はシリコンバレーのインキュベーターから投資を受け、新規事業をスタートさせました。そして、そのことが、私を「幸福の追求」とは何かを理解する、予想外の旅へと押し出したのです。そうなったのは、私のスタートアップが成功を収めたからではありません。むしろ、逆のことが起きたからです。

私と共同創設者は、「幸福の経済」を研究するために投資を受け、「Joyo」をスタートさせました。Joyoの事業目的は、人びとが、自分の強みや関心、価値観にマッチした仕事を探すお手伝いをすることです。

スタート当初から、自分たちが何かしら巨大な課題と向き合っている予感はしていました。しかし、その本当の大きさに気づいてはいませんでした。アメリカの労動者の70%もが「積極的に仕事に関わっていない」という統計を知るまでは...。私たちのテーマは、人びとが好きな仕事に就けるお手伝いをすることだけではなかったのです。本当の課題は、活用されずに放置されている膨大な潜在能力をどうするかということでした。この使われずに眠っている力は、企業に貢献していないばかりか、誰の役にも立っていないのです。

自分の使命はこの仕事か....?

Joyoを始めてから、私はある思いに取り憑かれるようになりました。ひょっとすると、私の使命は、この仕事でこの問題を解決することではないのか...? そう考えると、体の内側から、自分でも驚くほどのエネルギーが湧いてくるのを感じました。アドレナリンの効果だとはいえ、恐ろしささえ感じたものです。私は、この仕事を超がつくほど愛しており、目的のためにあらゆる危険を冒す覚悟がありました。私たちが目指したゴールは、私たちよりはるかに大きなものでした。初期のユーザーたちが、私のモチベーションの源でした。彼らの苦しみはリアルで、なんとか助けてあげたいと思いました。

しかし、このように自分のアイデンティティとスタートアップを混同してしまったせいで、また、それを失いたくないという恐れがあまりにも強かったせいで、私はあっという間に燃え尽きて、不健康な働き方に陥っていきました。Joyoを前進させようと奮闘しましたが、空回りをするばかりでした。私は、自分が思うほど有能ではなかったのです。そんな状態は、幸せでもなければ、持続可能でもありませんでした。当然のごとく、当初期待していたものとは正反対の状況に向かっていることが徐々に明らかになっていきました。私たちは限られたリソースと闘いながら、企業をスタートするしかありませんでした。また、自分たちのすべてを捧げなければ、事業を進めていくことはできませんでした。私は、仕事のために健康と幸福を犠牲にしました。

私たちは賭けに勝とうと一生懸命にがんばりましたが、うまくいきませんでした。この闘いは私にはハード過ぎました。もっと言えば、破壊的でした。そして私は、スタートアップを手放すという悲しみに対して何の準備もできていませんでした。

自分の仕事を、自分のアイデンティティと重ねていた

生涯忘れることはないでしょう、ノートパソコンをベッドに持ち込み、自分のために仕事探しを始めた日のことを。求職サイトでチェックボックスにチェックをつけていくとき、魂が抜け、希望が消えていくのを感じました。そこで、ある決心をしました。見つかった仕事にすぐに飛びつくのではなく、自分の人生を投入した学びの時間にしようと思ったのです。

私はデザイン思考を取り入れることにしました。つまり、発見志向アプローチを採用し、すぐに答えを出そうとするかわりに、小さな実験を繰り返していったのです。例えば、私が抱えていた問題のひとつは、自分の全体を表現できる企業でしか働きたくないとかたくなに考えていることでした。

私は多方面にまたがるバックグラウンドを持っています。ですので、いつも、自分について虚偽、あるいは限られたストーリーを話すように言われている気がしていました。自分がどういう人間なのかについて、限定的な情報だけを与えて採用されたいとは思いませんでした。自分がぶつかっている問題はコミュニケーションの問題なのだと気づきました。職務内容説明書には、基本的に、どんな役割を任されるのかが書いてあります。自分がどんな理由で、どのように働きたいのか、そして、そのことが与えられた役割にどんな意味を持つのかを伝えるのは私の責任だったのです。

