馬は見かけよりもずっと多くを理解している。ほかの生き物のそばに、毎日、一日中座っていると、否が応でもその生き物について何かしら意見を持つようになるものだ。一方、ほかの生き物の上に、毎日、一日中座っていても、その生き物についてこれっぽっちも考えないという事態も全くありえることだ。
ダグラス・アダムズ 『Dirk Gently's Holistic Detective Agency』
99u:私たちがお互いを見たり、理解するときに、「権力レンズ」はその見方を歪めてしまうもののひとつです。あなたより権力がある人があなたを見るとき、その人は権力レンズを装着しています。このレンズの原則はとてもシンプルです。「あなたが私の役に立つことを証明しなさい。さもなくば立ち去りなさい」
権力と言っても、必ずしもCEOや政府の要人、お金持ち、有力者だけを指しているわけではありません(もちろん彼らは間違いなく大きな権力を持っていますが)。私が言っているのは、もっと幅広いもの、普通の人びとが日常的に出会うような、ごくありふれた権力です。
権力とは、そもそも何か
おそらく、心理学者たちが合意するもっとも一般的な(学術的な)権力の定義はこうです。
「権力とは、望ましいリソースに対する非対称的な支配である」
簡単にいえば、権力のある人びとが意思決定を行い、権力のない人びとはそれに従うということです。
このように考えると、権力にはさまざまな源泉があることに気づきます。たとえば、経営者は社員よりも権力を持っています。経営者は、社員に任せる仕事や駐車スペース、そもそも雇用するか否かまで、さまざまな重要事項を決定する権限を持っています。
また、「人気」も権力のひとつです。人気がある人たちは、みんなが入りたがっている社会集団の門番の役割をしています。この場合、交友関係が「望ましいリソース」になります。さらに、人気のある人たちは、スタイルや話し方、行動様式の規範を決める力を持っています。一般人は、「溶け込む」ために、人気のある人たちについていきます。お金がある人たちは、お金がない人たちに比べて権力を謳歌しています。お金持ちは、それほど他人に依存することなく、願望を叶えることができます。また、科学者や有名人、論説委員、批評家などの専門家も権力を持っています。大衆の意見を左右する力を持っているからです。
権力の源泉についてとくに理解しておくべきことは、権力は文脈や状況に依存するということです。あなたの雇用主は、あなたがその会社で働きたいと望む限りにおいて権力を持っているのです。あなたが辞職を決意すれば、雇用主の権力は消えてなくなります。(さらに、雇用主があなたを慰留するなら、たちまち立場は逆転します)
権力の力学は、単純でも固定的でもないということです。Xという人物が、どんなときでもあなたより権力があるなんてことはありません。X氏は、特定の状況で、特定の問題に関して、あなたより権力を持っているだけなのです。そして、そのような立場に立ったとき、X氏は権力レンズを装着します。
(相対的に)権力を持っている人はあなたをどう見ているか
まず、明らかにわかっていることがあります。権力を持っている人は、対象を理解するための時間とエネルギーを最小限に抑えようとするということです。しかし、その理由については意見が分かれます。たとえば、以下の3つのように。
1.「認知における負荷の問題だ」。権力を持つ人たちは、精神的なリソースを、本当に重要な事柄のためにとっておこうとするのだという考えです(より正確に言えば、重要だと信じている事柄)。
2.「権力がある人は、自分にフォーカスする傾向が強く、自然と他者への関心が薄れるのだ」
3.「権力のある人たちは、(ほとんど無意識で)権力のない人たちから『心理的な』距離をとりたがっており、それが対象への無関心につながるのだ」。そう考える研究者もいます。
これらの3つの要因は、いずれも権力レンズを形成するのに十分なものです。以下、権力レンズがどういうものか、詳しく見ていくことにします。
権力と固定概念は、誰でも結びついてしまう
あなたが(相対的に)権力を持っていないなら、権力のある人たちは、あなたを複雑で繊細な存在として見ようとはしないでしょう。数多くの研究により、権力の感覚があると、普通の人でも、固定概念で考えがちになることがわかっています。
また、権力の感覚があると、面接官や管理職が、求職者を審査したり、部下の報酬を決めるときに、固定概念的な先入観を持ちやすくなることがわかりました。とくに、対象についてのネガティブな固定概念(女性は感情的過ぎる、女性は数学が苦手だ、など)から影響を受けやすくなります。おそらく本人は、自分の判断が先入観の影響を受けていることに気づていないでしょう。また、女性の面接官や管理職でさえ、無意識のうちに、ほかの女性に対してネガティブな固定概念を当てはめるそうです。また、大変興味深いことに、ちょっと怖いことでもありますが、過去20年にわたる社会心理学の成果によると、人はそれが間違いだとわかっていても、固定概念の影響を受けることがあるそうです。
権力のある人が脅威を感じると、つまり、自分の権力には正当性がない、あるいは不安定だと感じると、配下の人びとをよりいっそうネガティブな固定概念で見るようになります。いくつかの研究で、グループリーダーに任命された人は、メンバーに対して、ネガティブな固定概念を当てはめようとすることがわかりました。とはいえ、そうなるのはリーダーが無作為に選ばれた場合だけです。自分がリーダーに選ばれたのは、それに見合うだけのソーシャルスキルや適性を評価されたからだと感じられると、先入観は消えさります。こうした研究が示唆するのは、権力のあるリーダーたちは、自らの権力を正当化するために、ネガティブな固定概念を戦略的に使っているということです。
