99u:2013年3月1日、私はカトマンズ行きの片道飛行機に乗りました。それから数週間かけて、標高5500mのヒマラヤを歩き、ゾウと遊び、ずっと行きたかったブータンを訪れ、ラオスではスクーターの乗り方を覚えました。過去10年で30カ国を訪れましたが、その多くがかなりの辺境への逃避行でした。一方で、出勤日にはたいてい、18時間勤務を続けています。

Facebookで共有するのは、旅の写真ばかり。深夜2時にベッドに倒れこみ、朝6時に起きて仕事に戻る写真を載せることはありません。ビジネスオーナーとして、どうやってそんな生活を乗り切っているのかと聞かれることがありますが、答えはとってもシンプル。デザイナーである私は、自分のライフを自分でデザインしたのです。

私たちクリエイティブ系の仕事に携わる者は、すぐに仕事と個人的なプロジェクトにのめりこんでしまいます。この業界は、ワーカホリックを求めているのです。全ピクセルを完璧にするためには数日間をかけるのに、ジムに行くための1時間すら見つけられません。仕事人生では何百ものプロジェクトを手掛けるのに、自分の人生というクリエイティブなプロジェクトに取り掛かる人は、ほとんどいないのです。

2004年、私の人生は混乱に陥っていました。過去の決断が悪い方向に転び、現状認識を誤り、未来への決断を下せずにいたのです。いつかすべてがうまく行って、目覚めたら理想の生活が待っている。自動操縦モードのような暮らしの中で、そんなことを心の底から望んでいたものです。

だけど、理想の生活が何かなんて、考えたこともありませんでした。目標はすべて達成していました。美大を出て、モーショングラフィックス業界で定職に就いて、生活できるだけのお金を得て。でも、そんな自分に対する誇りはおろか、やりがいも感じられずにいました。「夢」だったはずの仕事が、悲劇のもとになっていたのです。明らかな間違いはどこにもないけれど、自分のために生きられていないように感じていました。

当時の私は25歳。一生こんなことを続けていくのかと思うと、ゾッとしました。だから、仕事を辞めて、自分の人生は自分で決めることにしたのです。

疑問はたくさんあったけれど、計画は一切ありませんでした。でも、たった1つ、大切なアイデアだけはありました。私にできるのはデザインだけ。だから、人生そのものを、ひとつのクリエイティブプロジェクトとして向き合ってみればいいんじゃないかって。

そうして私は、モーショングラフィックデザイナーとして、ライフをデザインするためのプリプロ(撮影前の準備作業)に取り掛かることにしました。

プリプロ

人生のエスタブリッシング・ショットはできていましたが、先立つものがありません。だから、人間関係、専門性、潜在顧客など、それまで積み上げてきた資産に頼るしかありませんでした。同時に、口座残高やニューヨークの家賃など、デザインの制約に向き合う必要もありました。

人生をデザインするには、柔軟かつ現実的にならざるをえませんでした。ビッグアイデアはあるけどお金がない自分は、スタートアップ企業ならぬスタートアップ人間みたいなもの。でも、状況は少しずつ改善すると信じていました。

経験と人脈を得るために、フリーランスからスタートしました。仕事はだいたい数日から数週間単位で、客先ですることがほとんど。けっきょく、フリーランスになってもスタジオの場所が変わっただけで、その職場のスケジュール、予算、クリエイティブプロセスに縛られることは変わりません。仕事をもらえるたびにスキルは成長しましたが、誰かの歯車である感覚は消えませんでした。

とはいえ、いつか本当のデザインビジネスにするという目標のもと、顧客リストは順調に増えていきました。

社員からフリーになり、そして起業に至るまでのプロセスは、この記事だけでは書ききれません。とにかく、2007年には、いろんなことがうまく行くようになっていました。安定した評判が次々とクライアントを呼び、ついに2つに1つの選択を迫られることになったのです。個人アーティストとして活動を続けていくのか、自分のスタジオを持つのか。

自分でスケジュールを管理できるようになってから、理想的な1日の過ごし方と最高の働き方を考えるようになりました。その過程で、自分は朝型人間であることがわかってきました。午前中が最も生産的で、午後3時には集中力が途切れてしまいます。だから、早めに仕事を始めて、ランチはデスクで食べることにしました。

