ストリーミング型の音楽配信サービスと聞いて今、真っ先に思い浮かぶ企業と言えば、おそらくAppleとSpotifyの2社でしょう。それももっともな話です。音楽およびテクノロジー業界ですでに地位を確立しているAppleは米国時間6月8日、ストリーミング型サービスへの参入を発表しました。この「Apple Music」の発表イベントは、人気ラッパーのDrakeも登場する華やかなものでした。一方のSpotifyは、2000万人の有料会員を抱え、ストリーミング型音楽配信サービスのリーダー的存在です。
しかし、両社とも今のところ、日本ではストリーミング型サービスを立ち上げていません。日本の音楽市場は、こうしたサービスを始めるには機が熟しているように見えます。日本の年間の楽曲売上高は30億ドル弱に達し、米国に次いで世界第2位の規模を持っています。それなのに、売り上げのうち、実に80%以上はCDなどの従来型の音楽ソフトが占めているのです。
日本では6月11日、Appleの盛大な発表からわずか3日後に、日本向けのメッセージアプリを手がける企業、LINEが、独自のストリーミング型音楽配信サービス「LINE MUSIC」のサービス開始を発表しました。これは150万曲以上の楽曲が聞き放題になるサービスで、「1カ月1000円で再生時間無制限」と「1カ月500円で再生時間20時間」という2つのプランが設定されています。
東京在住のモバイル産業コンサルタント、Serkan Toto氏は、米紙「Wall Street Journal」の記事で、「インターネット関連企業が日本の音楽市場に参入を図る例は、これが初めてではありません」と指摘しています。例えば、ソーシャルゲームなどを手がける日本企業、DeNAの音楽ストリーミングアプリ「Groovy」は、提供開始からわずか1年後の2014年3月にサービスを終了しました。
こうした事実から、いくつかの疑問が生まれてきます。「いかにも機は熟しているように見える日本の音楽市場が、いざサービスを開始するとなるとここまで攻略が難しいのはなぜか?」「AppleとSpotifyがいまだにストリーミング型サービスを開始していない理由は何か?」といったものです。これには3つの理由が挙げられます。
ライセンス交渉の難しさ
ストリーミング型の音楽配信サービスを始めるには、楽曲のライセンス権が必要です。ライセンス権を獲得するには、レコード会社と交渉しなければなりませんが、これには時間がかかります。日本の場合、音楽業界が細分化しているため、交渉先は無数にあります。そのためさらに交渉が長引くのです。
「Wall Street Journal」の別の記事にも、「日本の音楽産業は、世界の大半の国々とは異なり、少数のメジャーレーベルが独占する状況ではありません」との記述があります。例えば、米国では全楽曲のおおよそ85%をメジャーレーベルが所有しています。これに対し日本では、この割合は約36%にまで下がります。
つまり、日本への進出を狙う企業は、膨大な数のレコード会社と話をつけなければいけないわけです。加えて、これらの会社は、ストリーミング型サービスを始めようとする企業との交渉を急いでいません。いまだにCDから多くの収益を得ているからです。しかもこうした企業は、Groovyのようなサービスが生まれては消えていく姿も目の当たりにしています(ただしLINE MUSICの場合は、ソニー・ミュージックエンタテインメントなどの出資を受けているので、交渉が必要な企業の数はこれより少なくなるはずです)。
さらに、「デジタル系の事業をいまだに疑いの目で見る、保護主義的なビジネス環境」があると指摘するのは、米紙「New York Times」です。この記事ではSpotifyの例を挙げながら、「国産のポップアイドルの売り上げが洋楽アーティストをはるかに上回る日本で、音楽企業とのライセンス交渉は2年にわたり膠着状態にある」と述べています。
利幅が大きく、売れ続けるCD
このような「国産のポップアイドル」の力でCDが売れる状況から、日本のレコード会社各社は、CDをマーケティング戦略における重要な要素と見ています。
有名な例として、「AKB48」は、CDにイベント参加券を封入して販売しています。こうした戦術により、多くの場合、ファンはCDを何回も買いたいという気持ちになるのです。「Wall Street Journal」が取材した22歳のある男性は、AKB48の最新シングルを15枚購入したと話しています。その理由は、CD1枚ごとに、メンバーに直接対面できるイベント参加券がもらえるからです。
