この本を書いたおかげで、大事なことがわかりましたーーここにとりあげた困った人たちと自分は決して無縁ではない。自分だけはちゃんとしているなどということはない、ということ。(「はじめに」より)
『ウザいあの人を一瞬で手なずけるオトナの社交術』(バルバラ・ ベルクハン著、 小川捷子訳、CCCメディアハウス)の冒頭には、こう書かれています。つまり「困った人たち」が引き起こすことはみな、私たちだってやりかねないということ。
だとすれば、そもそも「困った人たち」とはどのような人をさすのかが気になります。そこで1「『困った人たち』とは」に目を向けてみましょう。
よくない習慣から脱する
話し方や接し方、対立や不安、怒りの処理などの行動パターンは、無意識に作動するもの。そして、ときにそれがトラブルへと発展するわけですが、それは学習によって変えられると著者はいいます。ただしそのためには、自分を知り、注意深く行動することが大切。そこで心がけたいのは、日々の生活で自分を観察すること。そうすれば、自分がどういうときにどんな反応をするかがわかるから。
なお、この段階で著者が提案しているのは、次のように自分に問いかけることです。
・私がかっとなるのはどんなときだろうか?・どんなときにおしゃべりになり、どんなときに引っ込み思案になるのだろうか?
・不安になるのは?
・自分で自分を批判するのは?
(19ページより)
このように自分を観察することで、相手が「腹立たしい」態度をとったとき、すぐに不機嫌にならないようにすることができるというわけです。(18ページより)
困った人たちとつきあうには
現実的に、最初から気にくわない人はいるもの。そういう人たちとうまくやっていけるのか、不安に思う方も少なくないでしょう。が、けんかもせず、相手のいいなりにもならず、穏やかに接することは可能だと著者はいいます。
重要なのは、相手を根本から変えることはできないけれど、自分自身の行動や態度は変えられるということ。カッカせず、冷静に対応できれば、気にくわない人たちとも険悪にならずにすむわけです。それでもなお彼らが扱いにくかったとしても、相手の行動パターンに巻き込まれなければ腹も立たないもの。(25ページより)
誰にも責任はない
よいとか悪いとかいう考えを頭から追い出そうと、著者は主張しています。行動パターンとは、その人がそれまでの人生でなんらかの困難を克服するために身につけたもの。こちらからすればイライラすることかもしれませんが、その人に責任はない。そして、それとまったく同じことが、自分自身にも当てはまるのだと著者。
誰かが悪いという考えにとらわれている限り、密かに相手を罰したい、あるいは変えたいという望みを持ってしまいがち。ところが、そのような気持ちは仕返しにつながるもの。人とのつきあいにおいては、とても破壊的な手段です。
つまり、扱いにくい人とうまくいかなかったとしても、それは誰のせいでもないということ。不愉快に感じるのは、相手の行動パターンに引っかかってしまったからですが、それもまた、無意識の行動パターンによるもの。しかし、そんな気持ちは変えられるそうです。つまり、相手のせいだと考えることをやめれば、気持ちが楽になり、事態がよくわかるようになるということ。(27ページより)
自分の幸福や満足は、自分が決める
自分自身を満足させることを他人に期待する限り、自由にはなれないと著者は主張しています。同じように、扱いにくい人に向かって絶えず文句をいったり、叱りつけているとしたら、それは「この人は私を満足させるべきなのに、そうしない」という思い込みがあるから。
大切なのは、やっかいな人に腹を立てるたびに、意識的に考え方を転換すること。「この人は私に満足を与えたり、私を幸せにしたりするためにいるのではない」と自分にいい聞かせるべきだということです。そう考えれば、自由になれて、まわりの人たちに無理な要求をしなくなる。相手の態度にかかわらず、満足できることを喜べばいいという考え方です。(28ページより)
自分の要求を確かめる
他人を「扱いにくい」「やっかいだ」というときは、その人たちが単に私たちの要求に従わないだけのことが多いそうです。きちんとした人は「だらしないのはよくない」と考えるからこそ、相手がだらしないと「扱いにくい」と思うことに。相手が自分の期待したようにしないと、私たちは欲求不満になるわけです。
こういった場合、「◯◯でなければ」をやめるべきで、つまりは要求水準を下げることが大事。相手ができないことを要求するのではなく、できることを認めて喜ぶことに意味があるということ。ありのままの姿を受け入れてみれば、多くのストレスや失望を味わわなくてすむもの。「誰もが精一杯やっている。それ以上は無理なのだ」と考えればいい。著者はそう記しています。(30ページより)
扱いにくい人を非難しない
とかく私たちは、自分の体験をもとにして、他人に対してレッテルを貼りたがります。けれど、その考えは必ずしも公正ではないと著者。なぜなら、誰でも自分の過去や受けた教育、要求や思い込みに影響されているものだから。人を激しく非難すればするほど、気分は悪くなるもの。そして、その人に否定的な態度をとるようになるもの。すると相手はそれに気づき、お互いに不快感を抱くようになってしまう。
でも、もし苦手な相手と気持ちよくつきあいたいなら、その人につけたレッテルを剥がすことが必要。誰にも、その人を品定めする権利はないからです。むしろ評価を下す前に、その人について知る。相手がどんな行動をするのか、自分がそれに対してどんな反応をするのかにも気をつける。自分自身がすべての事実を知っているわけではない以上、その自分の判断は間違っているかもしれないということ。(31ページより)
扱いにくい人のよい面を見る
常に機嫌が悪い人はいないにもかかわらず、最初に相手を否定してしまうと、私たちはあっさりとそこを見逃してしまうもの。そして、相手が私たちを怒らせる行為をするのではないかと、無意識のうちに待ち構えてしまう。その人にもノーマルなときがあることに気がつかず、相手のマイナス面をルーペで拡大して見ているようなもので、プラス面を見逃している。注視していると、小さなものも大きく見えてくるので、その人が欠点だらけの人に見えてくるわけです。
それでは意味がありませんから、扱いにくいと思っている人のよい面を探してみるべき。そして、いままでその人に持っていたイメージを変える。その人には、たしかに困ったところがあるかもしれない。しかしその一方、普通で感じのよいところもあるはず。つまりは私たちと同じように、いろんな面があるわけで、決して扱いにくい人ばかりではないということです。(32ページより)
著者は、20年以上にわたりコミュニケーションのトレーナーとして活躍する人物。いわば本書は、たしかな実績に裏づけられているわけです。が、姿勢はとても柔軟。コミュニケーションについての大切なことを、リラックスしながら学べるはずです。
(印南敦史)