とはいえ、権力のある人が必ずしも洞察力に欠けるというわけではありません。権力のある人が、認知能力を高め、より正確に相手を理解する状況というものがあります。そこに権力レンズを理解する鍵があります。
権力のある人と、いかにして向き合うべきか
心理学者のジェニファー・オーバーベック氏とベルナデット・パーク氏による研究は、権力のある人がひどい認知力しか持たないとは限らないことを明らかにしました。両氏は、むしろ「柔軟」と表現するほうが正確なのだと言います。権力のある人は、注意力を、戦略的に配置すべきリソースとして扱っているのです。もし、ゴールを達成するために、対象を正確に理解することが不可欠なら、権力のある人たちは、権力のない人よりもずっと効果的にそれを成し遂げます。
たとえば、ある研究では、権力のある人たちに、労動者の意欲を向上させるというゴールを与えました。すると、権力のある人たちは、労動者たちをよく見て、それぞれの特徴をきちんと識別することがわかりました。言い換えれば、権力のある人たちがあなたに注意を払うのは、そうすることがゴールの達成に必要であるときなのです。逆に言えば、権力のある人に自分を理解してもらいたかったら、彼らにそうすることが不可欠で、利益があることだと思わせなばなりません。
権力の霞を通しても、自分をきちんと見てもらうには
ここに本当に重要な発見があります。権力のある人にとっては、「あなたに有用性があるか」が重要だということです。シンプルに言えば、それがすべてです。あなたは、権力のある人がゴールを達成するのを助けるために何ができますか? あなたを正確に理解することが、どのように彼らの利益になりますか? 時間と精神的エネルギーを、あなたを「理解する」ことに投資したとき、見返りに何が期待できるでしょうか?
有用な存在になる第一歩は、権力のある人の願望と課題を理解することです。たとえば、権力のある人があなたの直接の上司だとします。あなたは長い付き合いから、上司とそのゴールを理解しています。では、それは何でしょう?
上司が必要としている助けは何ですか? どうすれば上司の負担を減らしてあげられる? 上司の苦手なことは? あなたにも少しくらいは時間配分の自由があるはず。タスクに優先順位をつけるときに、上司が最も必要とする部分を手助けできるようなタスクを優先事項にすれば、あなたの有用性は劇的に向上します。
もっとも、そのタスクが上司から指示されたものなら、それを実行するのは当たり前のことです。本当に上司の注意を引きたいのなら、指示される前に、上司のニーズを予測し、動くことです。私にはかつて、まさにそれをしてくれる研究助手がいました。彼女は、私が必要としそうな文献をレビューし、指示する前に必要な書類を準備しておいてくれました。面倒で報われない仕事である、研究協力者たちのスケジュール管理も率先してやってくれました。私は彼女のために、いままで学生に書いてきたうちで最も熱い推薦状を書きました。彼女が実験室を去り、大学院へ行ったあと、私は1週間ふさぎ込みました。つまり、これが有用性というものです。
有用性とは、いい人になることではありません
有用性とは、「役に立つ人になる」ということです。私はいつも、カンファレンスや食事会でお偉方と同席するとき、人びとが権力者に対してお世辞やへつらいの言葉を、ほとんど反射的に浴びせかけるのを、驚きの目で見ています。まるで自然と口からあふれだすようです。「あなたの業績には本当に感銘を受けています、あなたの大ファンです、あなたのマーケティング戦略は実に素晴らしい...」
もちろん、聴いた側は自然と笑顔になります。こうした言葉は「温かみのある」シグナルであり、わたしはあなたの友人だ、敵ではない、というメッセージでもあります。それはそれでOKです。私が指摘したいのは、権力を持った人たちは、あなたから褒め称えられていることを気にもしていないという事実です。本当に彼らの関心を引きたいのなら、あなたが彼らの役に立つことを知ってもらわねばなりません。彼らの偉大さを維持したり、さらに向上させる手助けができることを理解してもらうのです。本当のあなたを見て欲しいなら、それが唯一の方法です。
そう言うと、マキャベリズムに聞こえるかもしれません。しかし、公正な立場から言って、権力を持つ人たちは、それだけ多くの責任を担い、それだけ多くの仕事を抱えています。誰にとっても、精神、感情のリソースには限りがあるのです。彼らの戦略は高慢に見えるかもしれませんが、本質として実践的なものなのです。あなたは、彼らにとって、時間とエネルギーを割くに値する存在でなければなりません。あなたが何も与えないとしたら、あなたの価値を理解してもらえないのは当然のことです。
とはいえ、権力を持つ人にすり寄り、あなたの美点を並べ立てろという意味ではありません。そんなことをしても彼らは興味を示さないでしょう。大切なのはゴールです。彼らのゴールを知り、それをあなたのゴールと結びつけてください。権力のある人がゴールを達成するために、あなたはどんな役に立てるのか? この質問に答えられれば、権力レンズを通して、あなたはきちんと評価されるでしょう。
Don't Be "Nice." Be Instrumental.|99u
Heidi Grant Halvorson(訳:伊藤貴之)
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