そこで、自分のストーリーや要望をさまざまな方法で伝える実験を始めました。同時に、自分のストーリーや、自分とはどういう人間かを理解するのにもたくさんの時間を使いました。数えきれないくらい多くのコーヒーミーティングに出かけました。また、その仕事から何を得たいのかよりも、自分は何を与えられるのかにフォーカスすることを学んでいきました。必要に迫られながら、手元にあるリソースを創造的に活用することを覚えていったのです。私は、Airbnbにアパートの部屋を登録し、フリーランスの仕事を引き受けました。

そして、「自分たちは何をしたいのか」と考えるとき、「自分たちは誰になりたいのか」という意味になってしまっていたのを発見しました。私ははっきりと理解しました。自分のアイデンティティを、自分のスタートアップに完全に重ねていたことを。ここまでくるのに数ヶ月を要しましたが、このことを理解したとき、ようやく真実に触れたような気がしました。

私に欠けているものは何もない

仕事とアイデンティティがいかに一体化していたかを理解することは、外部の目標や業績を抜きにして自分を見つめることでもありました。喪失感を感じながらも、全体を信頼することでもありました。また、執着心をなくして、自分を愛し、受け入れることでもありました。そして、ようやく真実を見ることができたのです。私は、私の仕事ではないということを。私は私であり、欠けているものは何もないのだということを。

この視点に立つと、人生の見え方が一変しました。外部の環境をいくら完璧にしても、それが私たちを満たしてくれるわけではないことに気づいたのです。

私が理解していなかったのは、Joyoが私の人生の目的でもアイデンティティでもないということです。Joyoは、私が信じているもの、そう生きたいと願っているもの、魂を捧げてもいいと思っているものについての、ひとつの表現に過ぎなかったのです。私の仕事は、私そのものではなく、私を表現する方法のひとつなのです。人生の目的とは、日々の生活の中で、さまざまに形を変えて浮かんでくるものだと思います。それは、ときに、一見そうとは見えない姿で現れます。オフィスを掃除してくれる人への感謝の気持ち、思わずじっと耳を傾ける瞬間、疲れているときでも笑える力...。あるいは、もっとわかりやすい形で現れるときもあります。会話、プロジェクト、紙に書きだしたアイデア...。

現代社会には「何をしているかが、誰であるかを決める」という神話があります。内面を深く探れば、誰もが、職業でレッテルを貼られたくないと思っています。また、実際のところは、自分がどんな人間であるかは、どんな仕事をしているかでは決まらないと信じています。しかし、ほとんどの人が、膨大な時間を仕事に費やしており、職業というものが、生活のあらゆる面に影響を与えています。職業は、初めての人と会った時に最初に尋ねられる質問でもあります。仕事は、自分が進歩しているか、うまくやれているかを測る基準となっています。私たちは、仕事という文脈において、人生とは何かを考えるのです。私は何を求めているのか? 私は何になりたいのか? 仕事は、単なる収入の手段でも、毎日のルーチンでもないのです。仕事は、アイデンティティをもたらすものであり、人とつながったり、人生を経験させてくれる導き手でもあるのです。

現代における、自己と仕事との関係を見るとき、一番重要なのは、自分がどこに基盤を構築しているのかを理解することです。アイデンティティを仕事に結びつけ、後々まで幸せを延期する人生を送っているなら、それは、外部要因や未来の状況に依存して基盤を構築していることを意味します。いまこそ、あなた自身の基盤を構築し、内面から生きることを始めるときです。それは、自分を全体として理解し、給与明細に関係なく、喜びと意味を見つけることを要求する生き方です。また、現在というものを十分に受け入れ、自分自身を十分に受け入れることでもあります。お互いの人間性全体を見始めるとき、私たちは、お互いの本当の姿、本当の人生を尊重しあうことができます。私たちは第一に人間です。あなたの仕事は、あなたそのものではないのです。

You Are Not Your Job|99u

Alyson Madrigan(訳:伊藤貴之)

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