米国で2006年に全89店舗を閉鎖したタワーレコードが、日本では今でも87店舗を持ち、500億円を越える年商をあげている背景には、このような顧客の存在があるのです。
もう1つの要素として挙げられるのは、日本独特の小売エコシステムです。このシステムでは、小売業者の販売価格に制約が設けられていて、情け容赦ない安売り戦争が仕掛けられない仕組みになっています。このような規制により、新作CDの価格は20ドル前後で高止まりしていると、「New York Times」紙が指摘しています。しかもこの価格は、グッズや特典がつくとさらに跳ね上がるのです。
こうした状況のもとでは、レコード会社はCDからかなりの利益を得られるわけです。日本の大手音楽会社の1つ、エイベックス・グループ・ホールディングスの広報担当者も、「Wall Street Journal」紙に対し、「我々の場合、従来型の音楽ソフトのほうが利幅がはるかに大きいので、そちらに注力したいと考えています」とコメントしています。
無視できないYouTubeの存在
Steven Hyden氏が「Grantland」に寄せた記事は、Appleのストリーミング型配信事業への進出に関する卓越した分析となっていますが、その中に以下のような、説得力のある記述があります:
Apple Musicの有力なライバルとなるのがSpotifyです。同サービスは基本的に広告収入により運営されていますが、2000万人の有料会員を抱えており、これは、同サービスを利用する7500万人のアクティブユーザーの4分の1を占める数字です。しかし、ストリーミング型音楽配信における真のビッグネームは、実はYouTubeです。YouTubeは1カ月あたり10億人のユーザーが、60億時間に相当する動画を視聴するという巨大サービスです。このトラフィックのうち約38%(22億8000万時間分のコンテンツを視聴する約3億8000万人のユーザーに相当)は、音楽ビデオを流す『VEVO』チャンネルに由来しています。ここで視聴可能な音楽には、現時点でほかのストリーミング系のサイトには提供されていないものもかなりあります。ライブ音源や、埋もれていた7インチシングル、アマチュアミュージシャンの一風変わったカバー曲といったものです。しかも、視聴には全くお金がかかりません。
Hyden氏の指摘は、日本の音楽産業とも関係があります。「Wall Street Journal」紙が取材したもう1人の男性、キムラ・タツヨシさん(22歳)は、以前は1カ月あたり3000~4000円をCDに使っていたと言います。しかし、今はもうそんなことはありません。「YouTubeのような、音楽を無料で聞けるサイトがたくさんある」点を、キムラさんは理由として挙げています。
YouTubeはこの状況をどのようにして収益に結びつけるつもりでしょうか? これはまだ答えの出ていない問題です。Hyden氏が指摘するように、2014年には独自のストリーミング型サービス「YouTube Music Key」のベータ提供が開始されています。これは、広告を見るくらいなら有料で視聴したいというリスナー向けのサービスです。「しかし、Music Keyが広く一般に提供される時が来ても、親サイト(YouTube)との競争では苦戦が予想されます」と、Hyden氏は述べています。
より大きな観点から見れば、YouTube/Google連合は、AppleやSpotify、LINEなど、あらゆるストリーミング型配信サービスの提供元にとって、大きなライバルになる可能性があります。同連合が日本に本格進出したら(YouTubeのおかげで今でも名が知られてはいますが、現状をはるかに上回る規模で、日本、あるいは世界各国に打って出た場合、ということです)どうなるでしょうか? その場合、日本のレコード会社にとっては、YouTube/Google連合の存在が、それ以外のストリーミング型音楽配信サービスとの交渉を引き延ばす新たな理由になるかもしれません。
Why Apple and Spotify Can't Get a Foothold in Japan|Inc.
Ilan Mochari(訳:長谷 睦/ガリレオ)
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