昼休みは集中力が途切れる午後の時間帯に取り、トレーニングの時間に充てる。そんな風に、自分に合った習慣を確立することで、毎日のアウトプットは2倍になりました。スマートかつスピーディに働けるようになったおかげで、お金を稼げる時間も、プライベートの時間も増えたのです。

気を良くした私は、もう一歩踏み込んで、カレンダーに別れを告げることに決めました。必要なときに働く。たとえば、水曜日に夜遅くまで働きたかったら、木曜日は休みにして、日曜日にその分をリカバーするというやり方。だって、曜日なんて、ただのラベルに過ぎないでしょう。

これがけっこう苦戦しました。曜日という、身体に染み付いてしまった概念を取り払うには、特訓が必要だったのです。でも、すべてがうまく行くと信じるほかありませんでした。

2009年、Stefan SagmeisterのTEDトークを聞いて、新たなアイデアが降りてきました。彼は、学校に行き、仕事をして、退職するという、一般的な人生設計のバランスの悪さを指摘していました。それらのプロセスはもっと交じりあってもいいのではないかという考えで、7年に1回、1年間の長期休暇を取っているとのこと。

それを聞いた瞬間、「これだ!」と思いました。でも私は、彼のようなスーパースターデザイナーではありません。そんな私が1年間の長期休暇を取る方法は、残念ながら語られませんでした。つまり、自分にとって「よりよい」ワークライフバランスとは何か、自分の力ではっきりさせなければなりません。ライフをデザインするために、学び、本を読み、スポーツをして、旅に出る時間を確保するには、どんなスケジュールが必要なのだろう。

Stefan Sagmeister「The power of time off」

脚本づくり

私のライフデザインを完成させるには、2つの道があるという結論に至りました。「all or nothing」と、「slow and steady」です。私はどちらかというと前者が向いているタイプ。プライベートな時間を犠牲にしてでも、何週間も続けてクレイジーに働くことを好みます。

一方で、休むときはとことん休む。多くの人は短期的なスパンで仕事と遊びのバランスを取ることを好みますが、私の場合、マラソンを走りぬいて、長い休息をとる方が合っているのです。

それを実現するには、この働き方を理解してくれて、無条件に信用できる素晴らしい人々で周囲を固める必要がありました。「Undefined Creative」は、そんな想いから生まれたのです。2010年、20年来の親友を口説いて、エグゼクティブ・プロデューサーとして迎え入れました。

それが、孤高のフリーランサーから起業家に転身するきっかけとなりました。彼女を雇ったことで、私自身の「ライフデザイン」にも大きな影響がありました。親友のフトコロ事情に責任を持つだけでなく、彼女と私の2つの理想の間に、バランスを取らなければならないのです。それでも、2人で責任を分け合えるのは大きなメリットでした。つまり、私は自由を手にしたのです。願わくば、彼女もそうであってほしいと思います。

絵コンテづくり

脚本を可視化したことは、いいテストになりました。どれだけ現実的なのか? 筋書に矛盾はないのか? 撮影後の編集で、撮り直したくなるようなショットはないのか?

恐れていたのは、うかつにもプロセスに没頭して、結末を忘れてしまうこと。それに、自分自身が燃え尽きては、努力がムダになってしまいます。私のデザイナーとしての基盤は情熱しかありません。その情熱を何年も維持するには、それを大切にしてやらなければと思ったんです。

そこで、受動的に時期が来るのを待たないことを決めました。忙しさに怖気づいて、出発の機会を逃さないようにするために、次なる逃避行を、かなり前から予約してしまったのです。

そんな計画を立てられたのは、何年もの間、こつこつと業務記録を付けていたから。シンプルなエクセルシートを使って、自分自身の勤務時間と、依頼したフリーアーティストの時間を週ごとにつけていました。おかげで、ある程度正確に「大局」をとらえることができ、休める時期を把握できました。

ここで大事なのは、想像に頼るのではなく、きちんとデータを見ること。利用できるのは、業務記録、タイムシート、請求書など。長期休暇の決断には恐怖が伴いますが、根拠となる事実があれば、ずっと楽になります。

エグゼクティブ・プロデューサーである同僚は、半日勤務や週休3日に興味があるようでした。彼女が必要とするバケーションは、私のそれと対立しませんでした。

プロダクション(制作)

すべての計画を実行に移すと同時に、もっと完璧なデザインを心掛けるようになりました。その結果、デザインが普段の生活に反映されるようになり、予期せぬ出来事が起こるようになりました。気づかぬうちに、クライアントにこう言っている自分がいたのです。

「あなたにとってストレスフリーの体験にしたいんです!」

「基本的に、週末には働きません。QOL(人生の質)を大切にしたいからです」

「8月は3週間、不在にします」

それだけではありません。ちょっとしたことがうまく行かずにイライラしているフリーランサーに、こんな風に言ったこともあります。

「たかがテレビ番組のことじゃない。がんの治療をしているわけじゃあるまいし。今日はもう遅いから、終わりにしましょう」

彼は長い沈黙の末、「確かに!」と笑ってくれました。

そこで気づいたことがあります。ワークだけでなくライフも充実させたいという望みを、臆することなく伝えると、周囲はポジティブな反応をしてくれるのだと。すると、それまで「お客様」だと思っていたクライアントが、「同じ人間」に変わりました。彼らも、かつての私と同じように、人生のバランスに悩んでいる1人の人間なのです。

少しずつ、クライアントも変わり始めました。彼らの方から、自身のバケーションについて話してくれるようになったのです。あるクライアントは、大失敗の後に「気にしないで。あとはあなたの同僚と何とかするから。ただし、どこに行ってきたかだけは、あとで教えてね」と言ってくれました。別のクライアントは、海外ボランティアを検討中だと私にアドバイスを求めてきました。

だからと言って、プロジェクトの質を落としたことはありません。

ポスト・プロダクション(編集作業)

バランスを取りながら生きることには、常に変化が伴います。以前はいいと思ってたアイデアでも、編集中に新しいアイデアがひらめくこともあるのです。たとえば2011年には、「好きな場所で働く」というアイデアを思いつきました。そこで、バルセロナで3週間やってみました。

結果としてはうまくいきましたが、それは実験に適した時期を選んだからです。本当に忙しい時期だったら、ラップトップ1台で仕事をするのは悪夢への道となっていたでしょう。

ライフをデザインしはじめてから、いろいろなことが変わりました。特に、自分でも驚くほどの大きな変化があったのです。私は、同じように柔軟なスケジュールの男性ではなく、月〜金、8時〜20時で働く男性と恋に落ちました。おかげで、もう水曜日を休みにして日曜日に働くようなことはなくなりました。

標準的な勤務日を避けていた私が、皮肉にもそれに合わせるようになったのです。それでも、「自分にとって最適な働き方」を追求する精神は変わっていません。

言いたいのは、私たちはみんな、自分のライフをデザインする編集者だということ。望み通りのワークライフバランスを手に入れるためには、液体のように柔軟になる必要があります。予期せぬ出来事があっても、諦めないために。

最初の大きな試みが完璧だったかというと、決してそうではありません。当時はまだエキスパートではなかったし、今でもよく失敗を犯します。でも、最大のターニングポイントは、「ワークライフバランスを追求してもいいんだ」と思えたこと。

私はこれからも、隣の青い芝をうらやむでしょう。時には間違いを嘆くでしょう。でも、そんなときに、自分にとって何が本当に大切なのかを考えることは忘れません。そのために、旅や冒険に出かけるのです。それを止めてしまったら、バランスが崩れてしまうでしょう。

旅に出る前には、いつも不安に襲われます。でも、挑戦を繰り返した今ならわかる。旅に出ても、キャリアはめちゃくちゃにならない。スピードは遅くなっても、スタジオは回り続けるのです。

こんな言葉を聞いたことがあります。「他人のために働くのは、安定という幻想のため。自分のために働くのは、自由という幻想のため」。

それぞれが幻想というのは真実かもしれませんが、意識的にライフをデザインすることで、その「安心」と「自由」のバランスを保つことができる。それが私のやり方です。

そして、人生が終わるとき、それが町の片隅であれ、サハラの奥地であれ、愛する人たちと過ごした日々を思い出したい。どんなにこの仕事が好きでも、直前に手掛けていたプロジェクトを思い出すことはないでしょう。

Maria Rapetskaya(原文/訳:堀込泰三)

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